第三章 第123話 不運な女

 ひたすら変わらない姉を振り向かせるために、どうすればいいのかを子ども心に考えた末、壬生みぶ魁人かいとはいわゆる自分磨きを始めた。


 強い男になればいいと考えたのである。

 そのために学力はもちろん、肉体的な強さも求めた。

 ゆえに武道を始めたのだ。


 文武両道を目指したことは、結果的に彼の人望をさらに高め、より多くの人たちを惹きつけることにつながっていった。

 そして、魁人の心のねじれは、裏腹にいっそう――――。


 高校に入学してからも、特定の彼女を作らないと決めて、それをずっと実践し続けている魁人の周りには、相変わらず多くの女子の姿があった。

 彼自身が望んだわけでもないのに、いわゆるカースト上位の陽キャグループにいつのまにか取り込まれており、彼独自の立ち位置を確保していた。


 この頃になると、魁人へのやっかみから敵対しようとする者もちらほら現れ始めるが、彼自身が手をくださずとも周囲の仲間が喜んで始末してくれた。

 もちろん、魁人自身が解決する・・・・こともあったが。


 ――結果として、壬生ミラノが弟に対する態度を変えることは、なかった。


 魁人が高校二年生になった時、ミラノはとある大学の教育学部に入学した。

 それを知った彼は、非常に困惑した。

 教師になる気などまったくなかったからである。

 自分の将来について、まだ特に考えていなかったというほうがより正確だが、一般的な高二の男子としてはそれほど珍しいことではないだろう。


 しかしそれから受験生となった魁人は結局、姉のいる大学への進学を決めた。

 友人たちは一様いちように驚き、彼の高い学力と成績を知る担任や進路指導主事が、発狂しそうな勢いで翻意ほんいに努めたが、魁人の意志は固かった。

 両親もこの件についてはさすがにいい顔をしなかった。

 それでも最終的には折れた。


 それなのに、そこまでして姉と同じ大学に入った魁人を待ち受けていたものは――三年生になったばかりのミラノの、突然の自主退学だった。

 そして姉の行方ゆくえはそのまま、分からなくなってしまったのだ。


 魁人は呆然とした。

 大騒ぎした家族が警察に捜索願を出す直前まで話が進んだが、それをめたのは魁人てに届いたメッセージアプリ、FINEファインのメッセージだった。


 ――ある理由で、遠くへ行くことになった。

 ――自分は無事だから、心配しないで。

 ――両親にもそう伝えてほしい。


 形だけ作って、ほとんど使うことのなかった姉とのFINE――――初めて有効に活用されたのが、たった三行さんぎょうの置き手紙のようなメッセージ。

 ぬばたまの暗闇の中を、長いあいだたった一つの灯火ともしびを目当てに歩いてきたと言うのに、突然それは吹き消されてしまった。

 どこに向かって進めばいいのか、いやそもそも何をどうしたらいいのか、魁人にはもうまったく分からなくなってしまったのだ。


 ちなみに、のちに職員室がこの地アリウスに転移し、ほとんど全ての者が悲嘆に暮れていた時、八乙女やおとめ涼介りょうすけは魁人が必死にスマホを操作し、どこかに電話しようとする様子を見ていたが、この時魁人が接続を試みていたのは、姉であるミラノてのFINEファインだったのである。


 ともあれ、二十歳はたち前で人生の目標を喪失したとも言える魁人は、心の中に虚無をかかえながらも、表向きは普通の大学生活を送り、明確な目的も思いもないまま教育実習を迎え、教員採用試験を受け、N市の第一小学校に初任者として赴任することになったのだった。


 大学時代から一人暮らしを送る彼の自宅には、常に女性がいた。

 恋人は作らないと公言しているのに、勝手に住みつき、彼の世話をあれこれと焼こうとする彼女たちを魁人は放置し、好きにさせていた。

 当然女性同士で揉め事が起きることもあったが、そんな時、魁人は黙って部屋を出て行くのが常だった。

 そしていつしか、彼女らはあい争うことの不毛さに気付き、自然と「順番」や「役割分担」が生まれていったのである。


 ミラノが行方不明になってから、魁人は数えきれないほどのFINEファインメッセージを彼女に送っていた。

 彼にとって非常にもやもやしたのは、ほとんどのメッセージに対しては未読のままなのにも関わらず、時々気まぐれのように既読がつくことだった。

 もちろん、それだけで返信はない。

 ミラノの状況や真意は不明だが、結局そのせいで魁人は彼女への執着を断ち切れないままになってしまう。


 学生時代が終わり、社会人となった魁人の周囲はしかし、基本的に幼少の頃からほとんど変わらなかった。

 いや、むしろ状況はいっそう進んだと言っていい。

 以前からプライベートで彼を取り巻く女性たちに加えて、学校の同僚はもちろんのこと、担任となった子どもたち、そしてその保護者たちという新たなカテゴリーが増えたのだ。


 教え子である子どもたちはともかく、特に年代を問わず彼に好意を向けてくる同僚たちの目が、魁人にとっては何ともわずらわしかった。

 それが好意である以上、何かしらの下心が隠れているのか、それとも純粋なものなのかは、関係なかった。

 しかしその内心を決しておもてには出さず、職場では人当たりのよい好青年の薄皮うすかわかぶらざるを得ないこともあって、彼にとって初めての職場はなかなかにストレスの溜まる場所だった。


 ただそれは、学生の身分から社会人になれば、誰でも多かれ少なかれ感じることであり、ある意味乗り越えるべき最初の壁とも言えるわけで、もちろん魁人もそうした状況と上手く折り合えるようになっていった。


 そうして新採しんさいの三年間が過ぎ、次の学校へ転任。

 そこで五年間つとめたのち、魁人は再び異動することになった。


 赴任先は、今岡小学校。

 そして、時を同じくして今岡小に異動した者の中に――――山吹やまぶき葉澄はずみがいた。


 四月一日いっぴから本格的に勤務が始まる前に、異動予定者は春季休業中に異動先へ挨拶に訪れるのが通例である。

 ところが、その場で葉澄の姿を見た魁人は驚愕のあまり、無作法にも彼女の姿をまじまじと見つめてしまった。

 本人はもちろん、その場にいた一同から大いに不審がられることになった。


 ――まさか……ミラノか?


 いや、よくよく見れば似てこそいるが、うり二つというほどではない。

 眼をこすりたくなるほど驚いたのは、葉澄のかもす雰囲気だった。

 凛としたたたずまい。

 魁人を一瞥いちべつした時の、特に興味のなさそうな――むしろ若干の嫌悪すら混ざっていそうな冷えた視線。

 ひと呼吸のうちに、自分の心臓を掴まれたことを魁人は確信した。


 実はその場には、同じ転任者として加藤かとう七瀬ななせもいたのだが、彼女があまり似合っていない眼鏡をかけ、顔の半分が隠れそうな野暮ったい髪形をしていたせいか、魁人の興味は一切くことはなかった。


 そして、葉澄の名誉のためにことわっておかなければならない。

 初対面の時から、彼女が魁人を敵視していたというわけではないということを。


    ☆


 葉澄が中学生の頃、彼女の両親は離婚した。

 やむを得ない事情があり、夫婦仲が悪くなったわけではなかったのだが、その事実は伏せられたまま、彼女と弟は母親についていくことになった。

 葉澄の男性不信は、まずはこの件に根差していると言える。


 しかし、某音大おんだいに進学する頃にはそんな彼女の気持ちもずいぶんやわらぎ、四年生になるととうとう初めての彼氏というものが出来た。


 ところが、である。


 詳細は省くが、深い仲になろうとする直前、その彼氏が失敗した・・・・のだ。

 いわゆる芸術家肌で、殊更ことさら繊細?だった男は、突然葉澄をののしり始めた。

 男を何とかなだめようとする彼女を、どういうわけか売女ばいた呼ばわりし、挙句の果てにはさらにひどい言葉の数々を投げつけると、部屋から葉澄を追い出したのである。


 もちろん二人の関係はそこで切れた。

 しかしそれからその男は、ないことないことを仲間に吹聴ふいちょうし、彼女のことを徹底的におとしめだしたのだ。

 幸いなことに男の言葉を信じる者はほとんどいなかった。

 しかし、えかけていた葉澄の心の傷が、再び大きくひらいてしまうには十分じゅうぶんな出来事だった。


 そして更なる不幸が彼女を襲う。

 彼女が小学校教諭となり、最初の学校でひたすら頭を低くして、目立たぬように三年間勤めたあと、次の学校に赴任して二年目にそれは起きた。

 担任していたある児童の父親との、まさかの不倫疑惑が持ち上がったのである。


 真相は何のことはない、その男が自分の所属することになったPTAのある専門部会で、学校側の担当となった葉澄に目をつけ、一方的に迫っただけのことである。

 事実はすぐに明らかになったものの、当然のことながらその父親の家庭は崩壊し、母親は児童を連れてさっさと家を出て行ってしまった。

 巻き込まれただけの葉澄を気の毒がる声が多数上がった一方いっぽう、どこにも口さがない連中はいるもので、彼らは前述の「不倫疑惑」をまことしやかに流布るふしたのである。


 責任を感じた葉澄は一時的に心を病んでしまい、校長たちの勧めもあって休職することになった。

 そして最終的には、その学校での勤務は二年で終えることになり、葉澄本人と家族の希望もあって、それまで住んでいた静岡県西部のH市から心機一転、遥か離れた東部のN市にある今岡小へと転任することが決まったのである。


    ☆


 そんな状態の葉澄と魁人であるから、噛み合うわけがないのだ。

 魁人が近付こうとすればするほど、葉澄は逃げるように距離をけていく。

 願いもむなしく、魁人は葉澄とは違う学年部に配属されてしまった。

 ふたクラスしかない学年なら、嫌でも顔を突き合わせることが多くなると言うのに。


 そして、彼の代わりに彼女と同じ学年部(三年部)になったのは――――八乙女涼介という、魁人からしてみればあまりぱっとしない、自身より四歳年上の男だった。

 しかもあとから聞くところによれば、バツイチだと言う。


 涼介に何の瑕疵かしもないことは魁人も分かっていたが、名状しがたい感情があふれ出るのをめられなかった。

 魁人が初めて、嫉妬しっとと言うものを知った瞬間だった。


 彼が感情を暴発させずに済んでいたのは、涼介と葉澄がどうやら職場の同僚という関係以上に仲を深める様子がまったく見られなかったからである。

 むしろ割と塩対応のように見える葉澄の態度に、心の中では喝采かっさいを送っていた。

 ミラノのことを思い出す回数はゼロにこそならなかったが、ずいぶん減っていた。


 そのまま彼の心配するようなことは何も起こらず次年度になり、とうとう念願かなって魁人は葉澄と同じ学年部(四年部)となった。

 しかし思うように彼女との距離は縮まらず、客観的に言えば離れていく一方いっぽう


 そして運命のいたずらによって、彼らは校舎の一部ごと異世界アリウスに転移することになり――――現在に至る。


    ☆


 扉の向こうの職員室では、久我くが英美里えみりがとうとう龍之介りゅうのすけの名前を出した。

 このことを、龍之介と魁人は予期していた。

 何しろ「プランC」なのだ。

 力に任せて、刈り取るのみ。


(……!?)


 ところが、扉のノブに手をかけようとした魁人の肩を、濃灰色のうかいしょくのフードをかぶった一人がおさえた。

 思わずその顔を覗き込むと、能面のように無表情な男は小さく首を横に振った。


(そう言えばこいつらは、魔法ギーム精神感応テレパシーのような真似が出来るんだったか……)


 男が職員室にいるはずのオズワルコスと連絡を取っていることは、明白。

 つまりは、まだ自分の出番は先、と言うことになる。


(まったく……心底気に食わないな――――魔法ってやつは)


 魁人は返事をする代わりに、肩を大きく回してフードの男の手を払うと、音を立てないように椅子を引き出して静かに腰かけた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る