第3話

 こそこそと歩き回っていると、帽子を目深に被った背の高い少女が、黒いノートPC片手にコンテナの陰に潜んでいるのを発見した。帽子に収まらなかったのか、茶色く長い髪が飛び出ている。若い。同年代かもしれない。少女の方へと静かに接近する。紘に気付いた少女は声をあげそうになるが、「静かに」と唇に人差し指を当てて黙らせた。


「あ、あなたは、どちらさまですの?」


 お嬢様然とした少女が問いかけてくる。それを聞きたいのはこちらの方だ。


 ――ふと、何処かで会ったことがあるような気がした。しかも、よく知っている人のような。


 だが、自分に令嬢の知り合いは居ない。紘は一瞬の疑問を頭から消した。

こんな時間にどんな不良かと思いきや、浮世離れした、不思議な佇まいを感じさせる謎の少女。民間人かどうかは、いまいち判然としない。


「それはこっちが聞きたい。君が誰かは知らないが、早くこの港から出るんだ。ここはヤクザの取引場所だ。さっさと逃げろ」


 紘の言葉は少女の興味を引いたようだ。興味津々な口調で質問してくる。


「や、ヤクザ屋さんの取引場所ですの? 銃器ですか薬物ですか外国人斡旋事業ですか?」

「……女の子がそんなに身を乗り出すような話題をした覚えはないんだが?」


暴力団がマカロン取引業者じゃないことを教えてやりたいが、時は一刻を争う。


「だいたい、こんな真夜中にどうしてこんな場所に?」


 小声で話しかけると、少女は大声を出しているマフィアの方をチラチラと見やる。


「港湾施設における屋外照明の基準照度達成率が突然気になって、実地で資料収集に来たのです。そしたら、騒がしい男達が私の姿を見るなり襲い掛かってきて……」

「……研究テーマの方向性はよく分からないが、それで逃げ回っていたというわけか……」


 正直、何かの罠の可能性もある。が、自分とて国営ヤクザの端くれ。工作員や他の暴力団員ではないことを祈り、紘は警戒しつつも問い掛ける。必然、バッグの存在も意識する。

 嘘をついているとしたら何処かの組織の工作員だし、本当なら別の意味でヤバい奴だ。

 少女は、紘の方をジロジロと眺めて聞き返す。こちらも怪しまれているようだ。


「貴方こそ、何者ですの? 何故、こんな時間に、こんなところに居るのです?」

「俺のことはどうでもいい。実地調査は終わりだ。俺が奴らの気を引く。君は逃げろ」


 すると少女は、今度は目を丸くし、少しだけ驚いた様子を見せた。


「貴方がおとりに? それは危険です。第一、私を助けても何の得もありません」

「俺は警察官だ」


 その一言で、懐疑の視線は疑惑の視線へと変わっていた。少女は悩まし気に一言。


「…………お若いのですね?」


「全然、そんな年齢に見えないだろうけど、今年で二五なんだ」「……本当ですか?」


 心底怪しそうな目で訊いてくる。もちろん、本当は一六歳なので大嘘もいいところだ。

 しかも所属は組対どころか公安である。しかし、そんなことを説明する暇はなかった。


「(おい、居たか? ヤクザどもが来る前に早く見付けだせ!)」


 イライラした若者の声が辺りに響く。少女もなんとなく状況を理解したようだった。


「――いいから。ほら、俺はこれから奴らの方へ飛び出す。その隙に君は逃げろ」

「貴方の仰っていることは分かりました。でも――」


 少女はチラ、と荒れ狂う男達に視線を向ける。とても不安げな様子だ。怖がっているのかもしれない。少し変なところはあるが、やはり見た目通りのお嬢様なのだろう。


 紘は少女の両肩を優しく叩き、目を覗き込む。訓練で教わった救助者への対処法だ。


「大丈夫。誰か大切な人のことを考えるんだ。そうすれば、力が湧いてくる」


 少女は少しだけ呆気に取られた顔をした後、


「……なら、若いお巡りさんのことを考えてみますわ」


 にっこりと、少しだけからかうような口調で言ってきた。紘も笑って返答する。


「はっ、冗談が言えれば十分だ。――よし、行くぞ」


 そう言って紘は、闇夜の中、倉庫入口へと移動し、その辺に落ちていた石を放り投げる。


 地面を打つ音が辺りにこだまし、「(誰だ! そこに居るのは⁉)」と声が響く。


 男達がこちらへと近づいてくる。全員、こちらへ釘付けだ。――よし!


「す、すみません……僕のことでしょうか……?」


 紘はおどおどした様子で、両手を挙げて飛び出す。男達の後方で、先ほどのお嬢様がPCを片手に、こっそりと駆けていくのが見えた。勇気を出してくれて良かった。


 そんな彼女は少しだけこちらを振り返る。が、すぐに闇夜に消えていった。それでいい。

 男達は彼女には気付かなかったようだ。逃亡作戦は成功した。

 喜びも束の間。彼らは紘の事を怪しげに睨みつける。人数は六。多勢に無勢。


 ――普通ならば。


「(女じゃなくて男だったか)」「(おい! お前、ここで何をしている⁉)」


 中国語で捲し立てられる紘。ぶるぶると震えながら、返答する。


「す、すみません! 日本語しか分かりません! I don`t speak English !」


 矛盾だらけの返答をすると、ダウンジャケットを着こんだ男が前に出てきた。


「おい、どうしてお前はこんなところに居る?」


 どうやら、日本語が喋れる奴が出張ってくれたらしい。


「ぼ、僕、夜中によく、ここに散歩に来るんです。夜風に当たるのが気持ちいいなあって」

「ほーう、散歩ねえ」


 男の一人が紘の抱える荷物に気付き、「(おい、飛龍! その鞄の中身を差し出させろ!)」と指をさしてくる。――飛龍。このダウンジャケットの男が、覚醒者か……。


 飛龍と呼ばれた男は、猫撫で声を使い、優しく話しかけてきた。


「おい、その鞄を渡してくれねえか?」「え、いや、これは……」「(いいから、見せろ!)」


 横から別の男にひったくられる。そして、スポーツバッグの中身をぶちまけられた。


「ああっ……‼」「(おいおい! なんだこりゃ!)」


 転がり出たのは、銃、銃、銃、銃。マガジン、薬莢、サバイバルナイフ、ゴーグルetc。


「げっ⁉ お前、武器商人か何かか?」


 男達の眼に警戒の色が一斉に走る。当然だ。ごくり、と生唾を飲み込む鉱。


「ぼ、僕、サバゲーが――あっ、サバイバルゲームが好きで、よくここで練習してるんです……」

「ふーん、最近の玩具はよく出来てんなあ」


 そして、ダウンジャケットの男――飛龍は問いかける。「撃ってみていいか?」と。


 紘は震えながら黙って頷く。飛龍が一丁を取り出して引き金を引くと、乾いた音とBB弾が飛び出す。その後「本当にエアガンだったみてえだな」と呟いた。


「(おい、残りも試すぞ!)」


 弾ける炸裂音は、男達によって次々放たれたBB弾だ。


 男がナイフで刃先をなぞるが、指先に裂け目も生じない模造品であることを理解する。


「(もういいだろう。練習、邪魔したな)」他の男が乱暴にスポーツバッグを放り投げた。


 紘は慌ててキャッチする。飛龍も、エアガンを紘の方へ持ってきた。


「これは返す。だが、これからは〝ホンモノ〟の時間だ。ガキはさっさと帰って寝ろ」


「は、はい!」取り乱した様子で、紘はエアガンを手で受け取ると、マフィアの一人が、

「(おい! 殺さなくて大丈夫か⁉)」

「ここにヤクザどもが来たとき、死体が転がっていると警戒されるだろ?」


 どうやら、目撃者を消す、といった結末にはならなそうだった。しかし、安心したのも束の間。飛龍なる男は、紘の髪の毛を掴み、凄みをきかせた形相で脅迫する。


「――だがな、警察にはチクるなよ。いつでも俺達は、お前を殺しに行けるんだからな?」

「わ、分かりました……つ、通報なんてしません……」


 そんな情けない声を出しながら、紘は手渡されたエアガンを握り締め、


「――――――――だって、警察は俺だから」


 同時、薬莢が炸裂した音が鳴り響く。飛龍の身体は唐突に崩れ落ち、彼が倒れこむ音と、あまりにも呆気ない死が、他の男たちの時間を止めた。「…………は?」

 紘が持つ銃からは、硝煙が立ち込める。BB弾ではなく、本物の銃弾が放たれたのだ。


「(てめえ!)」

「(どこに銃を隠していやがった!)」


 続けざま、紘は男達の頭、心臓、こめかみなど、なるべく致命傷となる部分を狙い撃つ。

 破裂音と薬莢が転げ落ちる音が響くと同時、アスファルトに緋色の花が咲いた。


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