第三章 第117話 沈黙

「やれやれ、君までかね、諏訪すわさん」

「何がすか?」

「君までとっくに片のついたことを、またしてもほじくり返そうとするのかと言っているのだ」

「いやいや、先に話に出したの、かがみせんせーじゃないすか」

「私は、そこから何かを責め立てる意図はないとことわったはずだが」

「またまた~」


 龍之介の指摘に諏訪いつきは、大げさに肩をすくませてみせた。


「実際のとこ、ちくちくやってましたよね? お陰で皆さん、黙っちゃいましたし」

「君は黙らないと言うわけか」

「今は僕のターンすから。で、話を戻しますけど、思い出してほしいのはみんなで八乙女やおとめせんせーを裁くことになった、あの夜のことっす」


 再び、場はしんと静まり返る。

 たちばな響子きょうこを始め、花園はなぞの沙織さおり椎奈しいなあおいも、目を伏せてしまう。

 不破ふわ美咲みさき如月きさらぎ朱莉あかりは、この話し合いの最初から顔色がんしょくを失ったまま。

 加藤かとう七瀬ななせだけは何故なぜほかと違い、ほおをぷうとふくらませている。


 龍之介以外の執行部の面々は、話の落ち着く先がまったく読めないようで、不安を隠そうともしない。

 お互いに顔を見合わせ、時折龍之介に視線をうつむく、を繰り返している。


「あの時、八乙女せんせーには二つの嫌疑けんぎがかけられましたよね。一つは校長せんせーを亡き者にしたっていう疑い。もう一つが、八乙女せんせーが背信行為をおこなっていた――日本の知識や技術を、個人的な利益と引き換えに先方へ供与きょうよしようとしていたって言う疑いっす」


「……」


「二つ目のこれって……ホントは鏡せんせーのことなんじゃないすか?」

「……何だと?」

「いくら考えても、どーしても分かんないんすよね。八乙女せんせーの個人的利益って何なのかが。お金すか? もしかして爵位とか? ……どうにもピンと来ないんすよ。あの人だけじゃなくて僕たち全員、元の世界へ戻ること以上に大切なことなんて、あるんすかね?」

「……」

「そうすると唯一考えられるのは、八乙女せんせーが一人だけ抜け駆けして日本に帰るってことぐらいなんすけど……これって意味あるのかはなはだ疑問す。何かの理由で一人しか帰れないとか?」

「……」

「そういうわけで、直接聞いてみたいと思うっす」


 そう言って、樹は龍之介の隣りに視線を移した。


「そこに座ってる、オズワルコスに」


 ――その瞬間、龍之介の表情が固まった。


 彼が何のために、この場にヘルマイア・オズワルコスを連れてきて、同席させているのかはまだ分からない。

 しかし、この展開のためではなかったであろうことは、彼の顔色かおいろから容易に察せられる。


 突然指名されたとうのオズワルコスと言えば、意外にも大きく態度を変えることはないように見える。

 彼は龍之介の顔を一瞥いちべつしてから、質問者である樹の方を向いた。


「あの時鏡せんせーは、八乙女せんせーがどうのこうのって話はオズワルコスから聞いたって言ったはずっす。だったらこまかいことは、本人に聞くのが手っ取り早いし、正確っすよね。と言うことで、教えてください、オズワルコス


 オズワルコスの視線を、樹はにっこり笑って受け止め、問い掛けた。


「八乙女せんせーは、どんな個人的な利益を得ることになってたんすか?」


 まさか、ここで八乙女涼介りょうすけの件を改めて追及してくるとは。

 しかも、情報源とされるザハド側の要人に対して突っ込んでくるとは。

 それがこれまで目立った発言をしてこなかった、諏訪すわいつきによってされるとは。


「……」


 オズワルコスは、表情を張り付けたまま微動だにしない。

 龍之介もまた、口をひらかない。

 二人の様子を見て、樹は首をひねる。


「うーん、困ったっすね……。どうして答えてもらえないんすか、オズワルコス。僕の言ってることが分からないってことは、ないっすよね? さっきだって日本語を話してましたし、理解してるとも言ってましたもんね」


 今や、職員室内の全ての人の視線は、龍之介とオズワルコスに注がれている。

 彼らの表情にはそれぞれ、さまざまな感情が映し出されているが、とりわけ執行部の面々のそれは、不安と言うよりはむしろ恐怖にふちどられているように見えなくもない。


 樹としては、それは理解できる。

 彼の認識では、執行部はある意味同じ穴のむじなと言うか、八乙女涼介に対して揃って死刑を求めた時から、とっくに敵役ヴィラン扱いになっている。

 分からないのは……不破ふわ美咲みさき如月きさらぎ朱莉あかりの二人のことだ。

 特に朱莉の態度は、どうにも不審に思えて仕方ない。


 このまま龍之介たちの追及を続ければ、その原因も明らかになるのだろうか。

 知りたいような、知りたくないような、何とも困った気持ちに樹はなってしまう。


「どうしましょうかね、このままにらめっこを続けてても……なんすけど。じゃ、ちょっと強硬手段を取らせてもらいます。まず、ちゃんと答えてもらえないってことすから、八乙女せんせーが個人的利益がどうのうこうのって話は、ただの出まかせってことになります。そうすると、そのことを校長せんせーに相談して口論になって……ってところも、自動的になくなります。それが何を意味するのか――分かりますよね、鏡せんせー」


「……」


「すいませんけど、肯定なら「イエス」、否定したければちゃんと言葉で「ノー」をあらわしてください。出来ますよね? だって、以前鏡せんせー自身が僕たちに突き付けたことっすもんね」


「……」


「あ、沈黙は「イエス」だと判断させてもらうっす。 ――要するに、八乙女せんせーは校長せんせーを殺したりしていないってことになります。そうっすよね? 原因がなくなっちゃってるんすから」


「……」


「皆さん、聞きましたか? やっぱり八乙女せんせーはやってないそうっすよ。今、それを告発した本人から「イエス」って返事をもらいました!」


 樹は一同を見回して、喜色きしょくを満面に告げた。

 そこに広がっていたのは――――困惑だった。

 少なくとも、「八乙女涼介の冤罪えんざい晴れたやったー!」という空気ではない。


 確かに、龍之介は沈黙をって答えているに等しい。

 しかしだからと言って、明確に認めているわけでもない。

 樹の指摘する通りと断じてしまって、いいものなのか……?

 そういうたぐいの困惑と言える。


 加えて、沈黙を守る龍之介たちが不気味であることも確かなのだ。

 樹の事情を把握している・・・・・・・・・・・七瀬ですら、ひざの上で思わず拳を握り締めていた。

 覚悟していたこととは言え、樹のしていることがまるで、ようやく傷口をおおい尽くした瘡蓋かさぶたをぺりぺりとがしているかのように、彼女には感じられていた。

 その下から鮮血をまとって現れてくるもの――それは先ほど龍之介が言及していた『パンドラの箱』の中身そのものではないか――七瀬は身震いを禁じ得なかった。


 そして、はっきりと恐怖につつまれつつあるのが、龍之介以外の執行部のメンバーである。

 特に英美里えみりは、恐慌をきたしたと言っても過言ではないほどの動揺を見せている。

 肩はがくがくと大きく動き、脂汗あぶらあせのようなものがほおつたい、あごからぽたぽたとしたたり落ちている。


 そんな場の雰囲気に、樹は一瞬だけ眉根まゆねを寄せてみせた。

 しかし特に感銘を受けた様子もなく、さらに真実を覆い隠すヴェールを取り除こうとしていく。


「八乙女せんせーはやってない。でも、校長せんせーが殺されたっていう事実は残っている。そうなると、誰がやったかって話に戻るわけっすけど――」

「あっ、あのっ!!」


 何者かのうわずった声が樹の言葉をさえぎった。

 皆の視線の先にいたのは、何と――


 ――久我英美里であった。

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