第13話

 正門の石垣に「神代学園中等・高等学校」の文字が彫られた校舎に、吸い込まれるようにして続々と生徒たちが入っていく。その集団の中に、紘と芹那の姿があった。


「じゃあ、お兄ちゃん。今日もしっかりと勉強するように!」


 芹那は偉そうな顔をしながら、紘に言い聞かせるかのように言う。


「待て、立場が逆だろ。お前、この間のテスト何点だったか覚えているのか?」

 紘の問いかけに対し、芹那は「~♪」と、口笛を吹いて顔を逸らす。

「いや、義務教育上の学習指導要領ごときで、私の価値は数値化出来ないというか……」

「ばか。必要になる時が来るんだから、しっかり勉強しとけって、いつも言ってるだろ?」


 芹那の頭に手を載せた紘。その表情は硬い。芹那も、言葉の意味を理解したようだ。


「そ、そうだよね! ……うん、将来のために、少しは勉強頑張ってみるよ!」


 明るい口調を装った芹那は、手を振りながら中等部校舎へと掛けていく。


「芹那……しっかりな」


 そもそも、妹をこんな状況に陥らせてるのは、すべて自分の責任なのだ。彼女が病持ちの身体で生まれたのも、特務情報部へ接触する方法が思いつかないのも、すべては自分自身に起因する事象だ。


 ――かくなる上は、総理大臣官邸に直接押し掛けるか?


 ダメだ。思考回路が昨日と同じだし、そもそも発想がテロリストだ。


「とりあえず学校に入るか……」


 紘は目の前の校舎を見上げる。妹が居なくなる人生が待っているかもしれないこの時分に、果たして自分も勉強なんてしている意味があるのだろか。


     *


 教室に入り、自席の横に通学鞄を置く。


 ――校舎という日常の場にやって来ても、頭に思い浮かぶのは妹と特務情報部のことばかりだ。


 などと嘆息していると、神代学園の新聞部員であり、父親も大手通信社の役員であり、生徒会の極秘情報から中等部の裏事情まで把握していると豪語する同級生、水無瀬いずみがそこに立っていた。


「……おはよう、高宮君。今日も調子悪そうだけど、なんかあったの?」


 そう尋ねるいずみの様子もあまり芳しいとは言えなかった。紘はモヤモヤとした気分を振り切ろうと、努めて平静な態度で応じる。


「俺は常に明朗快活なつもりだが」


 椅子に座りながら答えると、「いや、いつも残業帰りみたいな顔してるじゃない」


「……そんなに疲れた顔をしているか……?」

「最近はそうでも無さそうだったけど。前やってたバイトは休業中なんだっけ? 相当ブラックだったみたいね?」「ブラックなあ……」


 十八歳以下の少年少女を公安の特殊部隊に配属させる職場は、ある意味ベンタブラック企業と呼べるかもしれない。蘇生前提とはいえ、毎シフト人を殺してるし……。

 そもそも警察という職場も、霞が関という地域自体もブラックの温床であるわけだが。

 と、これは隣の一課員お決まりのぼやきだった。


「――そのバイトの話……。高宮君、今日も蘭子先輩が登校してないみたいなんだけど、何か知らない? 同じバイトなんでしょ? 先生たちもみんな知らないみたいで……」

「……分からない。俺もこの間のバイト以来、顔を合わせていない」


 いずみは「そうなんだ……」とシュンとしてしまう。〝会社〟でも学校でも面倒見の良い先輩として通っていた蘭子は、方々から慕われていた。だが、まさか先日のミサイル事件に関わっているかもしれない、などとは口が裂けても言えなかった。


「私も色々と伝手を辿ってるだけど、全然消息がつかめなくて……」


「辞めておけ」。そう口から出そうになり、慌てて噤む。止められれば加速するのが好奇心というもの。いずみが余計に張り切って〝内証〟に触れでもしたら危険だ。悲しいが、手掛かりが見つからないまま、諦めて貰うほかない。


「俺もバイトを辞めたから、あんまり情報を持ってないんだ。悪いな、水無瀬」

「ううん」といずみが首を振るが、今にも泣きそうな顔をしているのに気づいた。

「蘭子先輩ね、よく女子の間では悩みを聞いてくれることで有名だったの。特別なアドバイスをしてくれるわけじゃないけど、共感力があるって言うのかな。いつも親身になってくれて。だから、この学校の女子はみんな、蘭子先輩を心配してるのよ」


 いずみは、いつになく熱のこもった様子だが、紘にはどうしようもない。一連の事件が「内証機関の再編」にあるなら、それは国家や政府の力、それもテレビの向こうで答弁している防衛官僚すら超越した〝何者か〟が動いていると見ていいだろう。


 そんな力に、数十人の高校生の主張など通用しない。そもそも紘自身、今日明日にでも同じ目に遭わないとも限らないのだから。


「…………バイト先の事で何か分かったら、教えるよ。期待は出来ないけどな……」


 そう、苦し紛れに言うのが精一杯だった。


     *

 夕暮れの校門で兄を待つ。最近はいつも紘と一緒に帰宅している。芹那はいつも「このシスコン兄めー」などとおちゃらけた台詞を吐き、紘が憮然と「そんなんじゃない」と返すやり取りは、もはや日常を演じているだけの儀式に過ぎない。紘は自分を心配させまいと強がっているが、とっくに高宮家の日常など崩壊しているのだ。


 だが紘は、それを何でも無いことのように振舞う。妹は、妹だけは日常の世界に留めておきたいと思っているからだ。兄は幼い頃、自分が生まれてくるために罪を犯した。そのせいで芹那は不完全な身体で生まれ、顔を見る前に母を失った。それを、兄は負い目に感じている。特務情報部で戦っていることも、いま、日常を脅かされていることも、すべてが自分の責任だと紘は思っているのだ。


「何でも自分で背負いこむ必要なんて、無いんだけどなあ……」


 空を見上げた。涙が零れそうだから。兄が辛い目に遭っているのは兄のせいじゃないのに。


 むしろ自分が不完全な生命だったからこそ、兄は罪を犯し、母は命を落とし、こうして超能力と諜報に彩られた世界に生きているのだ。だけど、兄はその考えを許さない。妹に罪を背負わせるぐらいならと全部背負いこむのが、曲がってるようで真っすぐな兄の性分だ。


 瞳の横から、涙が頬につたう。いけない、兄が来る前に元気な顔に戻さなければ。


 制服のポケットに入れたハンカチを探す。すると、横から誰かの手が伸びた。


「――かわいらしい顔が台無しですわね。私ので良ければ、使って下さいな」


 神代学園のものとは違う、他校の制服を着こんだお嬢様風の少女の手が差し出される。


 年は兄と同じぐらいだろうか。気味が悪いほどの笑顔で、突然横に立っていた。


 ただ、異様なのはその目を隠すように掛けられたバイザー。サングラスにも見えるが、何処か機械的な素材で構築されているように見える。

まるで、SF映画に出てきそうなデザインだった。


「あ、あなた……誰……?」


 少女は「ああ、申し遅れました」などと慇懃無礼な態度で、一礼する。


「私(わたくし)は茉莉(まつり)。貴方を迎えに来ましたの。〝次世代のエムザラ〟をね……」

「は? ――って、あれ……?」貸してもらったハンカチで涙を拭こうとした瞬間、


芹那の意識は途切れた。


「――私は、貴方と貴方のお兄様の、ファンなのです」


 茉莉なる少女の声が、頭の遠くから聞こえたような気がした。


     *


「芹那、遅いな……。掃除当番か?」


 夕焼けに照らされた校舎の周囲には、帰路につく生徒たちが三々五々散らばる。だが、その影に隠れて、幾人もの人間が紛れているのを、紘は見逃さなかった。


 ――あれは公安総務課。あっちは情報本部。向こうに居るのは公調か? いつから


 神代学園はスパイのサミット会場になったんだ?


 彼らは何もしてこない。ただ、監視しているだけ。だが、国家に常時監視されていることほど気持ちの悪いこともない。「今は何もしない。気が向けば何かが出来る」。そう警告を受けているに等しい。自身もその一部だからこそ、余計その恐ろしさも熟知している。


 もう、毎晩掛かる非通知の着信も、帰宅後に動かされている家具も、いつの間にか仕組まれた盗聴器も、全てが冗談だと思いたかった。


「どうすればいいんだろうな、父さん……」夕焼けを眺めていると突如、ポケットに入れたスマホが鳴り響く。通知には「芹那」と表示されていた。LINEではなく通話。


 とてつもなく、嫌な予感がした。


「もしもし。俺だ。どうした?」『お兄ちゃん! 助け――うっ……!』


 尋常じゃない妹の声。妹の教室まで迎えに行かなかったことを死ぬほど後悔した。


「お、おい、芹那! どうした⁉」

『――高宮、紘ですわね?』


 聞いたことのある声。何処で? もちろん、崩壊するSSIビルだ。


「お前は……あの時の……⁉」


 想像する限り、最悪の展開の可能性がある。紘はその先の台詞を予想した。


『私たちは……そうですわね。貴方たち兄妹の大ファンとでも言いましょうか。それだけ言えば、あとは察してくれますよね? ――おまわりさん?』


 ――埠頭の女か⁉ 周囲の人影を見渡す。通信機を持ったスーツ姿の人員が、こちらを横目に確認しながら、何処かに状況を報告している。妹が、一般市民が攫われたことを知りながら何もせず、報告に従事する政府機関の職員たち。それが意味することはただ一つ。


「政府が国民を拉致かよ……⁉ 妹に手を出したら、殺す……!」


 怒りのあまり、おかしくなりそうだ。何処までこの国は狂ってしまったのか。


『察しがいいですわね。先に言っておきますが『警察に言っても無駄』ですよ?』


 続けて女は、近場の廃工場の住所を告げた。確かそこは、公安の借り上げ施設のは

ずだ。


「……いいだろう。国が助けてくれないなら、俺が助けに行くまでだ――!」


 スマホを切る。どうやら相手は国家権力に影響力を持っているらしい。周辺に居る尾行要員など、露払いですらないということか。スポーツバッグに入った模造品の武器の重さを感じながら、紘は脇目もふらずに廃工場へと駆け出した。

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