第三章 第120話 琴線

 再び職員室は、時が止まったかのような静けさに包まれている。


 しかし先ほどと明らかに異なるのは、そこに漂う空気の色。

 それははっきりと、二つに塗り分けられていた。


「あ、朝霧あさぎり先生の、遺書……?」


 たちばな響子きょうこ花園はなぞの沙織さおり、そして椎奈しいなあおいの三人は、諏訪すわいつきの言葉をオウム返しにつぶやきながら、どこかきょとんとした表情。


 そして、執行部の面々に浮かぶのは――驚愕きょうがく

 しかも、かがみ龍之介りゅうのすけすらも例外ではなかった。

 さらに樹としては意外なことに――不破ふわ美咲みさき如月きさらぎ朱莉あかりの二人までもが、執行部と同じ反応を示していたのだ。

 それはある意味、彼にとって答え合わせにもなっていた。


「――諏訪さん、それは一体…………」

「さあ……鏡せんせーの答え次第ってとこもありますけど、どうなんすか?」


 思わぬ人物から想像もしていなかった台詞が飛んできたことで、震天駭地しんてんがいちとも言える衝撃に身を震わせた龍之介だが、流石と言うべきかそれも一瞬ことで、辛うじていつもの表情を取り戻すことは出来た。

 固く引き結ばれた口元に、緊張を隠しきれない様子ではあるが。


「……何故なぜお前がそんなことを知ってるんだ? って一時間問い詰めたそうな顔をしてますね。あとで教えてあげてもいいっすよ? 大事なことっすからね――――裏切り者が誰かってことは」


「……」


「うーん、まあ予想通りっすけど、まただんまりっすか……。きっとこんな風に思ってるんじゃないでしょうか。『こいつはどこまで知ってるんだ』ってね」


「……」


「じゃあひとつだけヒントを差し上げますよ。『遺書は四通・・ある』……どうすか?」

「!!」

「ええっ!?」


 今度こそ、龍之介は瞠目どうもくした。

 響子たちも驚きの声を上げる。


「四通のうち、三つはご家族にてたもの。そして残りの一通は……遺書の発見者宛てっすね」

「ま、まさかその、発見者があなた……諏訪さんということでしょうか」


 震える声で問う響子に、樹は首をかしげて見せた。


「どうなんでしょう。でもきっと、その辺りもすぐに明らかになるっすよ、教頭せんせー。ただ問題は、それが僕の口からなのか、鏡せんせーの説明によるのかってとこっすかね」

「それはつまり……鏡さんも校長先生の遺書のことを知っている、ということ?」

「僕はそう思ってますし、実際そのはずなんすよ、花園せんせー。もっと言えば、ご家族分の三通を鏡せんせーは持ってます。そうすよね? 鏡せんせー」


 沙織の質問に答えた樹は、そう言って龍之介を見た。

 彼は――――無表情だった。

 今、龍之介の胸中に渦巻いているものが何か、外見から推しはかることは出来ない。

 しかし今のところ、樹の問いに反応するつもりはないように見える。


(ここまであばいても、おくちチャックかい……この人は不利なとこじゃだんまり決め込むのが常套じょうとう手段だから、予想はしてたけど。でもなー)


 出来れば、龍之介自身の口から話させたい。

 そうでなければ意味がない。

 それが個人的な思いであることは理解した上で、樹はまだ期待していた。

 ぐうの音も出ないほどの証拠を突きつければ、いかに龍之介と言えども観念するだろうと。

 謝罪の言葉まで引っ張りだすことは出来なくても、彼自身が認めれば少なくとも八乙女やおとめ涼介りょうすけの冤罪は晴れ、名誉は回復される。

 朝霧あさぎり彰吾しょうごの命が戻ることは、残念ながらかなわないが……。


 そんな自分の期待はどうやら甘かったらしい――樹はしかし、そう認めざるを得ないと感じていた。

 ダメージは確かに与えられている。

 疑惑もかなり深まっている。

 それでもまだ、認めないということ以外にも不安要素は残っているのだ。


 それは――不気味な沈黙を守る、オズワルコスの存在。


 いつきとしては、彼に直接問いただすことが出来たという意味でラッキーではあったのだが、まさかそのために龍之介が連れてきたはずもなし。


 ……何となく想像は、出来る。


 あまりいいものではないし、当たって欲しくない予想図である。

 しかし、龍之介たち執行部とはすでに利害が相克そうこくする立場にあると判断している樹としては、それこそ甘い期待など望むべくもなかった。


(このまま攻め続けるか、攻め方を変えるか……)


 自分が持つ最後のふだを切る前に、何らかの成果を引き出しておきたい。

 今はまだ、直接的な言質げんちを取れていないのだ。

 となれば――――


英美里えみりさん」


 床にうずくまったまま、頭をかかえている彼女の身体が破裂したかのように震えた。

 かたわらで妻の背中に手を置いていた純一じゅんいちが叫ぶ。


「やめてくれっ! もうやめてく――」

「英美里さん、これはチャンスなんすよ」


 純一の言葉を無視して、樹は再び呼び掛けた。


「今度はあなたのターンっす。思うんすけど、英美里さん。あなたは何らかの弱みを鏡せんせーに握られてる。違いますか?」

「……」

「弱みって言うか、あれかな……きっと何らかの悪事に加担してるんすよね?」

「……!」

「でも、あなたはそれを告白しようとした。どうしてかは分かりませんけど、さっきもちょっと言ったように……罪悪感? 良心の呵責かしゃくに耐えられなくなった――みたいな感じすかね?」

「……」

「はっきり言っときますよ? たとえあなたがここで何かを告白しても、残念ながら起きてしまったことはもう、戻りません。校長せんせーは生き返らないし、八乙女せんせーと……」


 ここで樹は、少しうつむいてから言葉を区切った。

 言うべきか、言わざるべきか――逡巡しゅんじゅんしている表情だった。

 そのあいだ、場は静寂が再び支配した。

 龍之介さえも、口をひらこうとはしない。

 英美里のおこりのような震えも、いつの間にか止まっていた。


 意を決したように樹は顔を上げて、続けた。


「八乙女せんせーと、瑠奈るなちゃんは帰ってこないんすよ……」


 下を向く純一とうずくまったままの英美里の表情を、樹は読み取ることが出来ない。

 涼介と瑠奈の二人と、樹の関係は決して悪いものではなかったが、かと言って深い付き合いをしていたというわけでもない。

 そんな自分に、こんなある意味説教臭くて、明らかに弱いところを狙って突くような下衆げすな手段をる資格など本当はないことを、彼は自覚している。


 それでも、今はこれしかない。

 純一はともかく、明らかに罪悪感に身をよじる英美里に対して、心の中でびながら、樹は執拗しつように追撃していく。


「それに……八乙女せんせーは追い出されたんすけど、瑠奈ちゃんは――――自分の意志で出て行きました。人前で絶対にしゃべれなかったあの子が、あんなに大きな叫び声まで上げて」


「……」

「……」


「僕には何で瑠奈ちゃんがあそこまで八乙女せんせーになついていたのか、お父さんとお母さんがいるのに、どうして離れることを選んだのか分からないっす……」


「……」

「……」


「でもっすね、校長せんせーと違って、瑠奈ちゃんとはもしかしたらまた会えるかも知れないんすよ? もしその時が来たとして、今のままの英美里さんでいいんす、か……え?」


 ここまで話した樹はふと、英美里の向かいの席に座る如月きさらぎ朱莉あかり見遣みやって、思いもかけなかった光景を目にした。


 ――朱莉が、静かに涙を流していたのである。

 顔中をくしゃくしゃにゆがめながらも、声を上げることなく泣いていた。


 不自然に言葉を止めた樹の視線を、他の者たちも追うことで彼女の様子に気付く。

 朱莉の隣りの席にいる七瀬は、言葉を失っていた。


「如月さん……」


 何を思ってか不破ふわ美咲みさきが、絞り出すような声音こわねで、しかしつぶやいた。


 そして、何度目かの沈黙が室内を満たしたあと――


「――――ました」


 くぐもった声が、静寂しじまを破る。

 それは――英美里から発せられていた。

 うずくまっていた彼女は、顔を少しだけ上げて、もう一度言った。

 今度は、はっきり聞こえた。











「私が、毒を――りました」

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