第三章 第129話 決着

 ――誰もいないはずの校長室側から、ドアがひらいた。


 理由を知っているかがみ龍之介りゅうのすけとオズワルコス以外にとっては、ホラー的な恐怖を呼び起こす現象だった。

 ただでさえ、自分たちの去就きょしゅうがかかった、いわば真剣勝負の最中さいちゅうなのだ。

 ああだこうだと激論を交わしていたたちばな響子きょうこ諏訪すわいつきも、やり取りをハラハラしながら見守っていたほかの者たちも、瞬時に口をつぐむ。

 そして……表情を強張こわばらせながら一斉に校長室への扉に視線を向けた。


 ――ゆっくりとひらいたドアのかげから、濃灰色のうかいしょくのフードがゆるりと現れると、彼らの恐怖は一層いっそう高まる。


 その色も、まとう雰囲気も、不吉の象徴でしかなかった。

 気のせいか、ただよってくる匂いさえも、鉄さびのような血を連想させる。

 彼らの本能が、く逃げよと激しく訴えかけてくる。

 しかし、まるで金縛りにあったかのように、誰一人としてその場を動くことが出来ない。


 フードの人物は、右手に何かを持っているように見える。

 位置的に秋月あきづき真帆まほ花園はなぞの沙織さおりの陰に隠れて、それがよく見えない樹は、確かめようと腰を浮かせた。


「……っ!」


 凍りつく、樹。

 その人物の右手にあったのは――どうやら人間の頭だった。


 しかしよく見れば……生首なまくびというわけではなく、うしろから襟首えりくびつかまれてだらりと引きずられている、黒髪くろかみの人間だった。


 フードの人物は、無造作むぞうさに右手を振った。

 掴まれていた男は、ちょうど正面にあった真帆の机に大きな音を立ててぶつかり、そのまま職員室の床に崩れ落ちた。


「きゃああああああああっ!!」


 真帆が反射的に立ち上がり、背筋がてつくような叫び声をあげる。

 後ろでそのあおりを受けた沙織が、声を上げるもなく椅子から滑り落ちた。


 床に転がっていたのは――――壬生みぶ魁人かいとだった。


 ぴくりとも動かない彼は、四肢ししを鮮血で染めながら、壊れた糸繰り人形マリオネットごとき奇妙な姿をさらしていた。

 ようやく予期していた展開とは違っていることに気付いたオズワルコスと龍之介が、思わず立ち上がろうとした瞬間――――


動くなネットモヴィパ


 フードの中から、むちのような声が飛んだ。

 こごえるほどに冷たく低い……が、女性の声のように聞こえる。

 龍之介には意味こそ分からなかったが、その声に心臓まで止められそうに感じられ、浮かしかけた腰を反射的に戻してしまった。


 しかし、シャツとズボンを血で染めて倒れている男が、まさかの魁人なかまであることを理解し、流石さすがの彼もあまりの想定外な事態に、混乱を余儀なくされた。


お前の仲間は、すべて始末したテスハーブルナールスオーラ・ナ・エクスクレード


 真っ青な顔をしたオズワルコスに、フードの人物が冷たく告げる。

 そして、転がったまま動かない魁人を一瞥いちべつして、続けた。


早く治療しないと、その男もトルハンドハウフェスク、アラードハヴォロ……死ぬぞモーゾル


「――オズワルコスさん、その人物は何者で……何と言っているのか?」

「……私、分からないです、誰か。言っているは……ミブさん、すぐに治療しなければ死ぬ、です」

「な、何だと……」


 常に先手を取り、相手よりも上位に位置することで、はかりごとに限らず諸々もろもろを優位に進める人生を歩んできた龍之介だが、今この時ほど意想外で圧倒的な恐怖を感じたことは、なかった。

 対応を間違えれば、自分も眼前の魁人と同じ道を辿るかもしれない……生まれて初めて、龍之介はこれほど間近まぢかで死の脅威にさらされていると言えよう。

 つまり、プランCを発動した自身が、皮肉にもより大きな力によって問答無用で制圧される結果になったと言うわけである。


すぐに去れヴルスフェスク、オズワルコス。運び出す時間くらいは与えてやるリヴォロドルナタウノメンアハルポート……死体のなモーザンテロス


    ◇


 ――そして、およそ十分後。


 鏡龍之介、壬生魁人、そして秋月真帆の三名は、学校から姿を消した。

 レアリウスのオズワルコスたちと共に。


 フードの人物の監視のもと、オズワルコスはどこからか数人の男を呼び出すと、校長室に転がっていた四つ・・の死体を運び出させた。

 校舎の東側で、長屋建設に従事していた者たちだった。


 四体ものむくろがあった割に、校長室に血のあとは思いのほか少なかった。

 引きずられたあとを床に残していたのは、もちろん魁人のそれである。


 職員室に残ったのは、橘響子、花園沙織、不破美咲、如月朱莉、椎奈葵、加藤七瀬、諏訪樹の七名。

 濃灰色のうかいしょくまとった死体と魁人が粛々しゅくしゅくと運ばれ、龍之介たちが去っていくまでのあいだ、彼ら七人の誰もが口をひらくことなく、ただ目の前で繰り広げられている景色を呆然と見つめているだけだった。


 そして――――久我純一と英美里は、とどまることを選んだ。


 英美里はともかく、純一の選択をいつきは少しばかり意外に感じたが、一方いっぽう安堵あんどもしていた。

 えみりの状態をの当たりにして、それでもなお龍之介たちについていこうとするような、唾棄だきすべきクズ野郎でなくてよかった、と。


 純一は、職員室をあとにする龍之介たちに向かって、土下座をしていた。

 龍之介と真帆は、彼に一瞥いちべつもくれることはなかった。

 ただ一言ひとこと、「気の毒にな……あの食堂の娘とやらは」とだけ龍之介はつぶやいて、振り向くことなく職員室を出て行った。


 純一は次に、残った七人と英美里に向かって、土下座を始めた。

 職員室にある四つの島――低学年、中学年、高学年、級外――の、ちょうど真ん中の位置で。


「――いろいろと……すみませんでした……」


 この状況で、何をどうすればいいのか。

 純一に何か声をかけるべきなのか、どうなのか。

 誰も分からずにいる。

 すると――


「――本当に、すみませんでした……」


 純一のかたわらにゆっくりと移動し、英美里までもが土下座を始めた。

 夫婦そろっての身を投げた謝罪に、一同はますます戸惑い、混乱してしまう。

 が――、


「とりあえず、頭を上げてください」


 いち早く立ち直ったのは、橘響子だった。


「確かに、お二人に聞きたいことはまだまだあります。しかし、それより先にしなければならないことがあると思いますよ」


 そう言って、響子はいまだに校長室へと続く扉の前に立ったままでいる、フードを被った人物に視線を移した。


    ◇


 学校に残ることになった九人は、それぞれの椅子だけ持って職員室の中央に集まることにした。

 人数が減ったこともあって、今まで通りの形だと散らばり過ぎて、何となく話し合いがしづらいように思えたからである。


 もっと言えば、大きな戦いを乗り越えて、何だか仲間と言うよりも戦友と言う言葉の方が相応ふさわしいような、話し合いと言うよりも相談事と言った方が近いような、そんな空気を誰もが感じていたからでもあった。


 椅子で円を作り、いち方向――黒板のある正面方向――にだけ空間を作り、そこにフードの人物が立っている。

 その横に、久我純一が通訳として座っていた。

 純一が椅子を用意して「座ってくださいスィディルテーム」と勧めたが、立っている方がいいと固辞されたのだ。


 すっと立ち上がり、口火を切ったのは橘響子だった。


「まずはお礼を申し上げます。状況はまったく分かっていませんけれど、恐らくあなたが私たちを助けてくださったのだろうことだけは、理解しています」


 そう言って、深々と腰を折る。

 他の者たちも立ち上がり、響子に合わせてお辞儀をした。


 フードの人物は黙ったまま。

 しかし、先ほど龍之介やオズワルコスたちにはなたれていた、抜き身のやいばのような殺気はすっかり影をひそめている。

 敵意はない……と判断してよさそうだった。


 次にどうすればいいのか、響子が少し戸惑い始めたころ、その人物はジェスチャーで一同に座るよううながすと、かぶっていたフードをするりと後方へ外した。


 現れたのは、明るい茶みがかった髪を結いあげて、いわゆるメッシーバン――ゆるめのお団子ヘア――にまとめた、若い女性の顔だった。

 生真面目な表情で、彼女は続けた。


私の名は、マルグレーテリスゼーナユーノマルグレーテ。マルグレーテ・マリナレスです」

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