第2話

 月の位置も天頂へと移り、地上へと届く光も薄くなってきた真夜中。


 『国際埠頭施設 保安制限区域につき 立入禁止』と掲げられた金網を乗り越えた高宮紘たかみやこうは、新卒社会人が着るような黒いスーツに身を包み、メッシュ素材の大き目なバッグを携えながら、人目につかないコンテナの陰に隠れた。腕のデジタル時計は「2017/2/1」を指す。


 バッグが重い。もっと減らしてくれば良かった。紘は内心でぼやきながら、本部から支給された無線式インカムに対し、小声で呼びかける。


「――こちら、〈ARスクエア〉。所定の位置に着いた。指示を求む」


 コンテナから少しだけ顔を出し、周囲の状況を窺う。倉庫の外には、ガラの悪い男達が数人、たむろしていた。一人だけ懐中電灯を灯してはいるが、全貌は確認できない。しかし、声はよく聞こえる。埠頭に反響するその言語は、どうやら中国語のようだ。


 五……いや、六人か……? 事前に渡された資料によれば、伝統あるチャイニーズ・マフィアの使いパシリという話だったが。紘がバッグの肩紐を固く握りしめていると、耳元でインカムから『ザザ……』と電子の砂嵐が流れ始めた。


『――こちらHQ。状況はどうか?』


 聞き慣れた男の声。自分をこの港に駆り立てた張本人は、いつも通りの冷静な口調で確認を求めてくる。国家行政内証機関第七部局・警察庁警備局特務情報部特務第二課長。それが、通話相手の官職名だ。紘は男たちに聞かれないよう留意しながら、応答する。


「視認出来たのは五から六人。全員男性で、国籍は資料どおり中国。さっき、奴らが乗ってきたトラックも確認したが、多量の、ドラッグのような粉末が零れていた」


『粉末の成分は確認したか?』


 先ほど確認した、検査キットの試験薬の色を思い起こす。


「結果は赤色。十中八九……〝ベトレイア〟だと思う」


『…………そうか』


 HQこと、課長が沈黙する。粉末が零れていたという報告を、測りかねているのだろう。


 あの男達は、密輸すべき商品の幾ばくかを自分達で試したのだ。


 そして偶然にも一人が能力に芽生え、万能感に高揚し、大はしゃぎしている。


「(やっぱすげえよ、飛龍フェイロンの能力! これなら、長老どもなんてイチコロだって!)」


「(だが、本土の爺ィどもをぶち殺す前に、まずは日本の取引先を消すのが先だ)」


「(いけるいける! どうせ拳銃程度しか持ってねえだろ!)」


「(だからこそ、日本のヤクザも、このベトレイアを発注してきたわけだしな!)」


 中国語は聞きかじりなので自信が無いが、筋書きはおそらく、こうだ。

大陸本土から日本の暴力団を相手に、ベトレイアの取引を命じられた中国の若者達。


 しかし、その効能を知った彼らは一部を失敬し、飛龍なる人物が「覚醒」。後は取引予定だった日本のヤクザどもをぶち殺し、ベトレイアを独占することで、輝かしい未来を企てているのだろう。


 だが、ベトレイアの量も有限だ。その辺を考えての行動なのか、一時の気の迷いなのか。


 インカムから再び声が聞こえ、沈黙は破られた。


『――本庁の組対に連絡を入れた。ひとまず、彼らと取引予定だった暴力団に対し、緊急の強制捜査に入らせる。取引の方はそれで妨害出来るだろう』


「確かに、それが一番流血の少ない結果になるだろうな」


 まさか、警察がジャパニーズ・マフィアを救うことになるとは。この〝バイト〟は常識の埒外の出来事ばかりが起こって困惑してしまう。本当に恐ろしい職場だ。


「どうする? 今なら奴らも気づいていないようだし、一気に制圧を……」

ここで奇襲すれば、被害は最小限で抑えることが出来るかもしれない。五、六人とは言え、能力者は覚醒したばかりの〝インフラレッド級〟一人。自分でも対応可能だ。


 紘は進言するが、インカムの向こうから『いや……』と否定の声が漏れる。


『既に〈インターフェース〉が待機している。協力して制圧を開始しろ。多対一は危険だ』


「え? アイツ、もうここに? ――了解。すぐに合流する」


 半年前から組んでいる無表情な少女の顔を、紘は思い浮かべる。何を考えているのか分からない、とぼけた顔をしている一方で、政府上層から送り込まれた経歴を持つ謎多き同僚。

 彼女と組むことになった紘は、毎回不安が渦巻きながらも、ペアで逐次作戦へ投入された。


「……こちら〈ARスクエア〉。〈インターフェース〉、応答を求む」

 小声で通信を入れる。


『――こちら〈インターフェース〉。既にわたしは現着済みです。完璧な擬態をしているので、こちらまで来ていただいてもよろしいでしょうか?』


 鈴のような少女の声が返ってきた。同時に位置情報がスマホに送られてくる。紘は不安に思いながらも重いバッグを抱え、薄暗い港を這いずり回る。『完璧な擬態』を自分が見抜けるだろうかと思ったのも束の間。位置情報の発信源に辿り着くと、


 ――コンテナの死角に何故か、周囲の背景とそぐわないダンボール箱が置かれていた。


 周辺を取り囲む鉄製の巨大な海上コンテナ群には、鉄道会社、海運企業などの社名やロゴが大きく刻印され、ものものしい雰囲気を醸し出す。それに対し、目の前のダンボール箱は精々二百サイズであり、「紀ノ国温州みかん」の文字が躍る。どちらかといえば、ほのぼのしい。紘は一瞬だけ確認するのを躊躇したが、意を決して小声で話しかけた。


「えーっと……?」


 すると、箱がゴソっと動き、数秒の沈黙後、女の子の声が、箱の中から聞こえた。


「……居ません」


 和歌山県産のミカンは喋るのか。年末に課長から貰うのは愛媛県産なので知らなかった。


「……開けるぞ?」

「あれ? 居ないと言ったのに何故? まさか、わたしの擬態を見抜かれ――って、あ」


 紘が無視して箱を開けると、中から両手を挙げた少女が出てきた。色素が薄く長い髪の小柄な女の子。年齢は自分より少し年下に見えるが、資料によれば同い年。まあ、この業界ほど履歴書が当てにならない世界も無いのだが。


「流石は特務二課のエース、高宮紘特務官。わたしの擬態を見抜くとは、流石です」

「VI・ヴァイオレット級にエース扱いされても嫌味にしか聞こえねーよ。そもそも、どの辺にカモフラージュ要素があったか知りたいな、天祐志乃てんゆうしの特務官?」


 紘は呆れた口調で問いかけるが、一方の志乃はどこ吹く風といった表情だ。どこか作り物めいた、しかし、とても綺麗な顔立ちの少女。少なくとも、ものものしいコンテナターミナルとは不釣り合いだと、何も知らない人間は思うだろう。紘は頭を切り替える。


「……まあいい。志乃、敵勢力についての情報は把握済みか?」

「はい。ここから観察していた限りでは、覚醒済みはダウンジャケットを着た飛龍なる男のみのようです。他の五人は〝レディオ級〟かと。紘はどう思いますか?」


 志乃がこちらを向く。「同意見だ」と返す。志乃との見解は一致した。

UNITI国連規格外技術機関が策定した尺度によって、超能力者は能力の強度が認定されている。


 電磁波の周波数をモデルに、低い順から、レディオ級(無能力者)、IRインフラレッド級(初期能力者)、VIヴィジブル級(脅威能力者)、UVウルトラヴァイオレット級(戦術級能力者)、Xレイ級(都市破壊級能力者)とされている。特にⅤI級は可視光線を参考に赤橙黄緑青藍紫の序列が存在し、細かい区分けがされている。若干適当な面も否めないが。


 紘はVI・インディゴ級であり、志乃はその上、VI・ヴァイオレット級だ。


「六人目の男はおそらく覚醒初期段階だ。IR級を想定して作戦に移るぞ」


と口にしたのも一瞬。突然、埠頭一帯に大声が響く。


「(誰だ貴様!)」イライラした若者の声が辺りに響く。なんだか嫌な予感がする。

「(おい、居たか? ヤクザどもが来る前に早く見付けだせ!)」


「――――!」


 一瞬、自分達が見つかったかと思った。慌てて身体を強張らせる紘。他方、志乃も慌てて段ボールを被り始める。あまり意味が無いと思うが……。


 しかし、マフィア達の会話を聞いていると、どうも違うようだ。


「(女子供のようだったが?)」「(ガキか……。目撃者が居るとまずい。見つけ次第……)」


 自分達以外に予期せぬ闖入者、しかも女の子がこの港に居るらしい。


「どうやら、お客様が紛れてしまったようですね?」隣の箱からくぐもった声。

同業者か? だが、他の機関が動いているとしたら余計面倒なことになりそうだ。


 紘はインカムに再び小声で話しかけた。


「HQ。こちら〈ARスクエア〉。本作戦における他機関の参加状況を確認したい」

『――こちらHQ。そのような話は聞いていない。……なぜ、そのような質問を?』

「未確認だが、現場に民間人の少女が入り込んだ可能性がある。この場から逃がしたい」


 ダンボール下から顔を覗かせた志乃は「マジですか?」と呆れた様子だ。


『民間人だと? ……だが、本件は極秘作戦だ。成功確率を下げるわけには……』

「民間人がみすみす危険な目に遭うのを黙って見てろ、と?」


 以降、また会話が止まってしまった。作戦の成功率と民間人の命。優先すべきはどちらか、公安警察の指揮官と言えども、悩めるぐらいの矜持は失っていないらしい。

 それが、国家行政内証機関の現場指揮官としては、あの男の欠点でもあり、


『……見つからないよう、留意して行動せよ。以上』

「――! 了解した!」紘が信頼している、上司であり親代わりでもある男の長所でもあった。


「志乃、これから俺は救援活動に向かう。何かあったら支援を頼む」


 カタツムリのように頭だけを出した志乃は、ジトっと紘を見て、溜息をつく。


「はあ……。仕方ありませんね。公安は正義の味方ではないのですが……」

「恩に着る! じゃあ、行ってくる!」


 半ば呆れた様子の相棒をその場に残し、移動を開始する。暗闇の中、鬼役のマフィアから身を潜めながら、闖入者を探す鬼役となる。ハードモードのかくれんぼの始まりだ。

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