第27話
*
その後も志乃は、生物の授業では遺伝子の構造についてスラスラと解説をしては生物教師を喜ばせ、二人はいつの間にか今年のノーベル生理学・医学賞受賞者の予想を始めて盛り上がっていた
政経の授業では革新派の社会科教師に、「しかし、ソ連型社会主義の失敗は既に証明されていて――」などと言って論戦を繰り広げていた。
ちなみに紘も教場時代に反共教育は叩き込まれていたため、概要ぐらいは知っている。
だが、そもそもコイツ、スパイの自覚はあるのか?
そんな波乱万丈の一日の最後を飾るのは、美術の授業だった。知識や計算力よりも、技術やセンスが要求される科目を、彼女はいかにこなすのか。自分だけでなく、いずみやほかの同級生たちも注目している雰囲気を、紘は肌で感じ取っていた。
「では、今日の課題は似顔絵です。隣の人……だと、ありきたりだし、斜め同士の組み合わせで、お互いの顔を描いてみましょうか」
――げっ。よりにもよって志乃とかよ……。美術教師の提案に紘が嫌そうな顔をしていると、相方の志乃は何故か、こちらを睨むような上目遣いで、じーっと見つめてくる。
「――いいでしょう、コウ。覚悟の準備をしておいて下さい」
キャンバスを前に置き、黄金の精神に目覚めたらしい志乃と向き合う。
筆をとる。実のところ、絵画は得意だし、好きだ。内証第六の訓練場に入れられた頃、工作員として必要な知識を嫌々叩き込まれたが、その中でもマル対の似顔絵を描く講義だけは、唯一楽しみな時間だった。現実を自分の解釈を通じて表現する行為。現実を能力で歪める紘にとってそれは、自身を現実に留めておく、もやい糸のようなものだった。
「……楽しそうですね、コウ。わたしの顔を描くのが、そんなに嬉しいのですか?」
志乃はキャンバスと睨めっこをしながら、もそもそと手を動かす。ついで、いらいらしたように、片足で床を叩く。美術は苦手なのか? 紘は彼女の弱点を知って、少し微笑む。
「別に。ただ、絵を描くのは好きだな。訓練の時も、これだけは楽しみだった」
「そうですか。わたしは苦手――いえ、標準程度の画力なのですが。まあ、才気溢れるわたしに、天が与えたペナルティなのでしょう。ミロのヴィーナスのように、欠けているからこそ、美しい存在という例もありますので」
えらく長ったらしいが、ようするに「わたしは絵が下手です」という自己紹介であった。
「自分を稀代の美術品に例える人間を、俺は初めて見たよ」
「コウが生ける芸術品たるわたしをどう描くか、お手並み拝見ですね」
そんな益体もないやり取りを交わしながら、紘は鉛筆を動かしていく。
志乃の輪郭、顔のパーツの配置、髪の毛の長さ。見れば見るほど、なるほど確かに、美少女と形容して差し支えないほど整っている。
――まるで、そう造形されたかの様だ。
笑えば、もっとかわいいだろうに。ふと、そんな感情が湧く。ただ、無表情ながらも、「むむむ……」と唸り、キャンバスと格闘している彼女を見ると、これはこれで楽しめる被写体かもしれないな、と紘は笑う。
「……何をにやにやしているのですか? 失笑恐怖症ですか?」
「別に。面白い被写体を前にして、面白がっているだけだ」
そう言って、しばらくお互いが押し黙る。教室中がワイワイ騒ぐ中、二人の間だけは、静謐な時間が流れているように、紘には感じられた。
「――わたしが転入してきたことに対して、何か感想は無いのですか?」
「……ああ、似合ってるよ。高校生のコスプレ……」
「十六歳なんですけど……! 普通の……高校? に通ってるんですけど……!」
少しムキになって反論してくる志乃に、紘は苦笑してしまう。
「――俺達が登校してる間は、任務に従事するんじゃなかったのか?」
今朝は確かにそう言っていた。芹那と家を出る前に、志乃本人が言っていたことだ。
「護衛任務の詳細を秘匿する必要がありました。……それに、見てみたかったのです。いきなりわたしが同級生になった時の、コウの驚く顔を」志乃はこちらを見ずに言う。
「……芹那の方じゃなくて大丈夫なのか? アイツは無能力者だし……」
「わたしは〝少々〟小柄ですが、流石に中学生は通用しないと判断しました。それに、監視ドローンを常時中等部の方へ飛ばして、わたしの脳内と接続させています。何かあればすぐに動けますし、ドローンには遠隔操作可能な銃火器も搭載しています。それに――」
「敵の本当の狙いはコウ。おそらく、貴方です」志乃ははっきりと告げる。
「……エムザラ遺伝子より、俺の能力を、アイツらは求めているってことか?」
「わたしも詳細は分かりません。ですが、わたしの上官の予測は、そのようです」
確かに、自分の能力は昨日、非実在兵器まで顕現させた。この世に存在しないはずの技術で造られた武装を出現させるなんて、UNITIが知れば能力強度昇格事案だ。
だが、単純には喜べない。
自分の知らない領域で何かが起きていると、紘は直感していた。
そんな不安に襲われるが、志乃の「完成しました」と、筆を置いた音で思考が戻される。
「おやおや? わたしの方が、筆が早かったようですね」
「……適当に描いたんじゃないだろうな?」
丁度美術教師が横を通りかかる。志乃は「出来ました」と得意げな様子だが、教師は、
「天祐さん。興味深い絵だけど……今日は抽象画の授業じゃないの。写実画を描いてね」
やり直しを命じられていた。志乃は「がーん……」と効果音を呟き、遠い眼をしている。
紘は立ち上がり、志乃のキャンバスを見る。
そこには、幾何学的な模様と乱雑な筆の跡が重なり合った、前衛芸術めいた何かが描かれ――いや、そもそも、これは絵なのか?
「わたしとしたことが、うっかり紘の内面世界を描写してしまったようですね……」
「ちょっと待て。他人の心情を勝手に無間地獄として解釈するのは辞めろ」
「むむむ……。そ、そういうコウはどーなのですかっ。わたしの美しさを捉えているのですか?」
「あっ、ちょっと、これはちょっと書き損じていて……」
紘は慌てて紙を引き抜き、くしゃくしゃに丸めてしまう。
「ああ……! わたしの顔が……」
志乃は嘆くが、今の絵を見られるわけにはいかなかった。紘はすぐに鉛筆を持ち直す。
「ちゃ、ちゃんと描いてやるから……お前もしっかり俺の顔を描けよな」
再びデッサンしていく。志乃を眺めていると、エンテレケイアは容姿も調整されているんじゃないかとさえ思う。それか、容姿の良い人間をクローン素体に選んでいるかだ。
だが、政府はそんな彼ら彼女らを兵器として生み出し、戦争の道具として扱っている。
そんな国家に対して、エンテレケイアは更に過激な戦争を求めるようになってしまった。
まるで自家中毒だ。
――志乃の考えは分からないが、一連の事件が片付いたその時は、エンテレケイア達と向き合わなければならない。それが、自分なりの選択だと紘は思った。
「つ、遂に描けました……。本物より三倍増しで美形では?」
志乃が少しはしゃいでいる隣で、いずみは悩ましげに言葉を選んでいるようだった。
「う、うーん……? 人間の顔であることは私にも分かったけど……」
――いったい、自分はどんな化け物になっているのだろう……。
「さてさて! それでは、絵が上手いと評判の高宮君はどうなのかしら?」
「しっかりとわたしの魅力を表現できているか、拝見させてもらいましょう」
女子二名がキャンバスを覗き込むとそこには、口を真一文字に結んで、キャンバスとにらめっこをしている、無表情ながらも真剣な面持ちをした、志乃の姿が描かれていた。
「すっごーい! 高宮君、さすが上手ねー!」
いずみの賞賛が心地よい。訳の分からない超能力の強度よりも、紘は自分の好きなことで褒められるのが、一番嬉しいと思った。紘は志乃に尋ねる。
「どうだ、志乃? 実物よりもイケてるんじゃないか?」
「…………これが、コウから見た、わたしの姿なのですね……」
不思議そうな様子で、絵を眺めている。気に入っているのか、それともお気に召さなかったのか、よく分からなかった。
ただ、志乃はチャイムが鳴るまでずっと、その絵を眺めていた。
*
本日の課業はつつがなく終了。紘は「芹那も連れて帰るか」と声を掛けてくる。
しかし志乃は「警備計画の関係で、少しだけ校内を見回ります。十分で終わるので、芹那と校門で待っていてください」と言い残し、教室を飛び出した。
……紘は少し不自然に感じたかもしれない。
美術室のドアを開け、先ほどまで紘と自分が座っていた席の傍までやってくると、辺りを見回す。
――あった。ゴミ箱だ。中を漁り、クシャクシャに丸められた画用紙を発見する。
胸が高まる。なんでだろう。
――二人の護衛任務も放置して、わたしは何をやっているのだろう。
丸められた紙を、丁寧に、破れないように開いていく。そして、
――そこには、満面の笑みをこちらに向ける、自分の顔があった。
頬に水滴がつたる。涙だった。今まで流したことのないものだった。紘がこの絵を描いたこと、自分の目に入る前に捨てたこと。その事実が、志乃の心を強く揺さぶった。
志乃は自分の涙に驚きながら、クシャクシャになった画用紙を、ただ黙って眺めていた。
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