第22話
目を開くと、見知った天井がある。自宅のリビング。そのソファに寝かされていた。
「目が覚めたようですね、コウ」
ぬっ、と右から視界に入ってきて、こちらを覗き込むのは、天祐志乃だった。
「……戻ってこれたのか、家に……あっ、痛ッ!」
頭を触ると、包帯が巻いてある。腕にも湿布やネットが付けられ、怪我人に対する応急処置が一通り施されているようだった。志乃の方を見る。多分、彼女がやってくれたのだろう。
妹と自分の救出からの全てを。
「おやおや。もっと早くに目が覚めていれば、わたしの生着替えが見れたかもしれないのに、残念でしたね?」と、特に起伏の無い体つきの志乃が面白おかしそうに言う。
部屋着のようなパーカーと短パンというラフな格好は、先ほどのパイロットスーツ姿とはかけ離れていた。
「お前、その服は……」
「え? ああ。パイロットスーツはさすがに脱ぎました。そしたら、芹那のご厚意で一番風呂まで頂いてしまいましたよ」
そういう志乃の髪先は、少し水気が残っている。
「いや、そうじゃなくて……。その部屋着、芹那のみたいだけど、どうして中学生と同じサイズの服が着れるんだろうなって……」
「…………せっかく助かった命をドブに捨てたい間抜けはここですか?」
志乃は無表情のまま、氷点下まで下がったような目でこちらを睨むと、
「――まったく、あの修羅場に割り込むなんて……。命の大切さを思い知りましたか?」
と、先ほどまでの状況を振り返るように訊いてきた。
そうだ。先ほどまで自分達は戦場に居たのだ。しかもその戦場を造りだしたのは、紘自身と言っても良い。茉莉の語ったエンテレケイアの来歴を思いだす。そして、志乃も……。
紘はそんな彼女に対し、言葉が出なくなる。彼女の顔を直視出来ない。
「…………大丈夫ですか、コウ?」
天祐志乃。
半年前、内証第七・警察庁特務情報部に送り込まれた超能力者の少女。その正体は、政府に製造された人造人間であり、そのエムザラ遺伝子の由来は、芹那に起因して……。
「――また、知らないうちに罪を重ねてたんだな……」自分がつくづく嫌になる。
紘の自罰的な言葉に、苛立ちを覚えたのか、志乃は生真面目な表情で、ごつん、とおでこをこちらの額にぶつけてくる。
「痛っ!」軽い頭突き。間近で見るのは初めてだったが、傷一つない、きめ細かな肌に、紘は少しだけドギマギしてしまう。まるでキスするんじゃないかと思うほど顔が近い。そして、彼女は真っすぐ目を見て、言った。
「……でも、貴方と芹那のおかげで、わたしたちエンテレケイアが生きていられるのも事実なのです」
「それは……」
志乃は立ち上がり、はっきりと言った。
「――選択には、必ず選ばれるものと選ばれなかったものが存在します。そして、人は必ず、選ばれなかったものばかり、見てしまうものです」
ずっと思い悩んでいたことを、彼女はお見通しだったようだ。
「貴方が罪を犯さなかったら、わたし達は処分されていた。それもまた、事実なのです」
しばし、沈黙が流れる。そして、それを破るように、芹那がひょいと現れる。
「――夕食出来たよ。昨日の残り物だけど、志乃ちゃんも一緒に、どう?」
「いただきましょう。話はそれからです」と志乃が応じる。
「じゃじゃーん! 昨日のカレーと昨日のサラダと即席のコールスローサラダだよー!」
食卓に並ぶは三人分のカレー(二日目)とコールスローサラダ。そして、固形コンソメを溶かしたお湯に、野菜をぶちこんだスープだ。 紘と芹那がいつも向きあい、二人だけの夕食が常だったこの食卓には今日、芹那の隣に志乃の分が用意されている。
「いっただきまーす!」
「いただきます」
「…………いただきます」
芹那は騒がしく、志乃は静かに、紘は落ち着かない様子で、手を合わせて食事を始める。
パクパク食べ始めた芹那とは対照的に、一口目のスプーンをゆっくりと口に運ぶ志乃。
志乃は何故か目を瞑りながら、深く味わうかのようにカレーを咀嚼する。
「そ、そんなに味わってもらうほどの出来では、ないんだけどな……?」
緊張感に包まれる居間。いつもは騒がしい芹那も、志乃の感想が気になったのか、口をつぐんで彼女の方を見ている。
しばらくすると、志乃はカレーを嚥下し、目を静かに見開いた。
「――このカレー……」
「お、おう……」
「海上自衛隊のレシピを応用していますね」
「……当たりだ」
紘は驚愕する。エンテレケイアの舌には成分分析機能まであるのか?
「え、そうなの……?」
芹那は首を傾げながら、カレーを眺めている。志乃は続ける。
「この豚肉を最大限引き立てる味の組み合わせからして、元となったのはおそらく……」
しばしの沈黙、息を飲む鉱。そして告げられる志乃の答え。
「……潜水艦「ずいりゅう」のレシピですね」
「す、すごいな……」
紘は驚くと同時、目の前の少女に対して、何処か得体のしれない感覚を覚える。
任務を共にした超能力者の少女。彼女の正体は、内閣直属の内証機関から送り込まれた、人造能力者だった。そんな彼女は、かつての仲間を裏切ってまで、自分達兄妹を助けてくれた。そこに、全てを仕組まれているかのような居心地の悪さがある。
志乃はスプーンで綺麗にカレーとライスをすくって、目の前に持って来ると、それを観察対象のように眺める。
「決め手は少量のフルーツチャツネですね。この存在が、味の奥行とコクを深めています」
紘の内心を知ってか知らずか、彼女は無邪気にカレーを味わっている。
「……果物の組み合わせに結構気を遣ってさ。本家とは微妙に違うかもしれないけど……」
「確かに、「ずいりゅう」のカレーはもう少し甘味が強かったかもしれません。でも、わたしは、――このカレーの方が好きです」
その時少しだけ、志乃がはにかんだような表情を見せた気がした。そんな彼女の顔に一瞬、紘は目を奪われる。
「そ、そうか……。それは、良かった……」
紘は少し呆気に取られるが、対する志乃の態度は特に変わらず、カレーを淡々と食べ始めた。
「では、ぜひとも、おかわりも所望します」
いつの間にか皿の半分が消えていた。
今日までまずいレーション食だったのかもしれない。
「あ、ああ……しっかり食え。おかわりもいいぞ」
「おいバカやめろ」芹那が紘に突っ込みを入れながら、もくもくとカレーを食べる志乃。
無表情な女の子が一人増えただけなのに、その日の食卓は、両親が死んで以来、一番賑やかなものとなった。
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