第三章 第124話 再現

「――――かがみさん……です」


 久我くが英美里えみりが指し示しながら口にした名前は、今現在、職員室正面の校長の席にしている男のものだった。


 その場にいる誰もがそうではないかと疑いながらも、何故なぜか口にのぼせることがなかったその名が、確かに今、語られた。


 久我英美里に命令したのは――鏡龍之介りゅうのすけ


 まだそれが事実だと確定していなくても、自らを実行犯だと認めた者が証言したという事実は非常に重い。

 そもそも英美里がここで嘘をつく意味など、明らかにないのだ。

 手応えを感じながらも、なお正面で不敵な笑みを浮かべている龍之介を見て、諏訪すわいつきは、彼を断罪するのにはまだまだ足りないと考えていた。

 何より、ちっとも追い詰められた様子が見られない龍之介が、いよいよ不気味に思えてくる。


 ただ、ここまで龍之介を追い込んでなお、樹はまだ切り札の全てをさらしていない。


(さっさと認めてくれるといいんだけどな……)


 仮に龍之介が認めたとして、そのあとどうするのか。

 一応の腹案はあるが、それが龍之介次第しだいであることも正直いなめない。

 万全に事を進めるには、絶対的に時間が足りなかった。

 そもそも樹が遺書の情報を入手してから、半日とっていないのである。


 底が見えない――――その不安を飲み込みながら、さらに次の段階に進めるために、樹は口をひらいた。


「鏡せんせー、英美里さんはこう言ってますけど……どうなんすか?」

「どう、とは?」


 相変わらず龍之介は、口元をゆがめたまま木で鼻をくくったような態度だが、樹は肩をすくめながら、大げさにため息をいてみせた。


「はあ……もう見苦しいっすよ、鏡せんせー。八乙女せんせーはひど冤罪えんざいを着せられたのに、あなたみたいに意地汚い真似はしなかったっす。少しはあの人を見習ったらどうっすかね?」

「……彼が追放されたのには、君の意志も含まれてるはずだが?」


 そう答える龍之介の眉が、わずかに寄る。

 そして樹は、さらに問い重ねていく。


「そうっすね。もしいつか、八乙女せんせーに会うことがあったら、僕は土下座するつもりっすよ。そんなことしたって、やっちゃったことをなかったことには出来ませんけど、誠心誠意あやまります」

「……」

「せんせーが言うように、僕もやらかしちゃってますし、僕みたいな若造わかぞうがベテラン教師の鏡せんせーにこんなこと言うのは、滑稽こっけいかもっすけど……」


 揶揄やゆするような口調で、挑むような目つきで、樹は龍之介をあおる。


「嘘やごまかしは、やっぱりよくないっすよね。間違ったらちゃんと謝れる人間でいたいっすよね」

「……」

「そう言う意味で、英美里さんはホント頑張ったと思います。あの場面で声を上げるのは、相当勇気がったはずっす。だから許されるとは僕の口からは言えませんけど、いわゆる情状酌量の余地はあってもいいんじゃないかと」


 英美里の目のはしにふたたび涙がにじみだす。

 しかし、思い直したように面持おももちをきりりと引き締め、彼女は小さく頭を下げた。


 樹の言葉は、反執行部側である仲間たちの胸にも何某なにがしか、刺さるものがあったのだろうか。

 とりわけ如月きさらぎ朱莉あかりは、なお一層うつむき、握りしめた拳が時折ふるえるのがうかがえる。

 そんな彼女に何を思うのか、心配そうに見遣みや不破ふわ美咲みさき


「それに、そもそも――――」


 そう言うと、樹は改めて龍之介に目を向け、まなじりを決したように続けた。


「――――校長せんせーは毒で亡くなったわけじゃないんすから」


 ……時間にして、実際はほんの数秒。

 しかし、もっとずっと長いあいだ、全ての音が世界から消えたような静寂が続いた。


 樹は、とうとう本丸に切り込んだのである。

 この真相をあばかねば、八乙女やおとめ涼介りょうすけの名誉が回復しないのはもちろん、久我くが英美里の勇気も無駄になり、ここまでの一幕ひとまくが完全に茶番と化してしまう。

 むしろ、状況をただ悪化させるだけの結果になりかねないのだ。

 「きつねの尾を濡らす」ような真似は、何が何でもけなければならない。


 相変わらず薄笑いを浮かべる龍之介に、まずは直球を投げる。


「英美里さんをけしかけたのが鏡せんせーなら、校長せんせーに直接手をくだしたのもせんせー本人か、執行部の誰かってことっすね?」

「英美里さんの件について、私は何も認めていないがね」

「まあそう言うとは思ったっすけどね。じゃあ純一じゅんいちさん」


 英美里のかたわらでしゃがんでいた純一は、突然自分の名を呼ばれ、雷に打たれたように跳ね起きた。


「な、何だい?」

「純一さんですか? 校長せんせーを殺したのは」

「なっ!」


 一瞬のうちに顔色を青く染めた純一は、大げさなほどに首を横に振って言った。


「ぼっ、僕じゃない! 僕が何でそんなことを!」

「ふーん……じゃあ秋月あきづきせんせーっすか?」


 純一の反応にさして興味なさそうに答え、あっさりと次のターゲットに移る樹。

 しかし、同じように唐突に名前を呼ばれたのにも関わらず、秋月真帆まほは純一と違って特に驚いた様子は見せなかった。

 彼女はちらりと龍之介に視線を向けてから、静かに答えた。


「……私じゃありません」

「そうすか。念のため聞いときますけど、英美里さんじゃないっすよね?」

「も、もちろんです!」


 心外、とでも言わんばかりに、英美里もぶるぶると首を振って否定する。

 樹は英美里に小さくうなずいて返した。


「ってことは、壬生みぶせんせーかかがみせんせーかってことに……いや、お隣のオズワルコスって可能性もあるのか……。で、結局誰なんすか? 鏡せんせー」

「ふっ……」


 笑みのはしあざけりを加えて、龍之介は言う。


「そう聞かれて、答えると思ってるのかね」

「そうっすよね。まあ、その言い方がもうこたえのようなもんだと思いますけど。英美里さん、もう一度いいっすか?」

「な、何でしょう……?」

「英美里さん、知ってます? 直接鏡せんせーがやったのか、壬生せんせーとかにやらせたのか」

「え、えーと……」


 少しだけ困ったように、英美里は答えた。


「すみません、はっきりとは知らないんです……」

「それは、何となくなら知ってるって意味っすかね?」

「何となくと言うか、ただの予想と言うか……」

「となると、答えさせるのはちょっとこくっすね……でもまあ、状況証拠的にはもう充分かな。というわけで」


 樹は一同を見回した。


「すいませんけど英美里さん、純一さん、あと花園はなぞのせんせーも一度いちど席に戻ってもらえますか?」


 呼ばれた三人は何となく首をかしげながらも、とりあえず自分の席についた。

 ほかの者たちも、樹が何を始めるつもりなのかと固唾かたずを呑んで待つ。


「これで執行部と、それ以外の僕たち両者の言い分が出揃でそろいました。今から執行部の人たちに対する処分について決めようと思います。意見のある人はどうぞ」

「……はい」


 早速さっそく加藤かとう七瀬ななせが手を挙げた。


「わ、私はこの人たちをこっ…………こ、こ殺すべきだとお、思います。出来れば、朝霧あさぎり先生と――――八乙女先生が受けた痛みと同じものを与えて」


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る