第12話
「――こちらは準備万端です。相変わらず、そちらも手際がよろしいですね。――そうですか。彼らの決行は、明日。了解です。これより、任務を開始します。それでは、また」
通話を切ると同時、格納庫のシャッターが開き、耳をつんざくほどの警告音が辺りにこだまする。
体育館を数倍の大きさに広げたような空間内には、銀色の新型戦闘機が鎮座していた。
その前輪部近くには、黒く細長いケースを背負った少女が無表情で佇んでいる。
「――よろしくお願いしますね、F-35X。今日から貴方は、わたしの相棒です」
少女は動物に話しかけるような優しい声音で、前輪のシャフト部を撫でる。
迷彩服に角刈りの男達が近づく。三週間をともにした、米空軍の軍人達だ。
「(まさか二十一日で操縦をマスターするとはな、サムライガール。お前さん、何者だ?)」
リーダー格のパイロットが面白おかしそうに質問してくる。少女は無表情で、しかし、あまりボリュームの無い胸に手を当て、一礼する。
「(大和撫子は、奥ゆかしさこそが美しさの秘訣なのです)」
「(はっ! 最後まで変な女だったなお前は)」
そう言って軍人は、緑色のダッフルバッグを放り投げてきた。結構な重さのそれを、少女は細腕で難なくキャッチする。
「(おら、持ってけサムライガール。これは俺達の選別だ)」
「(なんですかこれは? ヤンキー流のプレゼントですか?)」
少女が袋を開くと、そこには銀色の包装でパックされた数々の戦闘食。結構な数だ。
「(……ありがとうございます。大切にします。帰国したら、ぜひ神棚にでも……)」
「(いや、食えよ! まずいのは俺達だって承知してるんだよ!)」
「…………これなら、わたし考案のダークマタードリンクの方が数倍マシです……」
日本語でぽつりと呟く。あの相棒は、どんな顔をして拒否したのだろう。
それとも、飲んでくれたのだろうか。
「(あ、何だって? 不満があるなら、聞こえる言語で言って欲しいな?)」
たった三週間なのに、冗談を言い合える仲になった。少し寂しいと少女は思う。
男も寂しそうな顔をしたが、すぐに顔つきを軍人のそれに変えると、少女に近づき、耳元で囁く。そして、手元に持った複数の書類を見せた。
「(〝積荷〟は搭載した。しかし、なんだあの物体は? お前はどんな任務に関わっている? CIA長官のサインが入った命令書なんて、初めて見たぞ俺は?)」
「(……知らないことがいいこともあります。日本にも、もちろん
「(〝積荷〟だけじゃねえ……。この戦闘機もだ。ガワだけは
少女は無表情からでも分かる殺気を、視線から放つ。
「(消されますよ? この基地ごと。わたしは、友人をそんな目に遭わせたくありません)」
軍人は押し黙る。そして、嘆息して「(一つだけいいか?)」と聞いた。
「(どうぞ。答えられる範囲で、なら)」
「(お前さんはこの戦闘機で、何をしに母国へ帰るんだ?)」
少女は完全に開いたシャッターから垣間見える、日本へと続く青く澄み切った空を仰ぐ。
そして、その空を背景に、振り向いて言った。
「――To save the world……です」
*
『――えー、つまり、あの巡航ミサイルは試験的に導入したものでありまして、敵基地攻撃のために購入したものでは無く――』
ニュース番組では防衛省防衛政策局長の、もはや霞が関文学では言い訳や誤魔化しの効かない状態に置かれた、哀れなる姿が映る。野党は批難轟轟だ。
前代未聞の不祥事を引き起こした政権は、既に末期状態に陥っていた。
「もう滅茶苦茶じゃねーか……。本当におかしくなったのか、この国は?」
自宅のリビングでテレビを眺める紘。テーブルの上には大量の新聞、週刊誌、外国報道資料が広げられる一方、パソコンとラジオが無造作に置かれている。
『防衛省・海上幕僚監部によれば、『今回の件は訓練中の事故であり、原因究明に全力を注ぎたい』とのことですが、自国を攻撃する組織の調査に、果たして信用が置けるのでしょうか?』
防衛省は日報、ミサイル事件と
巨永や蘭子と連絡が取れなくなってから、既に三週間が経過していた。
特務情報部本部ビルは警察によって封鎖され、芹那の治療薬を手に入れる手段を失った。
もちろん、志乃とはあれ以来なんの連絡も取っていない。彼女の携帯には全く繋がらなくなってしまったからだ。
「……いっそ、警察庁か警視庁に突入してみるか?」
そんなことをしたら最後、殺されるのがオチだ。超能力者でも出来ないことはある。
「あああああ、くそ……どうすればいいんだよ、これから……」
「――お兄ちゃーん? ちょっと手伝って欲しいんだけど?」
キッチンの奥から芹那の声が響く。だが、紘はそれに気付かず、資料整理に没頭する。
「ちょっとお兄ちゃん?」と芹那が怒った様子で居間にやってくる。
が、その声は届かず、紘はただ報道資料に釘付けになっている。
「お兄、ちゃん?」その問いかけにハッとする紘。
「あ、悪い、芹那。どうした?」
「なんだか顔色が悪いよ? 気になることでもあったの?」
心配そうな表情でこちらを覗き込む芹那。「……いや、なんでもない」
「本当に? 特務の仕事と何か関係があるんじゃ――」
紘は手元のリモコンでテレビの電源を消した。
そして、何か言いたげな芹那を遮り、目線を合わせるように屈んで、頭をポンと撫でる。
「お前が気にすることじゃない。それよりも、何か用か?」「う……えっと…tね」
芹那は少し戸惑った顔をするが、兄の思いを察したのか、すぐに明るい表情を作る。
「う、うん! 夕飯作るの手伝って欲しいなって!」
芹那は、うきうきとキッチンへ戻りながら、自作の「カレーの歌」なる曲を歌いだす。
その光景を微笑ましく見るが、紘は、妹があと何か月生きられるかを考えてしまう。
――なぜ課長は俺の連絡に応答しない? 特務は今、どうなっているんだ?
紘の連絡に巨永や蘭子が応答した回数は実に0回。とんでもない事態がこの国で起きていることだけは確かだ。蘭子も死んだ? 現場に居た? そして、志乃は何処に消えた?
――分からないことが多すぎる。オシント作業ではもう限界だ。
「お兄ちゃん、早くー!」
「包丁は気を付けて持てよー」
芹那の笑顔が見える。あのあどけない笑顔が消えない内に、次の行動に移らねば。
二人で隣り合って具材を切り始める。食事だって、特務の仕事が無くなれば無一文だ。妹はまだ中学生。自分が育てるしか道は無いのに……。
「大丈夫だってー! この芹那様の包丁捌きをとくと、ご覧あれー!」
玉ねぎを切り刻もうとした瞬間、ふら、と芹那が横に倒れる。
「――芹那! 危ない! ……痛っ!」
慌てて芹那を抱き支える紘。彼女に刺さらないよう、とっさに包丁へ手を伸ばし刃先を握り締める。血が床に滴る。だが、そんなことはどうでもいい。
「しっかりしろ、芹那! 芹那? 芹那!」
妹がゆっくりと目を開ける。「ご、ごめん、立ち眩みが……」と言って、紘の掌を見る。
「お、お兄ちゃん! 大丈夫なのそれ! 血が凄い出てるよ!」
「任務中に比べれば、こんなの怪我の内に入らないよ」
だが、芹那の目頭には、どんどんと涙が溜まり、遂に泣き出してしまった。
「――ぐすっ、ごめんね、お兄ちゃん……。役立たずの妹で、ごめんなさい! うう……」
「バカ、何を言ってるんだ……」
事件の後、芹那の精神はすっかり参ってしまたようだ。巨永も志乃も蘭子も行方不明。自分の身体だって、組織のサポートが無ければ死が迫ってくるかもしれない。そんな重圧に中学二年生の女の子が耐えられるわけがない。
――理不尽に抗え。誰も助けてなどくれないのだから。
父の言葉が脳裏に反芻する。
『――次のニュースです。南スーダンPKOに関連して、首都ジュバで大規模戦闘が起きた際、現地部隊が作成した日報を陸自が『廃棄済み』と不開示決定した件について、一連の経緯が防衛省による組織的な隠蔽ではないかと疑惑が持たれています。これを受け、政府は――』
*
翌朝。ガーゼの巻かれた右手で通学の準備をする。鞄の中には、いくつかのモデルガンと模造ナイフ。そして、御守り替わりの秘密兵器を忍ばせた。いずみ辺りにバレたらまずいため、鞄は二重底にしてある。
何か大きな陰謀の末端に巻き込まれている、そんな嫌な予感が紘にはあった。
「準備できたー?」
「ああ、いま行く」
通学用の荷物をまとめ、玄関で待つ妹の元に向かう。
「よし、出発進行! 今年は皆勤賞を狙ってるからね!」
芹那は元気そうな顔をしているが、やはり空元気に過ぎない。紘の胸が痛む。
玄関を出ると、即座に視線を感じ取った。彼らによる行動確認が始まったのだ。
「……今日も居るの?」
「ああ、多分三人ぐらいか」
「いや、人数まで分かるのか凄いな超能力者」
「なに、第六感みたいなもんだ」
紘と芹那はエマンションの階下に降りる。そして、丁字路のカーブミラー、バイクや車両のサイドミラー、窓に映る景色から、自分達を監視していると思しき人影を確認する。黒スーツ、私服の男、OL風の女性。その襟下にはワイヤレスマイクが見える。
「やっぱり三人……。多分、今日は警視庁公安部だ」
「昨日は情報保全隊、だっけ……? 違いが全然分からないけど……」
紘は得意げに説明を始める。
「いいか、保全隊と公安では行確の方法も違う。そもそも、まず装備が――」
「尾行されながらスパイについて熱く語る兄の方が、妹としてはむしろ驚きなんだけど」
呆れた様子の芹那は「それで、どうしよう?」と問いかけてくる。
「目的が分からない以上、普段通りの生活を送ろう。――出来るか?」
「いつもと変わらない日常を送るのが目標なんて、変な感じだね」
「だけど、それが一番難しいミッションでもある。最近、それに気づかされた」
紘が真面目な様子で答えると、芹那は少しだけ物憂げな表情を浮かべる。
「……いつもごめんね、私のせいで……」
「――それは言いっこなしだ。お前が気にすることじゃない」
むしろ、この状況は紘を発端だ。彼女の生まれから今日までの全てが。
「うん、ありがと……」芹那が紘の小指を少しだけ握ってくる。強がってはいるが、妹だって不安なのだ。なら、自分がしっかりするしかない。
そして、芹那はわざとらしい大きく明るい声で話題を切り替えた。
「そ、そういえば、クラスの友達が言ってたんだけどね、駅前のケーキ店が――」
「へー。今度、水無瀬でも誘って行ってみるか」
『日常』を演じることが出来るうちに、何とかしなければ。紘はミラー越しの工作員たちに視線を向けながら、肩を寄せてくる芹那の体温を感じていた。
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