第5話

「やれやれ……。なんとか片付いたか……」


 紘が持っていた手錠を取り出し、男の手を後ろ手にして掛けた。暫くすると、一面に散っていた血やら脳漿やらは消え失せ、男は息を吹き返す。その光景にホッとした紘は再び拳銃を構えて周囲を警戒するが、他に仲間は居ないようだった。


「お疲れ様でした、コウ。ここまで一人前になるとは、わたしも鼻が高いです」


 志乃は、最初に紘が撃ち倒した連中を引きずりながら、こちらへやってくる。小柄な割に凄い体力だと、紘は毎度の任務で密かに感心していた。


「ちょっと待て。お前と組んだのは最近だし、一応立場上は俺の方が先輩だから

な?」


 後方彼氏面ファンのような言動の志乃に対し、紘は抗議の声を上げる。


「それは特務における話です。もしかしたら、内証機関に従事している経歴は、わたしの方が長いかもしれませんよ?」


 志乃がからかうような雰囲気を発する。

 感情表現に乏しいが、別に感情が無いわけではない。

 むしろ感情豊かで悪戯好きで、特に最近は紘をおちょくるのが好きだ。


「……お前、ウチに出向する前は何処に居たんだ?」

「秘密、です。その方がミステリアスな強キャラ感を出せるので」


 志乃はおどけているが、紘はそれが冗談ではないと理解していた。


 彼女が以前どの内証機関に所属していたのか。どういう意図によって紘の所属する警察庁特務二課に配属されてきたのか。それは全てが国家機密。秘匿されるべき事項なのだ。


 紘が考え込んだ顔をしていると、志乃はこちらの方を覗き込む。


「わたしのことを考えていますね、コウ。いやあ、照れますなー」

「……今度ふざけたこと抜かしたら、皇居の濠に沈めてやるからな?」

「なんと。生物学御研究所のリストに、こんな愛くるしい乙女が登録されてしまうとは」


 自画自賛も甚だしい台詞を吐く。確かに志乃の容姿は綺麗だが、小柄だし胸も貧しい。


 こんな生き物を献上しても仕方がないだろう。


「……とても失礼なことを考えていますね、コウ? 東京湾に沈みたいのですか?」

「はっ、せめて夏まで待ってもらいたいところだ」


 このクソ寒い中放り込まれたら、溺死の前に低体温症で凍死しそうだ。そんな下らない冗談を言い合っていると、「おーい」とハスキーな女の声が聞こえてきた。


「むむ……あれは蘭子らんこのようですね?」


 志乃が目を細めて前方を凝視する。


「ほんとだ。先輩の方も任務が片付いたのか」


 栗色の髪にショートボブの、ボーイッシュな顔立ちの女子高生が、こちらへやってくる。


 綾崎蘭子あやさきらんこ。慣れ親しんだ特務情報部における、紘の先輩だ。


「うわ、こんなに燃えちゃってる……。都からの国賠請求もやばそー……」


 炎上するコンテナや、そこに突っ込んだトラックを眺めながら、蘭子は感心したように言う。


「蘭子。これは、極秘作戦中に民間人の女の子を優先した、コウの責任なのです」


 志乃がこちらを指で差しながら責任を擦り付けてきた。おいこらふざけるな。


「待て待て! 原因はそうだが、実際にやったのはお前だろ⁉」


 抗議するが、「ちょっとちょっとー。志乃ちゃんは紘くんを助けるためにやったんでしょー?」「そのとおりなのです蘭子。わたしは悲しいのです。よよよ……」


 などとしょうもない寸劇を繰り広げられ、紘は「はあ……」と嘆息する。


「ま、怪我が無くて何よりだね。二人とも、ご褒美にお菓子をあげよう!」


蘭子は個別包装された菓子をごそごそと取り出す。


「ああ、どうも……って、溶けてるじゃないですか……」


 そもそも遠足気分でこんなことをやってる場合じゃないのだが、蘭子は余裕そうだ。


「あ、ほんとだ。もう! 相手がパイロキネシスなら、マシュマロ持ってくれば良かった」

「いや、蘭子先輩。俺たちが焼きマシュマロにされそうだったんですけど」

「やだなー。志乃ちゃんはともかく、紘くんはマシュマロって柄じゃないじゃん?」


 一方の志乃は無理やり包装をこじ開け、中身を吸いながら言う。


「そふぉふぉおりなのれす、ふぉう。ふぁんふぉのいふふぉおふぃれす」

「確かに。志乃や先輩と違って、俺は頭の中にマシュマロが詰まっていませんからね……」


 蘭子は「ふふふー、どういう意味かなー?」などと怖い笑顔(撞着語法)で首を傾げる。


「……そういえば、先輩の方は任務が片付いたんですか?」


 話を切り替えるつもりで紘が尋ねると、蘭子は腕を組み唸り始めた。


「うーん、なんだかガセネタだったみたいだねー。『都心で超能力テロが行われるとの情報を掴んだ!』ってタレコミがあったらしいんだけど、なーんにも起こらなくてさー。そしたら課長が『埠頭の支援に回ってくれ』って。ま、到着したらもう終わってたんだけど」

「……規格外技術事案で虚偽通報とは珍しいですね?」


 志乃が鋭い視線で、四つ目のチョコを舐めとりながら疑問を呈する。紘も同感だった。


「戦力を割くための陽動だったとか、ですかね? 能力者戦力は絶対数が少ないですし」


「課長もそんなこと言ってた。さっすが、通じ合ってるねー」


 蘭子がからかう。紘は「そんなんじゃありませんよ」と不貞腐れる。


――瞬間、周辺に火花が炸裂した。三人は即座に散開し、状況を確認する。


「小日本のクソガキどもが! こうなれば、全員皆殺しにしてやる‼」


 そこには、意識を回復し、立ち上がってこちらを睨みつける飛龍の姿があった。


「コイツ⁉ 能力の遠隔発動まで会得しているのか?」


 飛龍は後ろ手に縛られているが、その周辺に火球をいくつも浮遊させている。先ほどまでは掌からしか発動出来なかったのに。こんな急激な覚醒は、通常あり得ない。


「……クソ! あれじゃあ、ライフルで照準を合わせる前に火だるまだ!」


「わたしも、支配下に置ける機械は、先ほど爆発させてしまいました……」


 これもベトレイアの効能か? 従来の対能力者戦術が根底から覆されている。


「オラオラァ! 消し炭になりたくなければ、逃亡用の車両を用意しろ!」


 火球がすぐそばに突然現れる。一瞬の火花を感知して逃げるので精いっぱいだ。


 どうする? 紘が次の行動に移ろうとしたその時、飛龍のすぐそばに蘭子が立っていた。


「……どれだけ強力でも、当たらなければ問題ないよね?」


 飛龍が「は?」と間抜けな声を出すと同時、その身体は宙を舞い、アスファルトに叩きつけられた。男は即座に起き上がり、


「上等だ女ァ! まずはテメエを焼死体にしてやる‼」


 炎を纏った拳が蘭子に迫る。が、その姿は既にそこには無い。彼女は忽然と消えていた。


「――?」

「バレバレだけど?」


 いつの間にか男の背後に立っていた蘭子が、彼の足を思い切り蹴り飛ばす。

 バランスを崩し、倒れかける飛龍。再び「テメェ‼」と火炎球を飛ばすが、放たれた場所に蘭子は居ない。今度は傍らに立って、思い切り男の背中を踏みつけた。


「無駄だって言ってるでしょ。貴方の攻撃がどれだけ強力でも、私には当たらないよ」


 男は「ぐおっ!」と蠢く声を上げる。完全に蘭子の手玉に取られていた。


 ⅤI・ヴァイオレット級能力者〈バリスティクス〉。それが、綾崎蘭子の称号。自身に対する攻撃軌道を予測する超能力。相手の敵意を瞬時に読み取り回避する力は、どんな超兵器も超能力も、その攻撃を無価値にする。


「悪いけど、紘くんと違って、私の攻撃は死なない代わりに後々まで響くよ!」


 そう予告して、蘭子は間髪入れず、飛龍の死角から攻撃を繰り出す。殴打、蹴り、掌底、背負い投げ。能力による攻撃が不可能な代わりに、彼女は高い身体能力で相手を圧倒していく。


 果たして、飛龍は三回目の気絶に達していた。最後は脳震盪でKO。若干気の毒にも思えたが、マフィアの確保が第一目的である以上、とやかくは言えなかった。


「いやー、なんとか給料分は働いたかなあ?」


 蘭子が飛龍を引きずりながら、悩まし気にこちらへやってくる。完全に制圧したようだ。


「すみません、蘭子。完全に油断していました。我々のミスです」志乃が殊勝にも謝罪。

「俺からも謝ります先輩。まさか、こんな能力を隠し持っていたなんて……」


 蘭子は項垂れる後輩たちを「まあまあ」と宥め、思案げな表情を浮かべた。


「短期間でこの男はオレンジ級に達していたと思う。やっぱり、薬のせいなのかな?」


 蘭子も同じことを考えていたようだ。だが、彼女は「まあ、難しいことは課長が考えればいっかー」と適当に話題を切る。途端、紘の無線機に通信が入った。噂の上官殿からだ。


『こちらHQ。事態収束を確認した。……どうやら、〈バリスティクス〉に助けられたようだな?油断は生命に関わる。〈ARスクエア〉、〈インターフェース〉両名は自省するように』

 志乃は「……紘の拘束が甘かったのです」などとぼやき、紘は「お前もあの確保体制で充分だって言ったじゃねえか」と反論する。その光景を蘭子が苦笑して眺めている。


『――喧嘩なら後にしろ。被疑者を湾岸署に引き渡し、速やかに撤収せよ』


「……下命了解。終わったら直帰していいか? すげえ眠いんだが」


『――いいだろう。報告は明日にしてやる。二人にもそう伝えろ』


 もう日付変わってるだろ……。登校までの睡眠時間を考えるとげんなりしてくる。


「お気遣いどーも。んじゃ、また」


 通信を切ると、蘭子が横でクスクスとおかしそうに笑っている。ちなみに、志乃は無表情ながらも「わたしまで怒られました。ぷんぷんです」などとのたまっている。


「紘くんの課長への態度。反抗期の息子みたいでおもしろーい」


「別に。あの男にはこんぐらいの態度で充分なんですよ」


「信頼してるんだ、課長のこと。私も尊敬してるけど。そこまでの域には達せないなあ」


 いつもとぼけているくせに、こういう時だけ姉のような、年上の女性のような態度を見せるのが、綾崎蘭子だった。彼女の前だと、紘も出来の悪い弟のようになってしまう。


「んー、それにしても今日は学校かあ。流石に深夜バイトとの両立はきっついねえ……」


 蘭子が背伸びすると、志乃は興味深そうな顔をする。


「蘭子。コウ。――学校とは、面白いものなのですか?」


「……? あー、そうか。お前は行ってないんだっけ? ……うーん、まあ大変だけど、行って損は無いって感じか?」

「私は楽しいよ! 紘くんと違って友達も多いし! 志乃ちゃんも通おうよ!」


 凄く余計な一言を付け加えながら、蘭子は志乃を勧誘する。


 志乃は「……そうですね」と神妙な様子で答えた。紘には、この無表情娘が学校に通うことなど、彼女がお笑い番組で爆笑している光景ぐらい想像がつかなかった。


 夜闇が段々と白んでいく。紘は早く寝たいが、日本は新しい朝を迎えようとしている。


 そういえば、あのお嬢様然とした少女は無事に帰宅出来たのだろうか。

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