第三章 第131話 告解の行方

 結果として、マルグレーテはたちばな響子きょうこの懇願を受け入れた。

 彼女の返答は「分かりました」というシンプルなものだったが、響子の意図や覚悟をんだ、友好的な響きをびていた。


 ただし、話し合いそのものは午後に改めておこなうことになった。

 無理もないことだが、職員室にも一同にも、妙な興奮と言うか高揚した雰囲気が残っているので、それらを一旦いったんクールダウンするため、そしてより落ち着くために何か腹に入れた方がいいのではと言うことで、昼食をとることに決まったのだ。


 響子は、マルグレーテにぜひ食卓を共にしてもらうよう勧めたが、彼女は一度報告に向かうと言って学校を出て行った。

 学校勢はまったく気付かなかったが、いわゆる「東の森」には拠点のようなものがあるのだ、とマルグレーテは言った。

 用を済ませ次第しだいすぐに戻ると言い残した彼女を見送ると、一同はすぐに食事に支度したくにとりかかった。


    ◇


 メニューは、例の肉うどん。

 甘辛くほろほろになるまで煮た肉を乗せたシンプルなうどんで、出汁だしこそ満足にとれていないが、なるべく日本のつゆに近付けるようにいろいろ工夫されている。

 いつものようにザハド産の野菜で作った、さっぱりお新香しんこもちゃんと添えてある。


 当時、調子のすぐれなかった朝霧あさぎり彰吾しょうごのために、よく提供していた一品ひとしな

 これは決して、おもに食事を運んでいた英美里えみりを当てこすったわけではなく、元々昼食用に仕込んであったのだ。


 それでもうつわを前にして、複雑な表情を隠せずにいる英美里だったが、それは彼女だけではなく、如月きさらぎ朱莉あかりもそうだった。

 彼女は、先ほど執行部とバチバチやり合っていた時から、おかしな様子を見せており、誰もがそれに気付いていた。


「皆さん、あの……聞いてもらいたいことが……あります」


 だから、食事が終わったころに、彼女が突然立ち上がってそう言いだしたところで、特に驚く者はいなかった。

 一同は朱莉に顔を向け、言外に先を促した。

 視線を集中されて一瞬ひるむ様子を見せたが、大きな深呼吸をひとつしたあと、腹を決めたように話し始める。


「私は……大変な罪を犯してしまいました……」


 誰も、何も言わない。


「鏡さんたちに、校長先生の遺書の存在を伝えたのは……私なんです」


 自らに集まる視線がどんな色をしているのか、朱莉に確かめる勇気はまだ、ない。

 ゆえに、目をつぶった。

 そのまぶたの裏に、天方あまかた聖斗せいと神代かみしろ朝陽あさひの姿が浮かぶ。


「私は……愚かでした。私は早く、娘と夫に会いたかった。だから……帰してくれるのなら、誰でもよかったんです。そして、それを邪魔しようとする人が……憎かった…………」


 閉じたまなじりから涙がこぼれ、ほおを静かにつたっていく。

 したたり落ちて、シャツを濡らすのも構わず、朱莉は続けた。


「私は偶然、黒瀬さんと瓜生さんが遺書について話すのを聞いてしまいました。その時の私には、二人が鏡さんに対するただの妨害者にしか思えませんでした……。だから、嬉々ききとして鏡さんに注進したのです。その結果が……!」


 黒瀬真白が、地面に倒れ伏す姿。

 瓜生蓮司が、蹴り飛ばされる姿。

 神代朝陽が、地面に叩きつけられる姿。

 そして――天方聖斗が早見澪羽をかばい、胸を貫かれる姿。

 その胸に広がっていく、赤い染み。

 自らが招き寄せた無惨むざん酷烈こくれつな光景が、繰り返し朱莉の脳裡のうりく。

 その痛みに耐えるように、朱莉は告白を重ねていく。


愚昧ぐまいな私は、自分の思いばかりを優先するあまり、自分だけではないという当たり前の事実を見失いました。もし、何者かの仕業しわざで私の娘が傷つけられたら……私は相手を八つ裂きにしても飽き足らず、永劫えいごう決して許さないはずです。その何者かと同じことを、私は天方君や神代君の親御さんに対してしてしまったのです……! 仮に無事に日本に帰れたとして、どんな顔をして娘と夫に再会すればいいのか……。そもそもそんな資格を、私はとうに失ってしまったと思います」


 自分の中でどんどん大きくなる思いを口にすることで、改めてその罪深さにぶるりと肩を震わせる朱莉。

 それでも、この告白をもうめるわけにはいかない。


「ここまで事態を悪化させてようやく、私は自らのあやまちに気付きました。そんな私は……一体どうしたらいいのでしょう。どんなに願っても時は戻りません。ここでこうして、皆さんの仲間のような顔を続けることすら、許されないようにも思えます。この告解こっかいじみたことが、ただの自己満足――自分が楽になりたいだけと言われても、返す言葉がありません。どうか……教えてください」


 言い切ると、朱莉は立ったまま深くこうべを垂れる。

 がたり、と別の者が立ち上がる音がした。

 不破ふわ美咲みさきだった。


「如月さんに罪があると言うのなら、私も同罪です。私は遺書について、彼女から相談を受けました。鏡さんに相談するという言葉も聞きました。でも……私は彼女をめなかった。いろいろなことを疑いながらも、現実に流される方を選んでしまったんです。それに――」


 美咲の言葉に驚いて、朱莉は驚いて頭を上げた。

 そんな彼女に、美咲は寂しそうに微笑ほほえんだ。


「――如月さんに同調するならせめて、遺書のことを私も一緒に鏡さんに報告すべきでした。それなのに、しなかった。如月さんを矢面やおもてに立たせて、自分は関係ないふりをした……中途半端であり、卑怯きわまりない所業です」


「違います、不破さん。私は自分の意志でしただけです」


「違わないわ、如月さん。今ここで懺悔ざんげすることですら、あなたに便乗する形になってしまった。本当にごめんなさい。そして皆さん、申し訳ありませんでした。図々しいお願いだと思いますが、この罪をつぐなう方法があるのなら、どうか教えてください」


 そして、先ほどの朱莉と同じように、一同に向かって腰を折った。

 戸惑う朱莉も、再び頭を下げる。


 この場に流れる空気を、何と形容すればいいのだろうか。

 様々な感情や思いが交錯しているが、それを誰もが言葉に出来ないでいるのだ。

 真っ白な者も、真っ黒な者も、いない。

 何か言葉をかけようにも、その資格が自分にあるのかと言う問いが、絞縄こうじょうのようにのどを締めあげるのだ。


 ――――――――

 ――――――

 ――――

 ――


 そして――その雰囲気を破ったのは……諏訪すわいつきだった。


「いやー、参ったっすね。さっきからずっと謝罪合戦で……。もう罪人ざいにんだらけじゃないっすか。純一さんも英美里さんも、教頭せんせーも如月せんせーも、不破せんせーまでも。もちろん、八乙女せんせーの追放に賛成した僕だって言わずもがなっすけど」


「え……それ言ったら、私もそうだけど……」

「私もそう言うことになるかしらね……」


 若干ひきつった表情で、椎奈しいなあおい花園はなぞの沙織さおり苦笑にがわらう。

 まだ頭を下げたままの美咲と朱莉に、樹は「お二人とも一旦いったん頭をあげてくださいよ。僕が偉そうに指示することじゃないっすけど」と言った。


「私もそうよね、樹くん」

「もちろん、加藤せんせーもっすね。あの裁判の時、棄権した人以外はみんな有罪ギルティっす。例え、どんな意図があったとしても。つまり、全員が咎人とがにんということに」

「あ」


 加藤かとう七瀬ななせが気付いたように、声を上げた。


「そう言えば、上野原うえのはらさんと御門みかどさんは……?」

「あの二人も『追放』に賛成してたっすよ」

「いやいや、そうじゃなくて」


 樹を軽くにらみつけながら、七瀬は続ける。


「突然現れた謎の人たちと一緒に、どっか行っちゃったでしょ? 天方君も連れて」

「それなら、私が聞いています」


 手を挙げて答えたのは、響子だった。

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