第42話

 ヘグリグ達に囲まれる形で茉莉は、蘭子や芹那と並んで椅子に座っていた。傍らの〝姉〟に対して茉莉は「計画実現の暁には、きっと貴方も喜んでくれますわ」と呟く。


「志乃ちゃんをあんな目に遭わせて、理解なんて出来るわけないでしょう⁉」


 そんな蘭子の抗議に対して、茉莉は少し苛立ちを覚えたようだった。


「……貴方が姉として不甲斐ないから……私が罪に手を染めていますのよ……!」

そんな彼女の権幕に、蘭子は動揺する。


「……これが、いずみのためにもなるって、貴方は言いたいの……?」

 ――水無瀬いずみ。学校の後輩。そして、本当は血を分けた、私の妹……。


 もう、茉莉は何も言わない。目の前の舞台の幕が上がっていく。

儀式の始まりだ。


    *


 目を、覚ました。


 茉莉による法術が解けた確信が、紘にはあった。


 いま、紘は伝統と威厳を備えたとある建物の大講堂の床に、手足を拘束された状態で臥せっていた。――市ヶ谷記念館。防衛本省の敷地内に佇む旧陸軍時代からの施設で、極東国際軍事裁判の法廷としても利用されたほか、有名小説家のクーデター事件の舞台にもなった、近代史の澱のような施設でもある。


 こんな場所を儀式とやらの場所に指定するなんて、首謀者は絶対に碌な奴ではない。現に、首謀者の一人と思しき男は、つらつらと計画の一端を朗々と謳っている。


「もうすぐ、平成が終わる……」


 冴島首席護国官がポツリと呟く。


「世界は、激動の時代を迎えようとしている。人類総出で手を繋ぐ社会はもう、終わりだ。これから来るのは水、資源、技術、そして……旧来の支配者層は凋落し、暴力をかき集めた者が勝ち残る。例えば――」


 彼は、この国の隣に位置する、新しき超大国の名を口にした。


「今の世界が、いつまでこの形を保てるか分からない。核弾頭が降り注ぐかもしれない。貧困に喘ぐ大衆が富裕層に対して、自爆テロを繰り返すかもしれない。強力なウィルスが人類を殺戮するかもしれない。覇権主義を標榜した国家が、突如隣国へ戦争を仕掛けるかもしれない。その時、我が国は生き残っているのか。あの、新しい超大国に世界を牛耳られていやしないか。新しき時代が来る前に、私はその道筋を立て、次の時代に繋げる使命があるのだ」


 要領を得ないが、失楽園計画とやらは、紅き国に勝つための国家変革事業であることは間違いないようだ。とんだ国粋主義者の陰謀に巻き込まれてしまった。


 紘がやるせない思いで冴島の演説を聞いていると、自分の傍らに、一人の女が現れる。


 志乃。視線が定まっておらず、どこか遠くを見ている目。無表情を超えて死体のようだ。


 その腕には、バイナリーブレードが抱かれている。鞘に入れられたままの抜かれない刀。


 その目には、茉莉がずっと着用していたバイザーが掛けられている。


 おそらく、〈プロヴィデンス〉により深くアクセスするためのデバイスだろう。


 ――これから始まる儀式のために。


「今度こそユニットが揃った。失楽園計画の完遂まで、もう少しだ」


 講堂の中心で、大仰に両手を開く冴島は、並べられた椅子に座るヘグリグの面々に宣言する。


 観閲者の中に見えるのは、茉莉とセレナーデ。そして、別席には多数の兵士に銃口を向けられた状態で、自分と同じく手足の自由を奪われた芹那と蘭子が、講堂の端に用意された椅子に座らせられている。


 そして、水無瀬顕長は卒業式でも見に来たかのように、足を組んでこちらを眺めている。


 紘は見世物にされている状況に我慢ならず、志乃へ大声で呼びかけた。


「志乃‼ しっかりしろ! 今まで、どんな任務だって、一緒に乗り越えてきたじゃないか……。なあ、志乃……返事を、してくれ……」

「……ほう、№3の能力を自力で解くとは……。だが、もう手遅れだ」


 少しだけ驚いた様子の冴島を尻目に、紘は志乃へと語り掛ける。記憶は曖昧だが、とんでもないことを彼女に言った自覚が、紘にはあった。


 志乃は答えない。虚ろの眼には、まるで何も映っていないようだ。


「まだ励起状態に入っていないようだな。――72番回線を増強。サーバのチャネリングを全て脳波コントロールに回せ。物理的なショックを与える」


 瞬間、志乃はよろめきはじめ、そのまま仰向けに倒れてしまう。目は見開いたままだ。


「……人間を、何だと思っているんだ、アンタは⁉」


 紘の激高に対して冴島は冷ややかだ。


「……全ては我が国の未来のためだ。私だけではない。彼ら彼女らは、諸君らの未来を守るために生まれた、次代社会を担う者なのだよ」


 冴島の背後には多数のエンテレケイアが控えている。


 狂ってる。政府や社会の都合で、当然のようにクローンを産み出し、責務を負わせる国家。自分達が作った世界の後始末を付けられず、子どもの姿をした人造人間にしたり顔で未来を託そうとする者たち。


 だが、それはおそらく、目の前の男や、背後に居る組織だけの策謀ではないのだろう。


 3・11からか。9・11からか。それとも、ずっと前からか。

この国はいつしか、ずっと非常事態に置かれるようになってしまった。そして、その非常事態に立ち向かえなかった大人たちは問題を先送りし、平然と子どもに〝未来を託す〟ようになってしまったのだ。


「お前達も、よくこんな状況を黙って見ていられるな⁉ 仲間じゃなかったのかよ⁉」

「全ては百年後、日本国が延命するための計画。秋津洲プロトコルがあればこそ、私達はここに居るのです。そうでしょう、首席?」


 紘の叫びを笑う茉莉は、冴島の持つ書類へ視線を移す。


 冴島が手に持つのは、分厚いレジュメ。霞が関と永田町に流布されているという怪文書〝秋津洲プロトコル〟。


 下らない妄言の列挙されたプリント束によって、ここに居る大勢の人間の人生が、大きく変貌してしまった。


 紘は馬鹿馬鹿しい策謀の由来など聞いていられず、倒れた志乃の下へと這っていく。


「志乃! 目を覚ましてくれ! 頼む……!」

「無駄だ。いま、彼女の精神は〈プロヴィデンス〉によって支配されている。もうすぐ、かの〈メガセリオン・システム〉を破壊する電子兵装として、〝彼女〟は戻ってくる……」


 メガセリオン。確か、UNITIの基幹AIの名前だったか。ヨハネの黙示録で語られる獣の名前。666の名を持つスーパーコンピュータが世界を支配しているという陰謀論が実在すると初めて知った時、自分は何を思っただろうか。


「志乃……しっかりしてくれ……」


 果たして、志乃の眼が


 ――開いた。


 だが、様子がおかしい。無機質な顔に、見る見る生気が宿っていく。



 そして、志乃は紘の方をしっかりと見定め―――――――――――笑った。


 場の空気が一変した。冴島の方を見ると、驚きと歓喜が同居した面持ちだ。混乱する紘に対し、志乃が語り掛けてきた。――笑顔で。


「ようやく……ようやくこの世界に一歩をしるました。〝わたし〟は、帰ってきたのです!」


 見開いた目で、上気した頬で、満面の笑みで、彼女は紘に抱き着く。見知った相棒が、絶対に取らないであろうと思える行為。


 だって、彼女は、本当は…………。


「また……本物の〝志乃〟……? どうして? ……いや、どうやって……?」


「またも驚いていますね、コウ。でも大丈夫。我々を脅かすモノは、じきに世界から消えますから」


 腕を離した彼女は、舞台下の冴島を一瞥し、「そうでしょう、首席?」と声を掛けた。


「№4……。まさか、死者が本当に蘇るとは……。未だに半信半疑だが、早速ひと働きして欲しい」


 そして、冴島は命令を下した。


「――――貴官が立案した失楽園計画を、速やかに遂行せよ」


 〈メガセリオン・システム〉を破壊し、UNITIを機能不全に陥らせる。


 そして始まるのだ。規格外技術を解放した、新しい戦争の時代が。


 紘が悔しさに顔を歪ませると、


「……ああ。そう言えば、そんなお話でしたね。――――建前上の計画は」


 場の空気が一変する。何だ、この違和感は?


 愛くるしい笑みを返した志乃は、舞台中央に立つ「玉座」と書かれた立て札に手を置きながら、くすくすと笑う。その様子が、紘にはひどく不気味なものに思えた。


「何を……言っている、№4?」


 冴島の表情に焦りが見える。何が起こっている?


 志乃はくるっとこちらへ振り向き、紘の手足の拘束を解きながら、内緒の話を教えますよ、とでもいうような調子で、語り掛けてきた。


「知っていますか、コウ? 人類史において、死から蘇った人間は、たった一人しか居ません。そして、いまわたしは、彼に続く二番目の存在になったのです」


 セレナーデがこちらを真剣な表情で見つめる一方、茉莉が面白可笑しそうに触れ回る。


「さてさてさて。私達の本当のプロトコルが始まりましたわね? 〈テオトコス〉に掛かれば、〈プロヴィデンス〉の精神制御を弾くなんて、児戯に等しいでしょう、〝志乃〟?」


「御礼申し上げます、茉莉。セレナーデ。お陰で、すべての準備は整いました」


 〈テオトコス・システム〉? こいつらは――


「何の話をしているんだ?」


 冴島が声を漏らす。


 紘は目の前の少女に問いかける。彼女を突き動かす何かを知るために。


「……志乃。これは全部、お前が仕組んだことなのか? あの頃のお前が、なぜ?」

「おままごとの続きです、コウ。また、大好きなあなたと一緒に遊ぶため。理不尽に自由を奪われることのないユートピアを、わたしは貴方と作りたいのです」


 そして志乃は、顔を赤くしながらこちらへ近寄ると、


 ――目を瞑って、キスをしてきた。


 きつく抱きしめられる。舌を絡められる。


 一瞬の出来事に、紘は理解が追い付かない。


「んんん……んっ……!」


 どちらが出しているかも分からない喘ぐような声。そして、紘は舌にいきなり、痛みを感じた。血が流れる。そして、それを志乃が吸っていくのが、分かった。逃げ出したいのに、ずっとそうしていたい。ふと、そう思ってしまうような、キスだった。

「ぷはっ……」と口を離したのは、志乃が先だった。彼女は唇から少しだけ赤い血と唾液を垂らしながら、


「ファーストキスですよ。この身体でも、前の身体でも」と恥ずかしそうに言う。

「やめろ№4! 我が国の悲願を何だと心得ている⁉」


 取り乱し始めた冴島に対し、志乃はただ、せせら笑うような笑みを向けるだけだった。


「それでは、始めましょう。〈ARスクエア〉?」


 ――そして、紘の意識は暗転した。

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