第9話
その後、注文した料理も揃い、三人で食べ始める。紘は三種フライ、芹那はミックスグリル、蘭子はパスタ。それぞれが半分ぐらいまで食べ進めたところで、蘭子がおもむろに口を開く。
「――そういえば紘くん、知ってる? 例の噂のこと」
紘が「なんのことですか?」と首を傾げると、蘭子は周囲をキョロキョロと見回し、テーブルを乗り出して、紘の耳に近づき、囁く。
「国家行政内証機関が再編されるって噂、聞いてない?」
「……初耳です。そうなんですか? どうして、このタイミングで?」
国家行政内証機関とは、日本国政府が保有する、規格外技術の監視・運用・規制を目的に創設された極秘組織群の総称だ。警察庁警備局特務情報部に第七のナンバーが与えられていること自体は、紘たちにとって周知の事実ではあるものの、他の内証の名称や規模、総数などは、実は殆ど知らされていない。
内証は、特定秘密などを超越した、この国の暗部の象徴でもある。
「私も一課から聞いた話で確証はないんだけど、いま、官邸の動きが少しおかしいらしいの。治安省庁の会議が何度も開催されたりして、議題に内証制度の改正案が何度も上がってるとか」
特務第一課は成人超能力者を構成員とする部署で、身分は本物の警察官である。
ファミレスで高校生がこんな話を議題に上げている方がよっぽどおかしい気がするが、生活が掛かっている以上、職場の動向を把握するのも処世術の一環である。
「でも、そんな突然……。最近何かありましたっけ? 事件とか国際情勢の変動とか」
「陸自の日報問題とか? でも、あれは表の事件だし、内証制度とは関係無いような……」
自衛隊日報問題。南スーダンに派遣されていた陸上自衛隊が、現地で戦闘が発生していた事実を国会に隠蔽したとされる疑惑。官邸や防衛省が上から下への大騒ぎ、という話はテレビで何度も観てはいたが、公安畑の紘には遠い世界の出来事のように思えていた。
「自衛隊の法的立場は置いといて、軍隊に規格外技術は扱えませんからね」
国家間で極秘裏に取り交わされたミラノ条約により、各国軍隊は規格外技術に関する組織の設置を禁じられている。規格外技術とは、現行の人類社会を一変させかねない超科学技術や、超能力などを指し、それを軍事転用しようものなら、UNITIの
強制査察権が行使される。
最悪の場合、国際間で秘密裡に吊るし上げられ、経済制裁だって受けかねない。
「それと……。まあ、これは一課の人達が悪ふざけで言ってた噂なんだけど。――実は、人造の超能力者が極秘に製造されていて、私たちはお役御免になるんじゃないか、とかね……」
「…………一課の連中は、月刊ムーの愛読者なんですか?」
疑いの眼差しを向けると、蘭子は「いや、みんな信じてないけどね⁉」と抗弁する。
「超能力の人為的再現は不可能。それが、各国の公式見解ですからね」
超能力者。それはイヴ、そしてエムザラと呼ばれる二つの遺伝子が組み合わさることによって、偶発的に誕生する存在だ。
イヴ遺伝子は超能力の種類、紘で言うなら「模造品の武器を本物に変換する能力」の発現方法が記載されている。
一方、エムザラ遺伝子は、超能力を発現させるために必要な零座標エネルギーを変換するための、内燃機関である。
イヴ遺伝子とエムザラ遺伝子は強固に結びついており、引き離すことが出来ない。灰色の絵の具を白と黒に分けることが難しいように。また、エムザラ遺伝子は特定のイヴ遺伝子にしか反応しない。例えば、紘のイヴ遺伝子と蘭子のエムザラ遺伝子を無理やり取り出し、別の人間に移植しても能力は発動しない。エムザラには固有の色が付いているのだ。
そもそも、両遺伝子は採取、培養が非常に難しく、他人への移植は実質不可能。特にエムザラは次世代に引き継がれても発現することは稀で、仮に能力者のクローンを作ったとしても、何故かエムザラ遺伝子を持たない人間が生まれるという研究結果も出ている。この現象については、〝神の理〟などと呼ぶ研究者も居るらしい。
「でも、そんな研究結果が出ているってことは、クローン人間を造った国家や企業があるってことだよね? 怖すぎない?」
「……まあ、クローンやデザイナーべビーの製造は法的に禁止されてるとはいえ、そもそもこの界隈が法律上の埒外にありますし。ともかく、ヒトクローンは造れても、人工の超能力者は造れないのは確かなはずです。超能力の人為的再現が出来るなら、芹那の身体ももう少しは良くなるんですけどね……」
「ほへ?」とチキンを頬張りながらアホ面を下げる妹を紘は眺める。
芹那はエムザラ遺伝子しか持たない、無能力者である。イヴ遺伝子を持たないため、特定の超能力を発動させることが出来ず、しかし、エネルギー暴発の危険性を孕む、非常に危うい身だ。特務の定期的な治療で、芹那はかろうじて日常を送れているに過ぎない。
だから紘は、生活の稼ぎや身の安全の保障とは別に、超能力というシステムを解明する手掛かりを探している。芹那に本当の自由を与えるために。
「そうだねえ……。そういえば、昨日の〝ベトレイア〟は何かの手掛かりにならないの?」
「あれは元々、エムザラの機能不全者を覚醒させる薬物っぽいですね。だから、遺伝子を持たない奴は効果がない。昨日の飛龍って男は偶然当たりを引いたようですが」
だが、休眠中のエムザラ遺伝子を覚醒に導く技術は確立されていない。出所が分かれば、芹那の治療が進む可能性もある。だから課長は、あんなに必死になっているのだ。
「まあ、人造人間の話は置いといて。内証再編の方は、何が起こるか予想出来ませんね」
組織改編のせいで芹那の検診が反故にされたら堪らない。紘が頭を悩ませていると、
「ねえ、ねえ、なんの話をしてるの? まさかお兄ちゃん、遂にクビになるの?」
遂に、とはなんだ。すると蘭子も悩まし気に腕を組みだし、悲しいトーンで喋り出した。
「うーん、確かに紘くんは反抗的だし、忠誠心も足りないし、組織再編の折には真っ先にパージされそうな人材ではあるかもしれないけど……」
「ちょっとちょっと、蘭子先輩?」なんて酷い発言だろうか。
「うう、今日は外食の食べ収めかもしれないんだね。記憶に焼き付けておくよ……」
「芹那お前、何のお陰で飯が食えてると思ってるんだ?」「茶碗と箸」
ちなみに、今両手に握られているのはナイフとフォークだ。そういう意味じゃないが。
そんな下らないやり取りをしながら、夜が更けていく。蘭子の話を聞きながらも紘は、自身の少しおかしな日常が、それでも今の形で続いていくと、思っていた。
数日後。高宮紘は、永遠に続く日常など無いということを、思い知らされる。
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