第三章 第127話 最後の攻防

「ちょっと待ってください!」


 諏訪すわいつきにストップの声をかけたのは、たちばな響子きょうこだった。


「諏訪さん、あなたには今、とても助けられています。私がなかなか言語化出来なかったことを上手じょうずに代弁してもくれています。それでも……まだ何らかの結論を出すには拙速と言わざるを得ません」


 少し驚いた表情で響子を見る、樹。


「あなたの言うことを否定したいわけではないのです。少しでいいから私たちにも考える時間と――正確な情報をください。先ほど出た『校長先生の遺書』についても結局何のことか分からないままですし……何ですか? その『ボイスレコーダー』とは?」

「ああっ!!」


 突然、大声を上げながら手を叩いたのは、今度は花園はなぞの沙織さおりだった。


「もしかして……あれかしら」

「花園さん、何か心当たりが?」

「それがね、今朝いつものように朝食の仕込みをしたんだけど、ほら、朝ごはんに出した『チナタラ』って言う小籠包しょうろんぽうみたいなアレ」

「チナタラ……ああ、ザハドの人に教えてもらったって言う……」

「そうそう。ちょっと数が多そうだったから、いつもより早めに仕込みを始めようとして職員室に来たらね、まだ暗いのに誰かいたのよ」

「誰か、いたんですか?」

「そうなの。ちょうどあなたが座っている机のところにね――黒瀬くろせさんが」

「黒瀬さん、が? ――――! と言うことは、ボイスレコーダーと言うのは!」


 そう言うと、響子は自分が座っている席の引き出しを、そろそろとけた。


「――……ない。ここに入っているはずの、議事録音用のボイスレコーダーが……」

「なるほど、あれってそれ用のやつなんすね」


 愕然がくぜんとする響子の言葉を、樹が引き取った。

 どうやら樹は、ボイスレコーダーの本来の用途は知らなかったらしい。


「……諏訪さん。ここにあったボイスレコーダーは、今言ったように会議の時に録音するためのものです。ほかの用途に使うこともありましたが、特別なものではありません。しかし、本校うちでも使っていることは職員しか知らないはずです。どうしてそれをあなたが?」

「うーん……困ったな」


 響子の問いに樹は台詞せりふの通り、困ったように眉根を寄せた。


「でも確かに、ちょっと僕自身、暴走気味だったことは認めるっす。すいません。ただ……さっきかがみせんせーに言ったことからお判りかもですけど、これって切り札なんすよ」

「切り札……?」

「はい。でも確かに、まったく説明しないわけにもいかないっすよね。それは分かります。でも……これから遺書のことから順番に言いますんで、まずはそれで納得してもらえませんか?」

「……とりあえず、聞かせてもらいましょうか」


 そういうわけで、樹は話し始めた。

 時系列が分かりやすいように、説明が重複ちょうふくする部分があると言い添えて。


朝霧あさぎり校長は、四通の遺書をのこしていた。

・そのうち三通は家族てであり、一通は発見者に宛てたものだった。

・遺書を発見したのは黒瀬真白ましろだった。

・そして、以下のことが四通目には記されていた。

 ――朝霧校長は、何らかの秘密をザハドで知った。

 ――朝霧校長は自身が毒に侵されていることを悟っていた。

 ――毒を盛られたのは、その秘密に関係があると考えていた。

 ――そして、その知ったすべてを、ボイスレコーダーに録音した。


 ――――――――

 ――――――

 ――――

 ――


「――まさか、そんなことが……」


 響子はもちろん、他の誰もが驚きに身を固くしていた。

 朝霧彰吾しょうごの死は、皆にとってまさに青天の霹靂へきれきであり、唐突に降りかかってきた悪夢にほかならなかったのだが、実際にはそれ以前に原因となることが起きていたのだ。

 それは考えてみれば、当たり前のこと。

 しかし、それに誰一人気付いていなかったことに、響子はショックを受けていた。


(いや……誰一人、ではないのかも知れない……)


 着せられた罪が偽りのものだとほぼ確定的になった、八乙女やおとめ涼介りょうすけ

 響子から見ても、涼介が彰吾しょうごを亡き者にしようとする動機に、まったく心当たりがなかったし、そのようなことをするような人物だとはとても思えなかった。


(もし、彼が朝霧さんの秘密に気付いていたのだとすれば……)


 響子の中で、バラバラに散らばっていた情報てんが、にわかに繋がり始める。

 しかしそれはそうと、新たな謎が生まれた。

 確かめなければならない。


「諏訪さん……それは本当のことなんですね?」

「僕はそう思ってるっすよ、教頭せんせー。すべての裏取りをしたわけでもないし、そんな時間もありませんでしたけど」

「ひとつ聞きたいのですが、そもそもあなたはどうやって、これらのことを知り得たのですか?」


 響子の問いかけに、樹は素直に答える。


「僕、聞いていたんすよ」

「聞いて、いた?」

「はい。昨日の夜遅くに、保健室で秘密の話し合いがあったんす」

「え、ええっ!?」

「出席者は……鏡せんせーと壬生みぶせんせー、そして黒瀬せんせーと瓜生うりゅうせんせーでしたね。そこで鏡せんせーたちは黒瀬せんせーたちに、四通目の遺書についてしつこく問い詰めてました。僕は保健室の、校舎の外で耳を澄ませてて」


 一同の目が、改めて龍之介に向いた。

 龍之介りゅうのすけは……何かに落ちたような表情を見せている。

 しかし、彼はもう笑みを浮かべたりなどしていなかった。


「実際はもう少し前から、鏡せんせーたちのことを気を付けて見てたんす。加藤かとうせんせーに相談されたんすよ。何だか鏡せんせーと壬生せんせーが怪しい感じがするとか言って」


 七瀬が、緊張した顔でこくりとうなずいた。


「二人が真夜中に連れションしてたらしいんすけどね、僕は最初、あんまり気にしてなかったんすよ。そんなことで怪しいとか気にし過ぎだろって。でも、それから一週間も経たないうちに校長せんせーが殺されて、八乙女せんせーが追放されて……マジモンの鳥肌が立ちました。マジにならざるを得なかったんすよ」


「なるほど、そんなことが……。そこまでその、四通目の遺書の内容を把握しているということは、つまり?」

「はい、そういうことっす。僕は四通目の遺書を読んでます。僕から黒瀬せんせーに接触しました。夜中に女性の部屋に行くのは流石さすがに無理でしたから、朝になってからっすけどね」

「では、ボイスレコーダーについては……」

「さて、そこなんすよね」


 樹の意味ありげな視線。

 それが龍之介に向けられた。


「どう思います? 鏡せんせー。僕がボイスレコーダーに記録されていたという内容を、聞いたと思いますか?」

「……」


 けわしい表情のまま、龍之介は答えなかった。

 樹の視線を正面から受け止めているようにも見えるが、そのじつ、何か違うものを見通しているようでも、ある。

 龍之介の微妙な態度の変化に、樹は何となく不穏なものを感じた。

 まさに龍之介が言った「パンドラの箱」をけてしまったのかも知れない、と。


「僕がをはったりブラフかましてる可能性もあるし、本当に知っているのかも知れない。あなたにそれを確かめるすべは、今はないはずっす」

「……」

「というわけで話は戻りますけど、改めてどうっすか? 内容をほかの誰にも漏らさない約束で、執行部は丸ごと学校ここから退去するってのは?」

「ちょ、だから待ってくださいと言いましたよ、諏訪さん」

「え?」


「先ほどの鏡さんの話では、執行部を追放することはすなわち、ザハドからの食料がストップすることになる可能性が高いとのことでした。彼らを追い出したとして、そのあとのことをどうするつもりなのですか?」


「さっきも言いましたけど、僕は必ずしもそうなるとは思わない、かな。何となくっすけど、鏡せんせーが言った『レアリウス』ってやつ、どうも領主さんとは別口べつくちのような気がするんすよね……。まあ貴族なんて表も裏もあるものなんでしょうから、もしかしたら領主さんの別の顔かもっすけど」


「だとすれば、その案にはまだ賛成しかねますね。ほかの皆さんの命運を賭けるには、リスクが大きすぎます。ここは日本ではないのです。必要以上に楽観視することは出来ません」


「だったらアレすか? この場で起きたことに全部ぜーんぶ目をつぶって、これまで通り鏡せんせーのもとで仲良くやってくってんすか? そうやって食うメシは美味うまいんすかね?」


「だから『まだ』と言ってます。私たちだけではなく、他の皆さんにも意見を聞かないと……」


「僕もそうしたいのは山々やまやまっすけどね……果たしてそんなのんびり話し合える猶予ゆうよを、鏡せんせーが与えてくれるかどうか――」


 ――樹と響子のやり取りを遠くに聞きながら、しかし龍之介の頭の中では、既に結論は出ていた。

 樹の物言いは、明らかにボイスレコーダーの内容が龍之介に不利であることを確信した上でのものと考えられる。

 大体、ここで仮に樹の提案に乗ったとして、内容を口外しないという約束を彼が今後も愚直ぐちょくに守る保証はないのだ。

 選択肢などはなから存在しないに等しい。


 そして、ここまで彼我ひがの関係がこじれた以上、何もなかったかのように生活を続けていくことなど不可能なのは明白である。

 ゆえに、予定通り――――プランCのまま。


 龍之介は考える素振そぶりをしながら、机の下の右手でオズワルコスに合図を出した。

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