第6話
我が国政府には、国民からひた隠しにしている秘密が三つある。
例えば、超能力。もっぱらフィクションとされているこの異能力は、実在する。
例えば、少年戦闘員。漫画やアニメのような、世間の裏で戦う少年少女は、実在する。
例えば、秘密機関。スパイ小説のような、国民に開示されない極秘組織は、実在する。
国家行政内証機関第七部局・警察庁警備局特務情報部特務第二課。それが、「株式会社SSI」のバイトを隠れ蓑に、超能力者の高宮紘が所属する、秘密組織の正式名称だった。
*
肩まで届く黒髪をたなびかせながら、
そして、千円札の代わりに、何故買い食いの履歴が記載されたレシートが入っているのか。答えはまだ見つからない。芹那には大いなる謎であったが、友人に借りるのも気が引けた(この間も借りたから)。
ならば、高等部に居る兄の元へ、金をせびりに行けばいい。
そうして芹那は、連絡通路を抜け、神代学園高等部1年A組へとやって来た。
「やっほー、お兄ちゃん!」
果たして、兄である高宮紘は神代学園1年A組の机に突っ伏して寝ていた。
頭の下には反発力の高そうな簡易クッションが敷かれ、首にはネックピローまで巻かれている。机の側面には黒地に蛍光色が目立つエナジードリンクが置かれ、良質な 睡眠とスッキリした寝起きの両立に余念がない。
昼休みといえば、学校の友人と交遊し、日常的青春を謳歌する時間ではないのか。
なぜ、「残業に備えて寝だめするかー。昨日も寝れなかったし」みたいな社会的畜生の真似事なぞしているのか。我が兄ながら、不憫だ。芹那が目を覆っていると、一人の少女が近づく。
「やっほー、芹那ちゃん、元気―?」「あ、いずみさん!」
声を掛けてきたのは紘の友人、
「いやー、お兄ちゃんに、ちょいとお金を貸して貰いたくて……」
手を頭の後ろに置き、「てへっ」とした態度で言うと、いずみが口を震わせ始めた。
「み、水臭いよ、芹那ちゃん!」「へ?」「お小遣いなら私があげちゃうのに!」
「えっ、ほんと⁉」芹那が色めきだつと、いずみは財布をごそごそと取り出す。
「もちろんよ芹那ちゃん! その代わり、私の事を『お姉ちゃん』って呼んで! 一回呼んでもらう毎に、私は五百円払うから!」
「うわすっご……いけど、なんだかいかがわしい香りがしないでもないね?」
興奮と同時、少しだけ現行社会の諸法令を気にする芹那。
「そんなことない! そりゃ、同年代の男が言ってたら怪しさ満載だけど、私と芹那ちゃんは同じ女だし? 全く問題なんて生じないわ!」
いずみの言に、芹那はしばし思案する。その実、深く物事を考えているわけでもない。
「た、確かに……? お嬢様学校の疑似姉妹制度が許されて、共学に在籍するあたしといずみさんの疑似姉妹制度が許されないのは、法の下の平等の観点からおかしいかもしれないね?」
兄が言いそうな屁理屈を真似て、合法的な小遣い稼ぎ制度を思案してみる。
「でしょう? さあ! 私の用意は出来ているから! 心を込めて、呼んで欲しいな……」
両手を広げて爽やかに笑ういずみに対し、芹那は少し緊張した面持ちで息を整える。
「う、うん……、いくよ。――コホン、『いずみお姉ちゃ――」
「――やめろバカ」
後ろから思いきり頭をはたかれる。
「痛ったー! ――って、青春ゴミ捨てお兄ちゃん、いつの間に……!」
振り向くと呆れた様子で兄が立っていた。寝不足気味の不機嫌な表情は少し怖いが、ネックピローを付けていると間抜けさが際立つ兄だった。
*
「なんだよその蔑称は……」
高宮紘は寝ぼけ眼で、眠っていた脳を再起動させていく。特務情報部の任務で忙しかった昨夜の睡眠を補填すべく、机に突っ伏していた昼休み。眠りが浅かったのか、突如妹と同級生の奇行が聞こえはじめた。そして、妹の教育と友人の健全な精神のために、紘は眠りの世界から帰還したのである。
――なんだか懐かしい夢を見ていた気もするが、先ほどの寸劇で全てがかき消えていた。
「高宮君! いいところだったのに邪魔しないでよ!」
「水無瀬お前なあ、三千円も握り締めてるんじゃねーよ……。親が泣くぞ……」
いずみは悪びれもせずに飄々としている。
「私の父は『金に使われるな。金を使える人間になれ』が口癖なの!」
「自分自身が特殊な性癖に使役されているのはいいのか……。――芹那、物欲しそうに人様の紙幣を見つめるな! 高宮家の一員として恥ずかしいだろ!」
芹那は人差し指を唇につけ、悲しそうな目つきをしている。
「あたしの五千円……」「供給過多が過ぎる」値上げしてるし……。
なぜこんな妹に育ってしまったのか……。やはり男手一人で育てるのは無理があったか。
父さんごめんなさい。ダウナー気分でいると、後ろからいずみが肩を叩いてきた。
「ねえ、ゴミいちゃん」「略すな」
「芹那姫がお小遣いをご所望しているのよ? 早く献上してあげなさい」
早く帰って欲しかったので、紘は舌打ちをしながら小銭を取り出し、指で弾いて妹の方へ飛ばす。そして芹那はそれをなんなくキャッチした。
「早くそれ持って巣に帰れハイエナめ」
手にした貨幣を芹那は眺め「チッ五百円かよーしけてんなー」とぼやく。
「お前の部屋にあるアイドルグッズを全部メルカリに出してもいいんだぞ?」
「お兄ちゃん、だーいすきっ」「いいから早く帰れ」
シッシッと追い払う仕草をする紘。芹那も「ばいばーい」と手を振って教室を出て行く。
いずみが物欲しそうに指を唇にあてている。
「羨ましい……。私もあんな妹が欲しいなあ」「お前正気か?」
紘は心底驚いた顔をする。正直自分は兄か姉が欲しかった。頼れる感じの。
「この年で、手のかかる娘を持った親の心境だよ俺は……」
ゲンナリとした気分でいると、突如、ポケットに入れていたスマホが震えだす。
そして紘は「綾崎蘭子」という表示を見て、「げっ」と少しだけ逡巡した様子を見せた。
「あーっ、蘭子先輩じゃん! 妹のみでは飽き足らず、学園一のアイドルである蘭子先輩とも繋がりを持つ高宮君。その謎を追うべく、我々はアマゾンの奥地へと向かった……」
こいつうるせえなあ。画面を覗き込んできたいずみとは裏腹に、紘は嫌そうな顔をする。
無視すると怖いので、紘は仕方なく通話ボタンをタップした。
「――もしもし、先輩ですか?」
『紘くん。どうして、先輩からの連絡に、嫌な顔を浮かべるのかな?』
電話の奥の声を聞いて、紘は肝を冷やす。「は? いや、まさかそんな……何を根拠に?」
『だって、私……………』突然、目の前にスマホを耳に当てた女性が現れ、目の前とスマホの両方からおどろおどろしい女の声が聞こえた。
『「ずっと教室の外から見ていたんだもの」』
「うわあああああああ‼」
紘は叫びながらスマホを取り落としそうになる。
「えー、流石に傷つくんだけど……」
そこには、スラっとした長身に栗色にショートボブの、十人中十人が振り向くような美人の、学校と職場の両方の意味での先輩が立っていた。
「ちょ、ちょっとやめて下さいよ先輩。心臓に悪すぎる……」
「まだまだ精進が足りないよー、紘くん」ふう、と蘭子が笑いながらため息を漏らした。
「先輩、こんにちは! もう、先輩の接近に気付かないなんて、どうかしてるんじゃない?」
いずみが目を輝かせながら、笑顔で蘭子に近づく。紘は心の中で舌打ちする。
――先輩のやつ〈バリスティクス〉を使いやがったな……。
相手の敵意を視覚化し、攻撃予測や死角からの攻撃を可能とする〈バリスティクス〉。
日常的ないたずらに用いるのは辞めて欲しいものだ。
「ふふっ。いずみは今日も元気そうだね?」
「私よりも先輩! 高宮君がおかしいんです!」
「紘くんは割といつもおかしいけどね」
――ひどくない?
蘭子は紘の眠そうな顔をひとしきり眺めると、今度は彼の机をジロジロと観察し始めた。
「この残業常態化社員のような机は何事かな?」
「昨夜の〝バイト〟のせいで全然睡眠が摂れなかったんですよ……。青少年を酷使するなんて、本当に酷い職場だ」
紘はうんざりした様子で机上のエナドリを持ち上げ、ごくごくと飲み始める。
その様子を見ながら、蘭子はクスっと笑う。
「それだけ、課長は紘くんにチャンスを与えたいんじゃない?」
缶の中身を飲み干した鉱がふう、と一息ついて苦笑する。
「あの男が? まさか……」
冷徹鋭利を絵にかいたような男の姿が脳裏によぎる。
「だって、今日も紘くんには出勤命令が下ってるし」「え?」
呆気に取られた表情の紘へ笑顔を向けながら、蘭子は手元のスマホを操作し、そこに表示されているらしいメール文を読み上げる。
「えーと、『綾崎、高宮、天祐は本日18時に本部へ参集するように』――だって。紘くんにも連絡いってるんじゃないの?」
「マジですか……」
自分のスマホを慌ててポケットから取り出し、メールを確認する。そこには、蘭子が読み上げたものと全く同一の無機質な文面がある。昼寝のせいで、着信に気付かなかったらしい。
「まったく、人使いの荒い……」
「きっと、昨日のバイトの反省会でしょ。久々に大きなイベントだったしー」
紘が気乗りしない様子で居ると、蘭子は「えい」と紘の肩に軽く拳をぶつける。
「と、いうわけで、今夜もよろしくね、紘くん!」
「二連勤の上に先輩と一緒とは……」「何か言ったかなー?」
首を傾げる蘭子。顔は笑っているのに見えない圧が紘には見えた。
「いえ、何も」「よろしくねー」そう言って、蘭子は去って行く。
紘が「めんどくせー」と呟くと、いずみが素っ頓狂な声をあげる。
「あー、羨ましい高宮くん! 学園屈指の令嬢と同じバイトなんて気になるー! 主に新聞部員として!」
「……特殊なバイトだからな。また機会があったら誘ってやるよ」
そう言って適当に切り返すと、紘はSNSアプリを起動し、「高宮芹那」を選択する。
『今夜もバイトが入った。ついでに検診も受けに行こう』と入力すると、友人と談笑中であろう妹の返信は、思いのほか早かった。『分かった』と一言。金をせびりに来た時とは違う、神妙な雰囲気の文面。『健康診断、緊張しちゃうね』と続く。
紘は少しだけ表情を硬くすると、『大丈夫だ』と一言、送信した。
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