第7話

 霞が関と永田町にほど近い立地に建てられたビル。正面玄関には「株式会社SSI」の看板が目立たないように掲げられている。


 紘と芹那は、その横に埋め込まれた入退管理システムに赤いIDカードかざし、開かれた自動ドアをくぐる。


 そして、芹那が「医務室」と書かれた部屋に入るのを見送ると、その足で三階に拠を構える「特務第二課長室」をノックし、入室する。「失礼しまーす」と気怠そうに入ると、既に志乃と蘭子が男の前に立っていた。


二人は振り向き、「あ、来ましたねー。噂の〈ARスクエア〉が」


「昨日の被害総額は100万円だそうです、コウ。税金の重みを知っていますか?」と口々にからかってくる。


 一方、彼女達の前に座る男はひどく不機嫌な顔で紘を見て、


「紘。なんだ、この報告書は? もう少し読みやすく書けないのか?」


 木製の高級そうな机の主は、手元の紙束を放りながら、ふんぞり返って言い放った。


「勘弁してくれよ……。眠い中、目をこすりながら書いたんだぜ、それ」


 紘は欠伸をしながら抗弁する。その雰囲気からは、目の前の男に対する気安さがあった。


 志乃と蘭子は、その様子を興味深そうに眺めている。


「文書主義は我が国政府の根幹だ。お前も特務官として、公共の安寧を司る文章を作成している自覚を持て。蘭子、志乃。近々、こいつに書き方を教えてやって欲しい」

「りょーかいです、課長! ――だってさ、紘くん?」

「課長の仰るとおりです、コウ。近頃は改ざんして怒られている省庁もありますしね」


 二人の言動は無視して、紘は巨永に対して反論を試みる。


「だいたい、何が公共の安寧の維持だよ。超能力者を確保するための、体のいい公安の私兵部隊じゃないか、この組織は……」


 課長室に置かれた書物の数々に目をやる。本棚には「警察法解説」や「わかりやすい刑法」といった法令の解説本から、「CIAファイル」「中国共産党の近年の動向」、「超能力者運用マニュアル」といった、お近くの書店でお求め出来なさそうな書物が棚に飾られていた。


「だが、この組織の存在そのものが、未成年超能力者保護の生命線であることも確かだ。お前たちの明日のためにも、今後はより一層、奮闘するように」

投げ遣りに「はいはい」と返す。厳しいが、事実でもある。


 部屋の主も紘の態度をどう捉えたのか、「ふん」と鼻を鳴らす。


 特務情報部特務第二課長・巨永幸彦とみながゆきひこは、警察庁のキャリア官僚だ。


 階級は警視長。国家に協力する超能力者の中でも、少年少女のみで構成されたこの特務第二課の主であり、非合法な諜報機関の指揮官でもあり、紘をこの組織に引き込んだ張本人でもあった。


「それはそうと。――志乃。先ほど部長がお前を呼んでいた。報告業務はこれぐらいにして、すぐに部長室へ向かってくれ」


 瞬間、少しだけ志乃の身体が強張る。彼女には珍しい、違和感のある雰囲気。蘭子は気付いていないようだが、紘には何となく、それが感じ取れた。


 しかし、志乃は一呼吸置くとすぐに姿勢を正し、ビシッと切れ味の良い敬礼をする。


「承知しました。天祐特務官、報告業務を終了します」


 現役警察官に勝るとも劣らない、見事な動作だった。


「部長が下っ端を呼びつけるなんて珍しいねー。やっぱり志乃ちゃんには隠された秘密があるのかなー?」


 先ほど見せた違和感を払いのけた志乃は「ふっ、ミステリアスな女は魅力が増して困りますね……」などと言って誤魔化す。そして、巨永が抑揚のない声でにべもなく告げた。


「蘭子。志乃には出向元からの秘密命令が下されている。命令発信源も任務内容も全てが極秘だ。口外することも許されない。――察してやれ」


 蘭子は「はーい」と笑って返す。元より教えて貰えるとは思っていなかったのだろう。


 紘はあらためて、まじまじと志乃を眺める。


 天祐志乃。〈インターフェース〉の称号を持つⅤI・ヴァイオレット級能力者。この高位能力者が内証第七にやって来たのは半年前の話だ。 

以来、バディを組まされてはいるが、紘は彼女の素性も過去も、殆ど知らない。


「それでは、コウ、蘭子。今日はこれにて失礼します」

「えー? 報告業務が終わったら、一緒にご飯行こうと思ったのにー」

「そうだな。芹那も志乃には会いたがっていたし」


 すると志乃は「芹那が? そうですか……」と少し逡巡した様子で呟く。

どうしたのだろうか。


「……芹那には後で会っておきます。では、二人とも、また」


 志乃が課長室から去って行くと同時、蘭子の残念そうな声が響き渡る。


「あーあ、志乃ちゃんとご飯行きたかったなー。課長、私もこれから訓練に行きますので、これにて失礼します!」

「分かった。綾崎特務官の報告業務も以上とする」

「では、退室します! ――じゃ、紘くん、また後で! 芹那ちゃんも連れてきてねー」

「はいはい」


 蘭子が颯爽と退室する。それを契機に、室内の雰囲気が変わった。


「……志乃の素性には分からない部分が多い。部長でさえ把握しているかどうか……。さっきも言ったが、くれぐれも、余計なことを調べたりはするな」


 巨永から刺すような視線が紘へと注がれる。「分かってるよ」と紘は答える。


「二課に所属する連中は、そんな事情持ちばかりだ」


 そう言って巨永は、この話は終わりだとばかりに報告書をしまい、別の書類を取り出す。


「次にお前の事情についてだが……。芹那の状態も、最近は小康状態にあるようだな」


 紘の事情。特務二課に居る最大の理由。妹である芹那の存在。


「……芹那も最近は休まず登校してるよ。父さんが死んだ頃を思うと、別人みたいだ」

「…………だが、医務官からの報告によれば、投薬の効果も少々怪しいとの報告が上がっている。やはり〝エムザラ遺伝子〟に対する根本的な治療法を探す必要があるだろうな」


 考え込む巨永に対し、紘は身を乗り出して言う。


「課長。その件について、レポートにも書いたが……。俺にはどうも、あの〈ベトレイア〉って覚醒剤が何か関係あるような気がして……」


 紘の言に対し、「今日お前を呼んだのは、その件についてだ」と、巨永の目つきも変わる。


「報告書によれば、飛龍なる男は、途中から発火能力の段階を上げたようだな?」

「――? あ、ああ……。最初は手からしか火炎を出せなかったのに、いつの間にか遠隔発動が出来るようになっていたみたいだ」

「なるほど。人為的な超能力発現は、中国ならではの研究だろう。拘束した少年が目覚めたら、尋問についても検討する。お前も同席しろ。便宜を図ってやる」

「ほ、本当か、課長⁉」と、紘は執務机に身を乗り出すようにして巨永に迫る。

「安易な期待は禁物だがな。手繰り寄せた蜘蛛の糸だ。この機会を逃す手は無い」


 巨永も険しい表情ながら、逸る気持ちを抑えられないようだった。しかし、ちら、と「16:25」を指す卓上の時計を見やり、何かを思い出したように言う。


「話を続けたいところだが、この後、別の面会予定が入っている。悪いが、尋問の話は後日詰めさせてくれ」紘は頷いた。「分かった。また、都合がいい時に連絡を入れてくれ」


 そう言って、紘は課長室を退散する。外に出て扉を閉める直前、


「これが少しでも、芹那への償いになることを祈るまでだ……」


 巨永の声が漏れ聞こえた。紘は何も答えず。目を伏せて扉を閉めた。

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