第43話
暗く、そして明るい。そう表現するしかない世界。SFでよくあるサイバー空間が実写化されれば、こんな感じかもしれない。紘は周辺を見回して、そう思った。
――ここは。死後の世界なのか? いや、違う。多分ここは――
「ようこそ、死の世界と電子の世界の狭間へ。ここは、異界と呼ばれる別位相の空間に限りなく近い、高度情報通信ネットワークの境界線。わたしが居た、ひとりぼっちの世界です……」
志乃が後ろに立っている。彼女は両手を広げて、上を仰ぎ見る。
同じように上を見上げると、バイナリーブレードを改造したような、巨大な大太刀が浮いていた。
「貴方の〈ARスクエア〉は、非実在兵器を精製可能な段階にまで到達しました。わたしがこの世界で作り上げた虚構も、あなたの血を使い、あなた自身をこの世界に招くことで、電子の神剣となるのです。……知っていますか、コウ? 記憶とは脳だけでなく、血液や身体中の細胞に保存されているのです。だからいま、〝わたし〟と貴方の意識は共有されています」
原理は全く分からないが、なんとなく、あの刀剣の存在理由は理解出来た。
「あれが、冴島首席が望んだ兵器なのか?」
志乃は「さすがは、コウです」とニッコリ笑う。
子供の頃に好きだった女の子を垣間見て、紘は胸が痛くなった。
「この狭間の世界でしか扱えない最強の刀剣は、この世界を支配する〈獣〉を討滅するために想定された電子兵装です。失楽園計画とは、黙示録の悪魔の処刑を意味するのですよ」
「国際連合規格外技術機関が擁する〈メガセリオン・システム〉への大規模サイバー攻撃……。冴島首席は、この国の可能性を閉ざす理不尽を、討滅するつもりだったってことか」
計画の全容が見えてきた。だが、それは冴島の計画だ。ヘグリグのプロトコルは、依然として理解が及ばない。
「そうですね。まあ、その求めた自由も所詮は、わたしに操作されていたに過ぎませんが」
志乃がパン、と柏手を打つと、上から国旗が垂れ幕のように落ちてくる。
日章旗――。いわずとしれた、この国の旗だ。
「秋津洲プロトコルとエンテレケイアの製造計画は日本国政府による陰謀劇。ヘグリグとは、米国から〈プロヴィデンス〉を取り寄せるための大義名分に過ぎない存在でした。…………少なくとも、政府と首席にとっては、ですが」
「……お前達ヘグリグの目的は別にあるってことか……?」
志乃は笑顔のまま、答えない。その真相はまだ先だとでも言うように。
「政府は、国家間がおててを繋いで仲良くする世界を求めるのを辞めて、教師役たる〈メガセリオン〉の破壊を画策しました。これからは規格外技術を開放した、制限なしの国際社会によるデスマッチの世界を、この国は選ばざるを得ないと判断したのです。もし、通常の戦争を想定したとしても、
またも国旗が出現する。
紅色を背景に黄色い星が五つ飾られた五星国旗と呼ばれる旗だ。
南スーダンPKOにも派遣されていた、アジアの超大国。ヘグリグが派遣されたというあの作戦。そこに目の前の少女が、本当は派兵されていたとしたら……。
「……南スーダンで、あの日……何があったんだ?」
志乃は懐かしむような顔で上を見上げる。
「あの日。南スーダン共和国へグリグで、派遣されていた中国軍超能力者部隊による、クーデターが勃発しました。もちろん、超能力者部隊を軍事に、しかも他国に派兵するなんて条約違反……。ですが、紅き国の政府は、ある程度の見返りを約束に、同じく超能力者部隊を秘密裡に送り込んでいた日本の現地部隊に、鎮圧の要請を打診しました」
なるほど。既にミラノ条約なんてものはもう、どの国も知った事では無いという事か。
「その、見返りっていうのは……?」
「ヘグリグ油田の利権譲渡。東日本大震災以来、原発が停止されたこの国では、火力発電に用いる化石燃料の確保が急務です。中東のみならず、良質な低硫黄原油が眠るかの地は、日本にとって生命線なのですよ。むしろ、そのパイプ作りのためのPKO参加なのです」
何の見返りもない支援はあり得ない。芹那の生まれにまつわる出来事を紘は思い起こす。
「現地に派遣されたわたしは驚きました。……だって、彼らはクーデターなんて、起こしてもいませんでしたから……」
紘は目を見張る。「……どういう、ことだ……?」
「彼らは、軍の命令でヘグリグの油田地帯を警備していただけにすぎません。ただし、彼らには、ある連絡が届いていました。――『日本軍のUV級超能力者が、油田地帯の権益を得るための行動に移った』と。そんな状況下で、国外に派遣された特殊部隊員が出くわせば、どうなるか分かりますよね?」
「……非正規部隊による、アフリカ大陸の権益を巡る戦闘か……」
紘は俯く。自分の知らないところで、とっくに第三次世界大戦は始まっていたのだ。
だが、おかしなところがある。
「でも、どうしてヘグリグの利権を握っている国が、自衛隊を呼びつけ、わざわざ戦わせる必要があるんだ?」
志乃が思い出し笑いでもしそうな表情を浮かべるが、その眼は悲しそうだった。
「油田を警備していたのは、
紘は言葉も出ない。黒孩子とは、一人っ子政策推進下の中華人民共和国で生まれた、二人目以降の子どもたちのことだ。彼らはその出生が公的機関に届けられず、教育も受けられないどころか、人身売買や臓器売買のためにブラックマーケットに流されることもあるという。
軍の実験台にされる可能性も、大いにある。
それから、志乃は滔々と語る。戦闘中、彼らの戦闘力の低さに気付いたこと。中国側の罠かもしれないこと。司令部に事実の確認を求めたこと。この戦闘は無意味であり、不用意な殺戮を招く結果になるだけだ、ということを。
「――でも、司令部は取り合わなかった。それどころか、敵勢力の殲滅を命令しました。少年兵たちは、もう戦意を失っていました。媽媽と泣き叫んでいました。抵抗する気力も無さそうでした。それでも、わたしは――虐殺が横行する南スーダンに派遣された平和維持軍であるわたしは――新しい虐殺を引き起こしてしまいました」
もう、志乃は笑っていなかった。自分が殺した黒孩子のことを思い出しているのだろう。
「任務終了後、司令部ではなく首席護国官から直々に、わたしへ向けた通信が入りました」
――無力な弱者を踏みつけに出来る人間が、これからの次代社会を担う資格を得ることが出来る。任務ご苦労。帰国後の活躍を期待する。
「日本政府にとって、本作戦は権益の確保と、次世代の日本を担うために設計された少女を精神的に成長させるための、
「……そんな……デモンストレーションのために……?」
いつも職場に不平不満を漏らしていた紘も、信じたくなかった。
自分が属する国家が、そんな作戦を立案するような国であるとは、到底思えない。
志乃は涙を流しながら、紘に訴える。
「〝理不尽に抗え。誰も助けてなどくれないのだから。それでも汝は、助ける側の人間であれ〟。コウのお父さんの言葉……。この生き方を貫けば、きっとまた、あなたに会える相応しい人間になれると思っていました。でも、もう手遅れ……。わたしは、助けるべき人間を蹂躙し、わたし自身が理不尽となってしまったのです……」
人形として扱われる命。使い捨てにされる命。日本は人造人間だったのに対し、中国は戸籍の無い人間をそう扱った。
……いや、違う。さっき見聞きしたばかりじゃないか。蘭子がどうやって生まれ、いずみがどういう扱いを受けてきたか。どこの国でも同じなのだろう。
子どもは親を選べない。でも、あまりにも複雑化し高度化した世界には、親たちも対応できなくなってしまった。そんな彼らに育てられた自分たち。あまりにも行き詰まりだ。
「……結局、わたしは息絶える直前の黒孩子に撃ち殺されてしまいました。自業自得……ですね」
「そんな……。でも、お前の取れる行動は、他に何も無かったじゃないか……」
「やっぱり、優しいのですね、コウは……」
紘が言葉を絞り出すと、志乃は涙を拭きながら、
「でも、わたしは……許せなかったのです……!」
と言って、虚空に浮かぶバイナリーブレードを手に取り、
「この世界を作り上げた大人達が、全部、全部、全部が許せなかった!」
感情的に叫んだ志乃は、その次に高々と刀剣を虚空に向けると、
「その思いが、神様に届いたのでしょうか? 〈サイバーテレパス〉の能力は、死にかけたわたしを、電子と神様の世界の狭間へと誘いました。そして、気づいたのです。もう一度現世に戻って、今度こそ貴方に相応しい人間になるための、わたしとあなたのためのプロトコルに……」
ヘグリグの指揮官。それは、茉莉でも冴島でもない。
――目の前の少女の事だったのだ。
「……お前は、ただ生き返るだけじゃなく、何かを仕出かすために戻って来たんだな?」
紘の問いかけに、志乃は「人聞きが悪いですね、コウ」とにやりと笑い、
「――これから起きる出来事は、失楽園計画なんて目じゃありませんよ?」
そう言って、今まで見たことも無いような邪悪な笑みを浮かべた。
「……何を、するつもりだ……?」
「――国家制度の解体。これから、18歳以上のホモ・サピエンス虐殺のための電磁波を、地球上にバラまいてやるのですよ」
志乃は、狂気を宿した瞳を紘に向け、掌を差し出してきた。
「――コウ、わたしと一緒に、新世界の楽園を造りませんか?」
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