第29話


「正式な公文書でもないものに、エンテレケイア計画は支えられているのか?」


 いくら政府の陰謀とはいえ、そんな怪文書に基づいて動く計画なんて、どう考えてもろくなものじゃない。


「ですが、一定の地位を占める官僚や政治家が、文書の内容を妄信しているのも確かです」


 蘭子の部屋がある5階に、エレベーターが到達する。紘は志乃とともにマンションの共用スペースに足を踏み出すと、まずは周囲に視線を走らせ、人が居ないことを確認した。


「人影は認められません。速やかに作業を開始しましょう」


 志乃の呼びかけに応じ、紘は鞄から数々のピッキング器具を取り出すと、鍵穴にねじ込んだ。


 電子ロックは志乃の能力で解除出来るが、最後の最後に物理的施錠がされているのは、田舎の引き戸だろうが都会のマンションだろうが、変わらない。


「まさか先輩の部屋に押し入ることになるなんてな……」


 志乃が面白おかしそうにふざけ始める。


「――バイト先の女性の部屋に押し入った16歳の少年が、住居侵入の疑いで逮捕されました。少年は女性に対して劣情を持て余していた模様で、警察はストーカー規制法に抵触する余罪が無いか、更に詳しく調べる方針であり――コウ、ツッコみが無いと少し寂しいのですが……」


 下らない志乃のナレーションをBGMに、遂に紘は開錠に成功した。ガチャリ、と鍵が回る音が鳴ったのを確認すると、紘は鞄から今度はモデルガンを取り出す。志乃も少し不満げな様子でブレードを手に、周囲を警戒する。


「いくぞ!」という紘の掛け声とともにドアを開け、室内に突入。銃をあちこちに向け、すべての部屋を探る。寝室、クローゼット、風呂、トイレ、ベランダ。――ひと

まず誰も居ないことを確認した。


 そして、次に居間――蘭子先輩が一番長く居るであろう部屋を見渡す。


「……えらく綺麗に片付いているが、何だか奇妙な感じがしないか?」

「ええ。あのテレビ台の道具入れ。クローゼットのカラーボックス。コスメ雑貨の位置。どれを見ても、キッチリし過ぎています」


 蘭子先輩は――まあ、ぽわぽわしているところも多いが――ああ見えて几帳面な人だ。でも、自宅の物の位置をここまで整えられているのは、よほどの病的な几帳面か。


 もしくは――。


「既に諜報機関がこの部屋を物色し、撤収の際に片づけを綺麗にやり過ぎた……。そう見ることも出来るな……」

「公安や自衛隊が物色しているなら、もう手掛かりは残っていないかもしれませんね」 


 だが、やるしかない。この一連の捜索には、今後の全てが掛かっているのだから。


「とりあえず部屋中を探そう。何かあったらお互いを呼ぶように」「了解です」


 もし、諜報機関がこの部屋を調べているのなら、そもそもなぜ蘭子の部屋を漁る必要があったのか、それを知る必要がある。蘭子は、何か秘密を握っていたのか?


 二人は部屋中の物品をひっくり返しながら、蘭子の手掛かりを探し始める。


 そして、家具やら書物やらをひっくり返しながら、一時間弱が経過した。


「コウ、重大な情報を発見しましたっ」

「本当か⁉」と志乃の居る寝室に赴くと、彼女はブルーの下着をしげしげと眺め、

「蘭子はDカップだったのです! わたしの目測ではCだったのに! ――あ、痛い!」


 とりあえず頭をはたいておいた。……先輩、着痩せするタイプだったのか。


「真面目にやれ」「はい……」少しだけシュンとなった志乃と、再び家探しを始める。


 その沈黙を、再び志乃が破った。今度は、どちらかと言えば、おずおずといった印象で。


「……そういえば………コウは、蘭子のことが好きなのですか?」

「はあ?」思ってもみなかった質問に、紘は素っ頓狂な声をあげる。

「い、いえ……。結構前からの知り合いみたいですし、コウはああいう明るいタイプの女性が好みなのかな……と」


 クローゼットを開けながら、志乃は遠慮がちに訊いてくる。


 珍しい話題に対し、紘は少し悩みながら唸る。


「うーん……。先輩は……まあ、美人だなとは思うけど、どちらかと言えば姉に近いかもな……」


 だが、蘭子先輩のように明るい女の子が好きなのかという質問は、紘の心を揺さぶる。


 どうしても、幼い頃に出会ったあの子を、思い起こさずにはいられないからだ。


「――昔……。顔も名前も覚えてないけど、凄く明るい女の子が友達に居たんだ。芹那とも一緒に遊んでくれてさ。会う人全員を笑顔にする女の子っていうか……親父からもかわいがられてたしな。明るい女の子がっていうより、その女の子のことが多分、好きだったと思う」


 パタン、と何かが落ちる音がする。志乃が雑誌か何かを落としたようだった。


「……そ、そうですか……。い、いえコウの女性観に興味があるとか、そういうわけではないのですが……」


「なんだよ。もっと『やっぱり純真なコウ少年は、健康的で明るい女の子に惹かれてしまうものなのですね』とか言われると思ったのに……」


 そう言うと、雑誌を拾い上げた志乃はえらく神妙な面持ちで、


「……わたしは、人が何かを好きな気持ちを、馬鹿にしたりはしません」と呟いた。


 そして、


「まあ、冗談はこのぐらいにして。――この雑誌、少し気になるところがあるようです」


 彼女が掲げたのは、国内でも有名な週刊誌。


 大半はしょうもないゴシップだらけの記事だが、稀に国政を揺るがすほどの爆弾情報が掲載される、政府や国会関係者には無視できないメディアの一角だった。


 ページを開くと、いくつものページが切り取られている。スクラップしたのだろうか。


 切り取られている以上、そこに何が掲載されていたのかは、目次から類推するしかない。


「切り取られたページには、どんな記事が掲載されていたんだ?」

「えーと……『政権支持率30%切り間近』、『報道機関と官邸の黒い癒着』、『連続ドラマ主演女優の熱い夜』、『定年退職後の夫がうざい』……ですね」


 ――なんだか、後半はよく分からないラインナップだな……。先輩の趣向は謎が多い。


「でも、こんな分かりやすい証拠を情報機関が見逃すとは思えませんし、この雑誌から手掛かりは得られなかったのかもしれませんね……」

「いや、切り取られている以上、蘭子先輩が関心を抱く情報が載っていたのは確実だ」


 蘭子先輩の思考をトレースする。彼女が仮に、エンテレケイアが関わる一連の事件を追っていたとしたら。切り取られた記事は、その事件を追う資料として活用されているはず。週刊誌は普通、特定の個人や組織を対象に記事を書く。

なら、その人物ないし組織を追うはずだ。


 次に、情報機関の視点からこの雑誌を見る。もちろん、蘭子先輩がその人物ないし組織を追うところまで予想した上で、次はその人物か組織を調査するだろう。最近、怪しい女が接触していないか、不可思議な超能力使用の痕跡は無いか、などなど。


「先輩はこの記事に載っていた人物か組織に接触して行方をくらませた。そう考えるしかない」

「動けない事情がある、もしくは……消された……。そう考えるべきでしょうか?」

 後者は最悪のケースだが、絶望的観測にも目を向けなければ、正しい判断は出来ない。

「その可能性はあまり信じたくはないが……。取り合えず、この記事が載っている巻号を探そう。書店に行かなくても、電子版ならすぐ手に入るんじゃないか?」


 だが、その思い付きは、志乃の冷静な一言で潰された。


「――――それは、無理なようです。コウ」


 自前のタブレットを見せつけてくる志乃。

 その画面には雑誌の電子版が掲載されている出版社のウェブアドレスと、「ページが見つかりません」という無機質な文字列が表示される。


「消された⁉ いや、でも……お前の〈サイバーテレパス〉なら、ハッキングすれば……」

「いま、量子コンピュータ〈プロヴィデンス〉を用いて、この出版社に関する情報を検索しました。その結果が……これです」 


 志乃は残念そうに、ニュースサイトの一ページをタブレット画面に表示させる。


『データセンターで火災発生か? 本日未明、株式会社データ・クリエイティブ(東京都港区)は、同社の管理するデータセンターが焼失したと発表した(サーバ所在地は非公開)。


 同社は、国内企業ウェブサイトのサーバ提供会社としても知られており、各クライアントの業務に影響することも必至だ。警視庁は、放火の線から捜査を進めるとして――』


「この会社のデータセンターに、この雑誌社の電子版も保存されていた……?」

「あくまで雑誌社はクライアントの一つですから、目的を掴ませないために放火でもしたのでしょう。でも、やってくれましたね……」


 ぞっとした。警視庁が捜査するなどと書かれているが、おそらく放火したのは政府の別動隊だろう。当局が白と言えば白。黒と言えば黒。

その判断に一般の人間は是非を唱えられない。


 だが、消すほどの内容の記事だったのか? との疑問も残る。


「何処かの書店かコンビニなら、在庫が残っているかもしれない。紙媒体に当たろう」

「了解です。わたしの〈サイバーテレパス〉をコケにするとは、やってくれますね……」


 自分の能力が打ちひしがれたことがよっぽど気に入らなかったのか、志乃は静かに怒りを蓄えているようだった。電子とクラウド全盛の時代だが、その実態は今回のように脆い一面を持つ。反権力要素のあったインターネットは、あっという間に国家と大企業に管理されるようになった。元々原子力研究の副産物だったとはいえ、権力の動きの速さには感心を覚える。


 ふと、雑誌の奥付に、何かが挟んであることに気付いた。

写真だった。裏面には「蘭子さん7歳」とある。


「蘭子先輩の写真……? 随分昔のようだな……」


 そこに写っているのは、長い栗色の髪を振り乱し、ジャングルジムの上でVサインをして笑っている少女の姿。先輩は施設の育ちと聞いている。

多分、職員の人が撮ってくれたのだろう。


「先輩、昔は髪を伸ばしてたんだな……。会った頃はもう、ショートカットだったから」


 そう言いながら、紘はふと違和感を抱く。


 ――俺は、この少女を見たことがある?


「蘭子の子どもの頃の写真? わたし、気になります!」


 ぐいぐいと志乃が興味深々に写真を覗き込む。そして――――


「…………え?」志乃が怪訝な声を上げ、紘の持つ写真をひったくると、それをじっくりと見て、「……もしかして、蘭子は……」と呟いた。

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