第40話

「――ちょっと、お兄ちゃん! しっかりしてよ! ……この、やめろッ!」


 特殊部隊員たちによって、芹那はあっさりと拘束され、セレナーデ、蘭子とともに

〝儀式〟の場へと一足先に連行されてしまった。残るは自分と茉莉と、コウだけだ。


「……そうだ。俺は志乃と約束したんだ。また会おうって……」


 目の前の少年が、焦点の合わぬ目でそう呟くのが聞こえた。

そして彼は、こちらを見て、懐かしそうな笑顔を向ける。いつも自分に対して見せるのとは違う、純真な好意がそこには見て取れた。

それが、志乃の心を傷付ける。


「〝志乃〟。また、お前に会いたいよ。みんなを幸せにするあの笑顔が、俺は好きだったんだ……」


「コウ………………?」


 それだけは。それだけは、言われたくなかった。彼の口からは、絶対に。


「私の能力〈§130〉は、対象が心の奥底に秘めた想いを解放させる能力。やっぱり、彼は貴方なんて、全然眼中になかったようですわね?」


 面白おかしそうに笑う茉莉。自分の大切なものを根こそぎ踏みにじられた気がした。


「ま、茉莉――ッ!」


 額に刀の切っ先を突き付けられた。茉莉の持つ〈バイナリーブレード〉だ。


「これで傷を付けたら、今度こそ、貴方は〝あの娘〟になるのかしらね?」


 茉莉はその刃先を天高く掲げる。


 まるで、天に浮かぶ〈テオトコス・システム〉へと掲げるかのように。


「や、やめ――!」


     *


 東京駅発の東海道新幹線。彼女は、その右側の窓から見える製薬企業の工場で生まれた。


 化学肥料からミサイルの爆薬まで取り扱うこの企業は、旧防衛庁時代から自衛隊のお得意先であり、エンテレケイアの製造拠点となったのも当然の道理だった。


 日本国政府からクローニング、ゲノム編集、超能力発現技術など、ありったけの規格外技術を提供された製薬企業は、数十に上るエンテレケイア達を量産してきた。


 ある日、黒瀬メディカル第五プラント培養タンク内にて、既に十五年分の記憶を持って、彼女は生まれた。


 一緒に育った兄弟姉妹も、内証第十の記憶も、好きだった男の子とゲームで遊んだ記憶もみんな覚えた状態で、彼女は生まれてきた。成長ホルモンを過剰投与された状態で。


 ただ、戦場の記憶だけが無かった。


 でも、当然だ。彼女は戦争になど行っていないのだから。

同時に、色々な感情の表現方法、何よりも笑顔の作り方を、彼女は忘れてしまった。

戦争から兄弟姉妹が帰ってきた。みんな無事に帰ってきたのに、表情が、暗い。

先頭に№3の茉莉が居た。訓練施設で一緒に育ったお姉ちゃん。少女は精一杯の笑顔で「おかえり」と出迎えようとした。でも、出来なかった。茉莉は、喜んではくれなかった。


 ――志乃? どうして笑ってくれませんの? あの笑顔を、もう一度、見せて……。


 辛いとき、一緒に支え合ってきた親友のセレナーデは、発狂したように彼女を否定した。


 ――アンタなんか、志乃じゃないっ! 志乃はそんな人形みたいな娘じゃなかった‼


 それっきり、姉も親友も仲間たちも、みんなみんな離れてしまった。派兵前の記憶をコピーされた№4のクローン・スペア。それが自分の全て。

姉妹愛も友情も、全部他人の物だった。


 いつしか彼女は、官邸の秘密機関に異動となった。


 部隊に居づらかったので丁度良かった。


 国家行政内証機関第一部局・内閣特殊事態対策センター。国内最強の規格外技術対策部門が新たな志乃の身の置き場となった。。


「今日からお世話になります。天祐志乃です。よろしくお願いします」

「今になって君の上官になるとは。しかし、以前会った時よりも、随分不愛想になったな」


 瀧上功次席護国官はそう苦笑する。彼は元々、警察庁長官間違いなしの出世頭だった。


 しかも彼は、次世代社会の担い手であるエンテレケイアに確かな身分と家柄を与えるための、〝保護者〟候補の一人でもあった。


 天祐志乃という少女は、元々彼の娘となる予定だったのだ。


「貴方も。犬も食わない正義感でエンテレケイア計画に反対したせいで、今では秘密組織の構成員ですか」

「だが、それが私の矜持だ。子どもは未来を生きるべきであって、未来を与えられたり、ましてや背負わされるべき存在では、決してないはずだ」


 髪に白いものが混じっているというのに、瀧上はいやに情熱的で、青い。

誰かさんに似ていた。


 ――名前も、同じですしね……。志乃は心の中でひとりごちる。


「事情は聞いている。君は本日付けで内証第一の構成員だ。散々こき使ってやるからな」


 ――頭がいいくせにバカを見た大人。それが、父親面をする男への第一印象だった。


 彼は親しげに接しようとしてくるが、全部全部が鬱陶しかった。だって、自分は愛される資格なんて無いから。


 姉も親友も、そうして離れていったから。


 しばらくして志乃は、内証第七への出向を命じられた。陰謀劇を防ぐ遠大な作戦だという。馬鹿馬鹿しいことこの上ない。


「――とある事情で当課に出向してきた、天祐志乃特務官だ。紘、当面はお前と組ませる。蘭子、二人のサポートを頼むぞ」


 少し神経質そうな課長の巨永は瀧上の後輩であり、本人は知らないが、エンテレケイア誕生の関係者でもあることを、志乃は知っていた。


 ――そして、真の原因もまた、目の前に居た。


「天祐、志乃……? 変わった名前だな」


 ――――自分に能力と名前を与えた張本人は、怪訝な顔をしている。


 ――この身体になって初めて、わたしは、心臓の鼓動を意識した。


 胸がどきどきする。あの頃よりも背が伸び、声も低くなった。きっと辛い経験もしてきたのだろう。けれど、あの頃の実直な部分は、やっぱり面影が残っていた。


「――はい。こちらこそ、よろ――――」


 ――嘘つき。何が面影ですか。貴方は彼の事なんて、何も知らないでしょう?


 声が聞こえた。幻聴だ。でも、幻聴は心が造り出した、れっきとした自分の心の声だ。


 ――貴方は高宮紘を好きになったことなんて、無い。高宮芹那とおままごとをしたことなんて、無い。正義感の強い兄妹の父親に会ったことも、無い。全部コピー。記憶も感情も全部〝わたし〟の借り物じゃないですか。模造品の貴方は、人並みに笑うことも怒ることも許されないのです。貴方は、〝わたし〟の死をきっかけに生まれた、罪があるのですから。


 そうか。だから自分は笑えなかったのか。姉と親友に捨てられたのは、他人の死をきっかけに生まれた罰だったのだ。


「俺は、特務官の高宮紘。これから、一緒によろしくな」


 穏やかな表情で笑い掛ける少年。「はい! こちらこそ、よろしくお願いします!」と明るく返したかったのに。


〝わたし〟がそれを許さない。


「……〈インターフェース〉の天祐志乃です。せいぜい、足を引っ張らないようにしてくださいね、高宮特務官殿?」


 能面のような表情で、そう言ってしまった。紘は呆気に取られている。横から少女が苦笑しながら横やりを入れてきた。


「おっとー? 紘くん、早速フられちゃったのかなー? ふふん、私は特務官の綾崎蘭子。よろしくね、志乃ちゃん!」


 その顔を見て、どきりとした。他人の空似かもしれないが、茉莉に似ている……。その顔で、優しくしないで欲しい。


 ――だって、どうせわたしのことなんて、嫌いになるでしょうから。


「公安如きが、気安く接しないでください。わたしはもっと上層の部局から来た存在なのです」


 そう言って、手を払い除けてやる。蘭子は「あ、あれー……?」としどろもどろだ。


 課長室のドアがノックされる。巨永の返事とともに、少女が姿を現す。


「――失礼します。お兄ちゃん、この部屋に居ませんかー? ってあれ、新人さん?」


 高宮芹那。あの頃と変わっていない、あどけない顔の少女。


……切ない懐かしさを覚える。でも、


「――はじめまして! あたし、そこの高宮紘の妹の芹那! これから特務情報部で働くの? お兄ちゃんと蘭子ちゃんをよろしくね!」


 コロコロと表情を変える天真爛漫な女の子。


 顔を見ると、セレナーデと親子なのも頷ける。


 ――だが、それよりも、その性格が。かつての自分とそっくりだった。いつもニコニコと明るく周囲を賑やかにしてくれる女の子。


 みんなが大好きな、〝わたし〟と同じ類いの性格。


「き、気を悪くしたかな? あたし、変なこと言った?」


「……別に。貴方は正規の職員ではないのでしょう? 挨拶の必要性がありません」


「えっ……えっ……と、ご、ごめんなさい…………」


 傷ついた芹那が、しょぼくれた顔をする。いい気味だ。周囲から愛される女の子が困っているのを見ると、心の何処かが、救われた。


 ――みんな、みんな、嫌いだ。わたしは、こんな世界に生まれたくなんて、無かった。





 でも、違った。


 高宮芹那は昔よりも我慢強くなった。わがままな女の子は、もう居なかった。あんなに手酷い出会いだったにも関わらず、彼女は根気強くこちらに話しかけてきた。もう話しかけてくれない親友と彼女は、やっぱり別の人間なのだ。


 綾崎蘭子は優しく、強かった。やはり、どこか茉莉に似てはいたが、彼女は国家大義よりも弱い立場の者を顧みる人間だった。それは、茉莉には無い長所だ。似たような人間だと一括りに見ていた自分を恥じた。


 巨永課長は、自分の知っていた情報とは全く異なる真摯な官僚だった。彼は自分の過去を後悔し、社会正義と部下のために尽力する、一人の大人だった。


 そんな大人の存在を知った時、父親代わりを自称する瀧上への見方も変わった。彼から入る定時連絡で、いかに自分が気遣われているかに気付いた。彼は正真正銘、わたしの父親なのだ。


 そして――コウは、あの頃から変わらない。きっと、壮絶な経験をしてきたにも関わらず、任務先の民間人を気に掛けるような、優しい男の子のままだ。少し危なっかしいが、正しいことを正しいと言える、真っすぐな人間のままだった。


 ――わたしはまだ、過去の〝自分〟に囚われているのかもしれない。


 ――でも、過去なんて関係ない。


 ――わたしは、今この瞬間のわたしが、コウを好きなのだから。


 ――コウ。やっぱり、わたしは、貴方しか見えない。


 ――貴方だけをずっと、傍で見つめていたいのです。



 ――――でも、やっぱり、笑えない人形よりも、笑顔の人間の方が、愛されるにきまってますよね。













 ――もう、何も思い浮かばない。

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