第三章 第130話 懇願

 マルグレーテ・マリナレスと名乗った女性が、久我くが純一じゅんいちの通訳を通して語ったのは、以下の事だった。


 まず自分は、とある人物の命令でオズワルコスの監視を続けていたと言う。

 その人物とは、かつての「学校訪問」のおりにザハドから来ていた使節団の一人で、アウレリィナ・アルヴェール・ヴァルクスと言うらしい。


 その時、お互いに自己紹介をしたので、全員がその名を耳にしたのは確かである。

 しかし、記憶していたのはたちばな響子きょうこだけだった。

 くだんのボイスレコーダーの内容を聞いていた諏訪すわいつきは、そこで語られていた中にあった名前としておぼえていたが。


 マルグレーテは響子たちを助けた理由として、あるじであるアウレリィナから、そのように任務を受けていたからと言った。

 オズワルコスを監視し、日本人が危害を加えられそうになったら保護せよ、と。


 グラウンドで起きていたこと――瓜生うりゅう蓮司れんじたちが暴行を受けた上、連れ去られてしまったこと――についても承知していたが、自分一人ではどうしようもなく、見過ごさざるを得なかったことを申し訳なかったと、マルグレーテは謝罪した。

 彼女によれば、オズワルコス配下の者たちと違って、エーヴァウートと言う男がひきいているのは「人形ニナ」と呼ばれる、非常に特殊な者たちなのだそう。

 何しろ、人形たちニナスには「魔法ギームが効かない」らしい。


 頭を下げるマルグレーテに、一同は複雑な表情で黙り込むしかなかった。

 そもそも蓮司たちが拉致されたのは、彼女のせいではないのだ。

 責任を問うのは、筋違いにも程がある。

 それでも、もし助けてあげていたら……という気持ちがき上がってしまう。

 その理不尽さが分かっているがゆえ迂闊うかつに口をひらけない。


 次に、校長室で起きたことについて、説明があった。

 そもそも学校には、長屋ながや建設の名目でオズワルコスの配下が多数入り込んでいたとのこと。

 建設作業自体は計画通りおこなわれていたし、全員がレアリウスの関係者というわけではないが、作業現場は実質的にレアリウスの出先でさき機関と化していたらしい。

 一方いっぽう、レアリウスという組織について、細かな説明はなかった。

 日本人の持つ知識や技術、そして人体そのもの・・・・・・を手に入れるために、いろいろと画策している組織ということだった。


 そして肝心の校長室での出来事だが――端的たんてきに言えば、彼女は実行部隊の一人になりすましてもぐり込んでいたらしい。

 しかしいつきは、そのような特殊部隊の一員に簡単になり替われるとは思えない、と疑問を呈した。

 加えて、彼女はごく短時間にの四名――マルグレーテと同様に手練てだれであったはず――の息の根をめ、壬生魁人に瀕死の重傷を負わせたのだ。

 それを、職員室側に気取けどらせることなくやりおおせると言うのは、考えにくいと言いたいらしかった。


 マルグレーテは、まず魁人については、当然命を奪うことも容易たやすかったが、意図的に生かしたと言う。

 その理由として、日本人の殺害の許可が出ていないことと、そのほうがレアリウスに協力する勢力――つまり龍之介たち――を無傷でこの場から排除するのにより効果的だと判断したため、と説明した。


 組織への潜入方法や、の四人の殺害方法などは、くわしく説明するつもりはないらしく、この通り実際に出来ているのだから、と述べるにとどまった。

 実際のところは、彼女の魔法ギームを使った能力によるのだが、それを今ここで学校のメンバーにつまびらかにする必要も義務も、当然ない。


 純一の通訳を介して、時に質問を投げかけながら、ここまでの大まかな事実について、とうとう知ることとなった学校勢九名。

 彼らのあずかり知らぬところで、思いもよらない事態が進んでいたことに改めて驚きを隠せない彼らからは、何度も大きなため息がれる。

 それは一端を知っていた久我夫妻にとっても、同様なようである。


「なるほど……」


 橘響子が、何度目になるのか分からないため息のあとに、呟いた。

 目をつぶり、こめかみを右手の人差し指でくりくりと押さえている彼女が次の言葉を発するのを、他の者たちは待っていた。

 執行部というものが実質的になくなった今、その場の誰もが響子のことを暫定ざんてい的なリーダーだと、何となく感じていたのである。

 その執行部の追放劇において、とても大きな役割を果たした諏訪すわいつきですらそう考えていた。


「マルグレーテさん」


 第一声で、響子はまず、自分たちを救った彼女の名前を口にした。


「何でしょうか」

「お話をうかがって、あなたに助けていただいたことの意味の大きさを改めて理解しました。本当にありがとうございます。そして、その任務を与えたという、あなたのあるじであるアウレリィナさんにも、心から感謝を申し上げます」

「伝えておきましょう」

「まずひとつお聞きしたいのですが、あなたはこれからどうされるのですか?」


 響子の問いを通訳され、小首を傾げるマルグレーテ。


「……どういう意味でしょうか?」

「あなたはオズワルコスの監視のために、レアリウスに潜入したとおっしゃいました。しかし先ほどの件で、あなたの正体は先方に露見ろけんしてしまったはず。任務の継続は困難だと思うのですが……」

「それはその通りです。今回のことをあるじに報告した上で、新たな任務にくことになるでしょう」

「でしたら、ひとつお願いがあります」

「何でしょうか」


 たった今、これ以上ないほどの助力を受けた身である。

 ここからさらに、響子は何かを求めようとしている。


「既に救ってもらった立場で更なる願いごとをするなど、図々しいにも程があるのは百も承知の上で、恥を忍んでお願いいたします。今だけでも構いません。私たちがこれからする話し合いに参加して、助言をいただけないでしょうか」

「……」


 響子の台詞せりふに対して、マルグレーテは特に不快に思っている様子はない。

 しかし同時に、好意を積極的にあらわしてもいないように見える。

 フードこそ取ったが、その表情から内心を推しはかることは出来ない。


「私たちは現在、多くの問題をかかえています。解決しなければならないことが、短期的にも中期的にも、そして長期的にも山積さんせきしていると言えます。初めからただ他人様ひとさまに頼ろうとは考えておりませんが、それにしても知らないことが多すぎるのです」


 響子は、悲しそうに目を伏せて続けた。


「多少でも知っている人たちは……八乙女さんも……皆、いなくなってしまいました。そのすべてが私の責によるものだと己惚うぬぼれるつもりはありません。しかし、私の優柔不断さが原因の一端いったんであることも、また事実だと思っています。純一さんだけは通訳を務めている関係で、私などより事情に通じているかも知れませんが、恐らく彼をしても分からないことばかりだと推察しています」


 響子は立ち上がり、再び頭を下げた。


「……私はこれまで、私たちを襲った様々なことに対してまったく、何の役に立ちませんでした。朝霧あさぎり先生のもとにあっても、鏡さんの時でも、直接責任を負う立場にないのをいいことに、外の様子を、真実を積極的に知ろうとはしなかったのです。その結果、このようなことになってしまいました……」


 そう言うと、響子は膝を折り、ゆかに手を付けた。

 そのままひたいを、両手のあいだこすりつける。


 皆、驚いて腰を浮かすが、響子の背中からは自らへの干渉を許さないと言う意志がはなたれているように感じられ、そのまま言葉を失う。

 通訳する純一も、なるべく響子の真意を間違いなく伝えるべく奮闘しているが、動揺を隠せないでいる。


「このような無様ぶざまな真似しか出来ない私を、許してください。対価として差し出せるものは、何もありません。それでもどうか、お願いします。私に出来ることでしたら、如何様いかようなことでも致します。力を貸してください……」

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