第2話
月の位置も天頂へと移り、地上へと届く光も薄くなってきた真夜中。
『国際埠頭施設 保安制限区域につき 立入禁止』と掲げられた金網を乗り越えた
バッグが重い。もっと減らしてくれば良かった。紘は内心でぼやきながら、本部から支給された無線式インカムに対し、小声で呼びかける。
「――こちら、〈ARスクエア〉。所定の位置に着いた。指示を求む」
コンテナから少しだけ顔を出し、周囲の状況を窺う。倉庫の外には、ガラの悪い男達が数人、たむろしていた。一人だけ懐中電灯を灯してはいるが、全貌は確認できない。しかし、声はよく聞こえる。埠頭に反響するその言語は、どうやら中国語のようだ。
五……いや、六人か……? 事前に渡された資料によれば、伝統あるチャイニーズ・マフィアの使いパシリという話だったが。紘がバッグの肩紐を固く握りしめていると、耳元でインカムから『ザザ……』と電子の砂嵐が流れ始めた。
『――こちらHQ。状況はどうか?』
聞き慣れた男の声。自分をこの港に駆り立てた張本人は、いつも通りの冷静な口調で確認を求めてくる。国家行政内証機関第七部局・警察庁警備局特務情報部特務第二課長。それが、通話相手の官職名だ。紘は男たちに聞かれないよう留意しながら、応答する。
「視認出来たのは五から六人。全員男性で、国籍は資料どおり中国。さっき、奴らが乗ってきたトラックも確認したが、多量の、ドラッグのような粉末が零れていた」
『粉末の成分は確認したか?』
先ほど確認した、検査キットの試験薬の色を思い起こす。
「結果は赤色。十中八九……〝ベトレイア〟だと思う」
『…………そうか』
HQこと、課長が沈黙する。粉末が零れていたという報告を、測りかねているのだろう。
あの男達は、密輸すべき商品の幾ばくかを自分達で試したのだ。
そして偶然にも一人が能力に芽生え、万能感に高揚し、大はしゃぎしている。
「(やっぱすげえよ、
「(だが、本土の爺ィどもをぶち殺す前に、まずは日本の取引先を消すのが先だ)」
「(いけるいける! どうせ拳銃程度しか持ってねえだろ!)」
「(だからこそ、日本のヤクザも、このベトレイアを発注してきたわけだしな!)」
中国語は聞きかじりなので自信が無いが、筋書きはおそらく、こうだ。
大陸本土から日本の暴力団を相手に、ベトレイアの取引を命じられた中国の若者達。
しかし、その効能を知った彼らは一部を失敬し、飛龍なる人物が「覚醒」。後は取引予定だった日本のヤクザどもをぶち殺し、ベトレイアを独占することで、輝かしい未来を企てているのだろう。
だが、ベトレイアの量も有限だ。その辺を考えての行動なのか、一時の気の迷いなのか。
インカムから再び声が聞こえ、沈黙は破られた。
『――本庁の組対に連絡を入れた。ひとまず、彼らと取引予定だった暴力団に対し、緊急の強制捜査に入らせる。取引の方はそれで妨害出来るだろう』
「確かに、それが一番流血の少ない結果になるだろうな」
まさか、警察がジャパニーズ・マフィアを救うことになるとは。この〝バイト〟は常識の埒外の出来事ばかりが起こって困惑してしまう。本当に恐ろしい職場だ。
「どうする? 今なら奴らも気づいていないようだし、一気に制圧を……」
ここで奇襲すれば、被害は最小限で抑えることが出来るかもしれない。五、六人とは言え、能力者は覚醒したばかりの〝インフラレッド級〟一人。自分でも対応可能だ。
紘は進言するが、インカムの向こうから『いや……』と否定の声が漏れる。
『既に〈インターフェース〉が待機している。協力して制圧を開始しろ。多対一は危険だ』
「え? アイツ、もうここに? ――了解。すぐに合流する」
半年前から組んでいる無表情な少女の顔を、紘は思い浮かべる。何を考えているのか分からない、とぼけた顔をしている一方で、政府上層から送り込まれた経歴を持つ謎多き同僚。
彼女と組むことになった紘は、毎回不安が渦巻きながらも、ペアで逐次作戦へ投入された。
「……こちら〈ARスクエア〉。〈インターフェース〉、応答を求む」
小声で通信を入れる。
『――こちら〈インターフェース〉。既にわたしは現着済みです。完璧な擬態をしているので、こちらまで来ていただいてもよろしいでしょうか?』
鈴のような少女の声が返ってきた。同時に位置情報がスマホに送られてくる。紘は不安に思いながらも重いバッグを抱え、薄暗い港を這いずり回る。『完璧な擬態』を自分が見抜けるだろうかと思ったのも束の間。位置情報の発信源に辿り着くと、
――コンテナの死角に何故か、周囲の背景とそぐわないダンボール箱が置かれていた。
周辺を取り囲む鉄製の巨大な海上コンテナ群には、鉄道会社、海運企業などの社名やロゴが大きく刻印され、ものものしい雰囲気を醸し出す。それに対し、目の前のダンボール箱は精々二百サイズであり、「紀ノ国温州みかん」の文字が躍る。どちらかといえば、ほのぼのしい。紘は一瞬だけ確認するのを躊躇したが、意を決して小声で話しかけた。
「えーっと……?」
すると、箱がゴソっと動き、数秒の沈黙後、女の子の声が、箱の中から聞こえた。
「……居ません」
和歌山県産のミカンは喋るのか。年末に課長から貰うのは愛媛県産なので知らなかった。
「……開けるぞ?」
「あれ? 居ないと言ったのに何故? まさか、わたしの擬態を見抜かれ――って、あ」
紘が無視して箱を開けると、中から両手を挙げた少女が出てきた。色素が薄く長い髪の小柄な女の子。年齢は自分より少し年下に見えるが、資料によれば同い年。まあ、この業界ほど履歴書が当てにならない世界も無いのだが。
「流石は特務二課のエース、高宮紘特務官。わたしの擬態を見抜くとは、流石です」
「VI・ヴァイオレット級にエース扱いされても嫌味にしか聞こえねーよ。そもそも、どの辺にカモフラージュ要素があったか知りたいな、
紘は呆れた口調で問いかけるが、一方の志乃はどこ吹く風といった表情だ。どこか作り物めいた、しかし、とても綺麗な顔立ちの少女。少なくとも、ものものしいコンテナターミナルとは不釣り合いだと、何も知らない人間は思うだろう。紘は頭を切り替える。
「……まあいい。志乃、敵勢力についての情報は把握済みか?」
「はい。ここから観察していた限りでは、覚醒済みはダウンジャケットを着た飛龍なる男のみのようです。他の五人は〝レディオ級〟かと。紘はどう思いますか?」
志乃がこちらを向く。「同意見だ」と返す。志乃との見解は一致した。
電磁波の周波数をモデルに、低い順から、レディオ級(無能力者)、
紘はVI・インディゴ級であり、志乃はその上、VI・ヴァイオレット級だ。
「六人目の男はおそらく覚醒初期段階だ。IR級を想定して作戦に移るぞ」
と口にしたのも一瞬。突然、埠頭一帯に大声が響く。
「(誰だ貴様!)」イライラした若者の声が辺りに響く。なんだか嫌な予感がする。
「(おい、居たか? ヤクザどもが来る前に早く見付けだせ!)」
「――――!」
一瞬、自分達が見つかったかと思った。慌てて身体を強張らせる紘。他方、志乃も慌てて段ボールを被り始める。あまり意味が無いと思うが……。
しかし、マフィア達の会話を聞いていると、どうも違うようだ。
「(女子供のようだったが?)」「(ガキか……。目撃者が居るとまずい。見つけ次第……)」
自分達以外に予期せぬ闖入者、しかも女の子がこの港に居るらしい。
「どうやら、お客様が紛れてしまったようですね?」隣の箱からくぐもった声。
同業者か? だが、他の機関が動いているとしたら余計面倒なことになりそうだ。
紘はインカムに再び小声で話しかけた。
「HQ。こちら〈ARスクエア〉。本作戦における他機関の参加状況を確認したい」
『――こちらHQ。そのような話は聞いていない。……なぜ、そのような質問を?』
「未確認だが、現場に民間人の少女が入り込んだ可能性がある。この場から逃がしたい」
ダンボール下から顔を覗かせた志乃は「マジですか?」と呆れた様子だ。
『民間人だと? ……だが、本件は極秘作戦だ。成功確率を下げるわけには……』
「民間人がみすみす危険な目に遭うのを黙って見てろ、と?」
以降、また会話が止まってしまった。作戦の成功率と民間人の命。優先すべきはどちらか、公安警察の指揮官と言えども、悩めるぐらいの矜持は失っていないらしい。
それが、国家行政内証機関の現場指揮官としては、あの男の欠点でもあり、
『……見つからないよう、留意して行動せよ。以上』
「――! 了解した!」紘が信頼している、上司であり親代わりでもある男の長所でもあった。
「志乃、これから俺は救援活動に向かう。何かあったら支援を頼む」
カタツムリのように頭だけを出した志乃は、ジトっと紘を見て、溜息をつく。
「はあ……。仕方ありませんね。公安は正義の味方ではないのですが……」
「恩に着る! じゃあ、行ってくる!」
半ば呆れた様子の相棒をその場に残し、移動を開始する。暗闇の中、鬼役のマフィアから身を潜めながら、闖入者を探す鬼役となる。ハードモードのかくれんぼの始まりだ。
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