第8話
志乃が部長室を目指して歩を進めていると、医務室から見知った顔が出てきた。
「あ、志乃ちゃんだ! ねえねえ、今夜みんなでご飯食べに行こうよ!」
コウの妹、高宮芹那。特務二課の構成員では無いが、超能力発現遺伝子の異常性から、被研体となる代わりに治療を受けている少女。その関係から、何度も面識のある人間だ。
「こんにちは、芹那。実はこれから部長室に行くのです。残念ですが、また今度ということで」
芹那は目を見開いて大きな声を出す。兄に似ず、賑やかな性格の女の子だ。
「ええっ⁉ よく分からないけど、志乃ちゃんは実力者なんだね⁉」
「ふっ。まあ、わたしは一線を画する能力者ですので。残念ですが、三人で楽しんできてください」
志乃が努めて優しい声を出すと、芹那はこちらへ走り込み、抱き着いてきた。
「えー、寂しいよー! お兄ちゃんも、志乃ちゃんが来ないと残念なんじゃないかなー」
「コウが?」と志乃は少しだけ驚く。
「お兄ちゃん、任務終わった後、いつも志乃ちゃんの話するんだよ。『今日はあいつのせいで、ああだった、こうだった!』って」と芹那。
「……そうですか。それは良いことを聞きました」
志乃は、「お詫びに、いいことを教えましょう」と人差し指を立てて、芹那に提案した。
*
紘が課長室のドアを閉めると、前方から人影が近づく。
仕立ての良いスーツに身を包んだ壮年の男が一人。年齢は六十手前というところか。背筋はピンと張っている。
表情こそ温和だが、その眼光は鋭く、覗いたら視線で射貫かれそうだ。
紘はおっかなビックリとしながら、すれ違い様、会釈をして通り過ぎた。
男がこちらの顔を認識すると、一瞬だけ驚いたような素振りを見せた。だが、彼はすぐに会釈を返し、何事も無かったかのように、紘が先ほどまで居た第二課長室のドアを叩く。
巨永の予定とは、この男との打ち合わせだったのか。
「どうぞ」と巨永の声が聞こえ、男は部屋へと入っていく。特に異変は無い。
何の用だろうかと気にはなったが、紘は踵を返し、芹那が待っている医務室へと向かう。
だが、すれ違った男が見せた表情に対し、紘は違和感を拭うことが出来なかった。
*
「わたしです。先ほど部長から命令書を拝受しました。ええ。急な話ですね。さすが、ブラック霞が関の頂点というべきでしょうか。……分かりました。すぐに行動に移ります。はい。まだ尾行はついていないようです。彼らもまだ、わたしの所在までは突き止めていないようですね……。了解です。それでは、直ちに出国します」
――次席護国官殿。そう言って、彼女はスマホの通話を終える。
*
社畜ならぬ国畜が生息する霞が関に、中高生が入れそうな店は中々ない。あるのは共済組合が運営している庁舎内の食堂ぐらいで、子供が入れるような雰囲気でもない。
というわけで、紘たちは赤坂見附まで移動し、適当なファミレスで夕餉を済ますことにした。
紘の前に蘭子が座り、その隣を姉に甘えるように芹那が陣取り、メニュー表を開く。
「ひゃっはー! ファミレスだ! 肉だ! ドリンクバーだー!」
バカが大はしゃぎでミックスグリル的な何かを店員に頼み終わると、そのまま清涼飲料水をミックスした液体を作りに消えていった。楽しそうで何よりだ。蘭子がクスリと笑う。
「ふふ。芹那ちゃん、検査で何事も無くて良かったねー」
「ええ。学校も問題なく通えているし、安心しましたよ」
小学生の頃は大変だった。父が亡くなった上に、病気で欠席がちの上、兄は何処かの秘密区域で戦闘訓練。あの頃の情緒不安定具合に比べれば、今の生活が嘘のようだ。紘が旅愁を懐かしむような表情をしていると、蘭子もしんみりとした口調で言う。
「私も。今だって大変だけど、昔に比べれば全然。この生活が水にあっているみたい」
訓練施設で出会う前の彼女の経歴を、紘は知らない。本人は組織でも学校でも明るく振舞っているが、想像を絶する人生だったらしい、という話だけは巨永からは聞いている。
「俺はうんざりですけどね……。芹那の治療が無ければ、さっさと辞めていますよ」
うんざりとした様子で言うと、蘭子が「またまた~」と指で頭を突っつく。
「昨日、女の子を助けに飛び出した件、志乃ちゃんに聞いたよー。裏稼業にありながら正義を全うする高宮特務官。意外と本当に警察官に向いてたりして~」
「やめてくださいよ。俺はただ、何かあったら寝覚めが悪いなと思って……」
蘭子にからかわれ、不機嫌になる。昔からそうだった。何も悪くないのに理不尽な目に遭うこと、何の罪もないのに苦しむ人が居ることが嫌で嫌で堪らなかった。それで痛い目を見たことだって何回もある。今回だって、民間人の女の子を優先しなければ、あそこまで被害を拡大させることも無かったのに。
今ではそれなりに分別もついてきたが、それでも紘は、その性分が抜け切れないまま、公安の秘密組織に身を置いている。
公安警察。それは、警察庁警備局を頂点とする我が国警察における情報機関の総称だ。
戦前の特高警察を引継ぐこの情報機関群は、この国の影で様々な謀略活動に関与してきた実績を持つ。
本来、都道府県警察本部とは、地方公共団体である都道府県に置かれた公安委員会管理下の法執行部門である。
その法執行部門には刑事部や交通部、生活安全部などが置かれ、日夜警察官がその管轄区域で活動に従事する。
だが、道府県警察本部に置かれる警備部公安課、そして、首都警察に置かれる警視庁公安部は自治体警察の中にある国家直属の部隊である。
その指揮権を握るのは、内閣府の外局、国家公安委員会に置かれた特別の機関、警察庁であり、その所管部局である警備局だ。
その警備局の中に設けられた超能力者による秘密部門こそが、特務情報部であった。
「それにしても、あーあ。志乃ちゃんと親交を温めたかったなー」
蘭子が天を仰いで意気消沈する。だが、紘は別の意味で志乃の事が気がかりだった。
喜怒哀楽を一切示さない鉄面皮のくせに、言動の端々から見えるあっけらかんとした性格。そして、政府上層から送り込まれた素性不明の経歴を持つ謎の少女。
そんな彼女と一緒に居ると、紘は遠い昔に置き去りにしてきた、忘れ物を思い出すような感覚に襲われる。そして、いつもその忘れ物が何か大切なものだった気がしてならないのだ。
「……課長に釘を刺されましたよ。この案件には障らないように、ってね」
「あの様子だと、課長も理由を知らないみたいだったよねー。謎は深まるなあ……」
二人で腕組みをしながら思索に耽っていると、芹那がテーブルに戻ってくる。
「お待たせー。蘭子先輩とお兄ちゃんの分も持ってきたよ!」
妹の両手には、よく分からない色をした溶液が三つあった。
「ありがとー、芹那ちゃん! ……この、どす黒い悪意の塊は、一体、何かなー?」
「おい、なんだそのダークマターは? 人間の飲み物じゃないだろ頭おかしいのか?」
〝食べ物で遊ぶんじゃない〟といつも言っているのに。育て方を間違えたか。
紘の前にもダークマターが置かれた。そして、芹那は涙ぐむ。
「さっき会ったとき、志乃ちゃんが言ってたの。『騙されたと思って飲んでみてください。わたしの出向元で流行った極秘カクテルです』って……」
超絶嘘に塗れていそうだったが、蘭子は逆に変なスイッチが入ったようだった。
「志乃ちゃんのおススメなら、私達は飲むしかないよ、紘くん! 出向元の極秘レシピなんて、志乃ちゃんの本質に近づくチャンスかもしれないよ⁉」
「騙されているようにしか思えないんですが……」
「何言ってんの、お兄ちゃん! ほら、三人で志乃ちゃんの分も楽しもう!」
そして三人はダークマターの入ったグラスを掲げ、蘭子による乾杯の音頭と同時、一斉に溶媒を胃の中に流し込んだ。蘭子と芹那は見るからに吐きそうな表情を浮かべていた。
憎悪はヒトが持つ一番強い感情らしい。
――そうか、天祐志乃は某機関の刺客だったのだ……。
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