第三章 第118話 新採と指導教員。そして……

八乙女やおとめせんせーはやってない。でも、校長せんせーが殺されたっていう事実は残っている。そうなると、誰がやったかって話に戻るわけっすけど――」


「あっ、あのっ!!」


 樹の言葉をさえぎったのは、何と――久我くが英美里えみりであった。

 一斉に彼女に向いた視線が、驚きの色をはらむ。


「あのっ……わ、私、わた――」

「純一さん」


 今度は、龍之介りゅうのすけが英美里の台詞せりふかぶせるように抑えつけた。

 英美里の肩が哀れなほどに、跳ね上がる。


「君の奥方おくがたは、どうも先ほどから具合が悪いようだ。保健室で休ませてやった方がいいのではないかね?」

「え、あ、あの、そうで――」

「英美里さん、本当に具合が悪いのですか?」


 さらに純一の言葉にかぶせてきたのは、たちばな響子きょうこだった。


「私には今、英美里さんが何か発言しようとしたように見えましたが?」

「彼女を見たまえ、橘さん。見るからに調子が悪そうではないか」

「だから本人に尋ねたのですよ、鏡さ――」

「あ、あのっ、私が英美里さんを保健室に連れていきます!」


 響子と龍之介の会話に割り込んだのは、秋月あきづき真帆まほだった。

 真帆はガタリと大きな音を立てて立ち上がると、すぐそばで肩を震わせている英美里の元に駆け寄ろうとした。


「止まりなさい、秋月さん」


 それを厳しい声で押しとどめたのは、花園はなぞの沙織さおりである。

 びくり、と固まる真帆。


 沙織は真帆と同じ三年生の担任であり、学年主任でもあり、さらに初任者(本採用一年目の教員)である真帆の指導教員でもある。

 どの業種・職種でも言えることだが、教師の新規採用一年目と言うのも想像以上にハードなものである。


 まず、子どもたちが登校してから下校するまでの間は、とにかく子どもたちにつきっきりとなる。

 休み時間にも子どもたちとのコミュニケーション以外に、提出物のチェックやテストの採点などに追われ、チャイムが鳴れば息をつく暇もなく授業。

 給食の時間ですら、教師としてはあくまで「給食指導」である。

 やっとの思いで子どもたちを帰したあとも、想像以上に多いデスクワークや会議等で忙殺され、授業研究もままならない。

 割り当てられる分掌ぶんしょうの仕事も、忙しさに拍車をかける。

 物理的に考えて、とても定時前に翌日の準備を終わらせることなど不可能なのだ。

 

 そんな本来の業務も目一杯ある中で、真帆たち一年目の教員には、実践的な指導力と使命感を養い、教員として広範な知見を習得するために、初任者研修という名の研修が一年を通して行われる。

 詳細は省くが、校内外で非常に多くの時間と労力を費やすことになるのだ。


 真帆の場合、教員採用試験にストレートで合格したわけではなく、受かるまでのいわゆる浪人期間に講師として働いていたこともあって、業務そのものにはある程度慣れていた。

 しかしそれでも帰宅後、生活に最小限必要なことを済ませ、翌日の授業の準備を終え、気が付くと日付をまたいでいたなどということは、日常茶飯事となっていた。

 そんな彼女のことを沙織は気遣い、日々の指導そのものには厳しさを見せるものの、責任感の強い真帆が潰れてしまわないよう、陰になり日向ひなたとなって手厚くサポートしていたのだ。

 そして、そのことを真帆はもちろん知っており、大きな信頼と尊敬の念を沙織に寄せていたのである。


 そんな沙織から飛んできたむちのように厳しい声に、真帆はその動きを止めざるを得なかった。


「座りなさい、秋月さん。英美里さんはまだ、体調が悪いと決まったわけじゃないですよ」

「で、でも、先生……」

「いいから座りなさい。あなたの様子を見て、遅まきながら私もようやく覚悟が決まりましたよ。これからどんな事実が明らかになるのか分かりませんが、それらをひとまず受け止めることにします。だから……あなたもはらを決めなさい」

「花園先生……」

「秋月さん。あなたが鏡さんに心酔する理由、私は分かっているつもりです。ですが、妄信はよくありませんよ。結局のところ、あなたがしたことの責任を取るのは、いつだってあなたしかいないんですから」

「えっ……」


 一瞬で蒼ざめる真帆に、沙織は笑顔を向けた。

 

「ああ、ごめんなさいね。幸か不幸か私はまだ、何も知りませんよ。心構えのことを言っているんです。これから何が起きてもいいように、ね」

「秋月さんの邪魔をしないでもらいたいな、花園さん。今、彼女は私のもとで動いてもらっているのだ」

「鏡さん。かつて秋月さんがあなたの教え子だったこともあって、あなたを慕う彼女を目にかけてくださっていたこと、彼女の指導教員として感謝申し上げますわね」


 そこまで言って、一旦目をつぶった沙織が再びその瞳を龍之介に向けた時、そこには彼女が滅多に見せることのない激情が宿っていた。


「そして、そんな彼女の気持ちを利用して、秋月さんに背負う必要のない重荷を強要したであろうこと、私は断じて許しません」

「何のことか分からんな」

「私にだって分かりませんよ。多分今からはっきりすることでしょうしね。でも、この部屋に入って来てからの彼女の様子を見てれば、察するものもあるんです。と言っても……」


 沙織は、今度は視線を力なく椅子に座る真帆に合わせた。


「彼女も立派な成人。取るべき責任は取らせるつもりですけどね」

「まるで秋月さんの母親気取りだな」

「何とでも言ってください。諏訪すわさん、話をとっちらかしちゃってごめんなさいね。どうぞ続けてください。それとも、英美里さんにマイクを渡した方がいいかしらね」


 ――空気が、変わりつつあった。


 諏訪いつきは、話の主導権を沙織から再び受け取った。


「ありがとうございます、花園せんせー。でもなあ……どうしたらいいっすかね。 ……英美里さん、もう少し僕が話してもいいっすか? あとでちゃんと英美里さんのターンを作りますから」


 樹は、とりあえず自分が話をすることに決めた。

 彼女は自分から声を上げかけたものの、今はまだ英美里をこれ以上突っつかない方がいいように何故なぜか、思えた。

 かがみ龍之介りゅうのすけの視線から、そう感じたのだ。


「あ、は……はい……」


 樹の言葉に、英美里はどうにかして声を振り絞り、ささやくように答えた。

 彼女の大きく上下する背中を、そば(背中合わせ)に座る沙織が優しくさすり始める。


「それじゃ鏡せんせー、話を戻しますよ。覚悟してくださいねー」

「ふん、覚悟と来たか……なかなか大きく出たもんだな」

「ええ、僕も覚悟してるんすよ、いろいろと。それで、えーと、校長せんせーを誰が手にかけたかってとこでした。八乙女せんせーじゃないなら……でしたね」

「私は八乙女さんではないなどと、一言ひとことも言っていないが?」


 龍之介の台詞に、樹は大げさに目をみはって見せ、眉を八の字にしながら答えた。


「今さらそう言うの、やめにしましょうよ。あなたは答えなかったんす。どうせ今聞き直したって、答えませんよね?」

「……」

「ほらね、そう言うことなんすよ。きりがないから先にいきます。鏡せんせー、はっきり言うっすよ?」


 樹はゆっくりと立ち上がった。

 彼は室内をぐるりと見回し、一人ひとりの顔を凝視する。

 確固たる意志をって彼を見返す者、視線を合わせない者。

 樹は職員室の前方を向く。

 そこには、彼に挑みかかるようににらみつける男がいる。


 その男に向けて、樹は指をさして告げた。





「校長せんせーを……朝霧あさぎりせんせーを――――――」














「――――――殺しましたね?」

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