第三章 第122話 美童

(教頭せんせーが、とうとう言った……)


 諏訪すわいつきは、戦慄せんりつした。

 もちろんこれまでにも、疑わしきを本人にぶつけ続けてきた。

 そのたびに相手は、たくみにげんを左右にし、またはそらとぼけてを繰り返しながら、決して何を認めることもしていない。


 それはもちろん、樹たちが突き付け続けてきたものが状況証拠だったから。

 決定的にクロだと断定するには、少々力不足なことが否めなかった。


(でも、これは違う)


 まだ自称とは言え、実行犯自身の自白なのだ。

 重みも説得力も、違う。


 嗚咽おえつこそ収まってきてはいるが、床に座りこんだまま肩を震わせている久我くが英美里えみりを見て、樹は思う。

 決して流されまい、と。

 客観性を失うまい、と。


 それでもそんな、ある意味意地の悪い姿勢をつらぬこうとする彼ですら、彼女の姿に心が動くのを止められないでいた。

 英美里の告白に、嘘は混じっていない。

 自責の念から真実を吐露しているのだと、そう思えてならない。


 しかしここで仏心ほとけごころおぼれて、画竜点睛がりょうてんせいを欠くような真似をしてしまうわけにはいかないのだ。

 樹は、英美里の次の言葉を注意深く待った。

 他の者たちも、同じように固唾かたずを呑んで見守っている。


「……それは――――――」


 頭をゆっくりと上げながら、ほとんどささやくような声をらす英美里。

 しかしその視線は、まだ床にい留められているかのように動かない。

 恐らく彼女自身、自分が求められているものをはっきりと自覚しており、それ・・を口にすることが何を意味するのかも理解している。

 そのあまりの重大さに、もしかしたら最後の一歩を踏み越えられないかも知れない――その場の誰もがそう考え、危惧していた。


 英美里の右腕が、のろのろと上がる。

 そして、ゆっくりとやじりの形をとった彼女の人差し指がし示したのは――


「あの、人です」


 校長の席に座る、一人の男。









「――――かがみさん……です」










 男は、獰猛どうもうな笑みを浮かべた。



    ◇



(そろそろ出番か?)


 壬生みぶ魁人かいとは、ドア越しに聞こえてくる職員室でのやり取りに耳を傾けながら、心の中でつぶやく。

 神代かみしろ朝陽あさひによって昏倒こんとうさせられ、久我くが純一じゅんいち秋月あきづき真帆まほによって保健室に運ばれた彼はとっくに目覚めており、ひそかに校長室にその身を移動させていた。


 とは言え、朝陽との戦闘で負ったダメージまですぐに回復するわけもなく、鍛え上げた身体のあちこちで痛みが声を上げている。

 とくに後頭部は、朝陽の最後の攻撃で意識を飛ばされたさい、どこかにひどくぶつけたらしく、出血こそしていないが大きな皮下血腫たんこぶがじんじんとその存在を主張していた。


(くそ……あんな子どもにやられちまうとはな……)


 痛みに思わず顔をしかめながら、魁人は小声で毒づく。

 しかし、彼の周りにいる者たちからは、何の反応もない。


(それにしても……何ともシュールな絵面えづらだ)


 そう。

 校長室にいるのは、魁人一人ひとりだけではなかった。

 楕円形の大きなテーブルを、濃灰色のうかいしょくのフードのようなものをかぶった者たちがぐるりと取り囲んで立っているのだ。

 彼らは魁人がこの部屋に入ってくる前から、すでにいたらしい。


 いくら味方・・だとは言え、このような胡散臭い連中が校長室にたむろしている光景にはどうにも違和感がぬぐえない――魁人は思った。


 表情もまるで見えず、ただ何かを待つようにその場に立ち続ける彼らは五名。

 性別も正確には不明。

 体格から何となく判別できないこともなさそうだが、確認することに特段の意味を感じられない。

 そもそも、魁人はいまだにこちらの言葉がちんぷんかんぷんなのだ。

 この地に骨をうずめる気など欠片かけらもない彼は、はなから覚える気すら、ない。


 執行部副部長として、ザハド側との話し合いの席のほとんどに魁人は出ている。

 その際の通訳は久我純一だったり、ヘルマイア・オズワルコスだったりするわけだが、出席するたびに魁人は必ず確認していた。


 ――――山吹やまぶき葉澄はずみ行方ゆくえを。


    ☆


 少々ひんを欠く言い方をすれば、魁人はこれまでの人生において、いわゆる「女に困ることのなかった」男である。

 それは大げさではなく、物心がついたころからそうだった。

 彼がおぼろげに覚えている最古の記憶を探ろうとすれば、保育園に預けられていた時分じぶんにまでさかのぼることになる。


 幼心おさなごころに魁人は、保育士の先生おねえさんたちの自分に対する扱いが、ほかの子どもたちと違っていることを何となく感じ取っていた。

 それは幼稚園に通うようになっても変わらなかった。

 いやむしろ、同じクラスの女児たちにつきまとわれることが増えた分、状況はより進んだとも言える。

 自分と一緒に遊ぶのだと、複数の園児が魁人の腕を引っ張り合うと言う、マンガのような出来事が日常茶飯事として起きていたのだ。


 魁人が小学校に入学すると、表立おもてだってベタベタしてくるような女子はさすがに減っていったが、彼の周りには常に複数の友人が男女問わずれていた。

 教師たちも、あからさまな贔屓ひいきをすることこそなかったにしても、魁人に対する格別の好意を隠そうとはしなかった。


 しかし、そんな周囲を相手に当の本人はと言えば――――――クールな態度を貫いていたのだった。


 決して、不愛想ぶあいそうだったわけではない。

 隣りの席の子が落とした消しゴムを拾うだとか、休み時間に誘い合ってグラウンドへドッヂボールをしに行くだとか、普通の小学生らしい振る舞いはしていた。

 魁人が超然とした態度でいたのは、おもに異性関係においてである。


 そして、その原因は……彼の「姉」にあった。


 魁人の年子としごの姉、壬生みぶミラノ。

 カタカナではあるが本名であり、生粋きっすいの日本人である。


 年子と言えば、一般的に同じ母親から生まれた、年齢が一歳差の兄弟姉妹の関係をすが、日本には正確に言うと三パターン存在する。

 一学年差、二学年差、そして同学年の年子である。

 細かな説明は省くとして、ミラノと魁人の場合、年齢差が一年一ヶ月の二学年差の年子ということになる。


 魁人にとって、ミラノは唯一無二の特別で、異質な「女性」だった。


 友人関係はもちろん、彼の両親も親戚たちも魁人を溺愛していた。

 しかし実の姉であるミラノだけは、幼少の頃から不可解なほど魁人に対してフラットな態度で一貫していたのである。

 フラットと言うからには、特別邪険じゃけんに扱うわけでもなかったし、いわゆる塩対応ということもなかった。

 普通の姉弟していわすような会話も、普通にあった。

 それなのに、両親や友人たちが示すような過剰な親密さを、魁人には一切向けることがなかったのだ。


 自分に対する態度が、姉だけがほか大勢おおぜいとまったく違う――その事実を肌で感じ取った魁人は、いつしか姉の関心をこうと、彼女に対してあれこれ干渉するようになるのだが、ミラノの態度に変化が訪れることはなかった。


 そんなミラノに対して、魁人の情緒は振り回されて、かき回された。

 家族と言う一番身近にいるはずなのに、どうにも手の届かない存在。

 ねじれ、ゆがみながら、姉に対する彼の感情は一般的な感情それとはずいぶんかけ離れたものになってしまった。


 やけ・・になった魁人は――ある意味自然な流れではあるが――その代償を彼に好意を寄せる女性に求めるようになった。

 端的に言えば、特定の彼女を作ってみたのである。

 小学四年生の頃だった。


 最初はよかった。

 小学生とは言え、彼氏彼女という特別な関係はそれなりに新鮮だった。

 しかしほどなく、魁人は大きな失望を味わうことになる。

 相手の女子が、彼を束縛し始めたのだ。

 具体的には、魁人に対して「特別」を求めるようになった。

 これも彼女・・にすれば至極しごく当たり前の成り行きなわけだが、始まり方がそもそも違う魁人にとっては想定外で、あまりにも面倒な事態だった。


 彼にとっての「特別」を求めてのことから始まったのに、自分のほうが「特別」を求められるとは――――恋人同士であれば普通のことではあっても、小学生である魁人がそれを知らなくても無理はない。

 関係解消に多大な苦労をすることになった魁人は、それ以降、特別な「彼女」を作ることをめた。

 それでも、彼にむらがる女子の数は一向に減ることはなく、時間を共に過ごしたがり、相変わらず皆あれこれと世話を焼きたがった。


 そして――――ミラノも何も変わらない。

 

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