第三章 第113話 Re-Counterattack

「――あります」


 この場における主導権争いにおいて、ほぼ勝利を確信したかがみ龍之介りゅうのすけの言葉を、か細い声がさえぎった。


 彼が思わず目をいて視線をったその先で、少し遠慮がちに手をげていたのは――――加藤かとう七瀬ななせだった。

 一年二組の担任である彼女の席は、たちばな響子きょうこの正面。

 その、いわば最前列の席で、七瀬は龍之介から微妙に眼をらしながら、もう一度言った――「聞きたいこと、あります……」


 龍之介にしては珍しく、何となく不意を突かれたような気持ちになって、台詞せりふいささか不機嫌なトーンが混じるのを余儀なくされてしまった。

 ――たかが、黒瀬くろせ真白ましろと同い年の娘に。


「……何だね、加藤さん」

「えーと、あの」


 自らの名を呼ばれて、七瀬はようやく龍之介の目を見る。

 そして、二回ほど目をしばたたかせ、唇を舌で軽く湿らせたあと、意を決したかのように、彼女は思うところを話し始めた。


「三つ、あります」


 まず七瀬は、項を立てた。


「一つ目は、まずさっき教頭先生がおっしゃった、黒瀬先生たちがここを追い出された理由についてです。鏡先生はそれに答えてくれてません」

「……」

「二つ目は、これ私、ずっと疑問に思ってたんですけど……鏡先生、日本へ帰る方法について当てがあるって、進行中だけど今は話せないって言いましたよね? どうしてですか?」

「……」

「鏡先生だけが知っててもよくて、私たちが知っちゃダメな理由……いくら考えても分からないんです。鏡先生と私たち、一体何が違うんでしょうか?」


 表向き、龍之介の表情は変わらないように見えるが、響子は目を見開みひらいている。

 久我くが純一じゅんいちの向かい側が定席じょうせきとなっている諏訪すわいつきが、腕を組みながらうんうんとうなずいている。


「三つ目は……先に一つ目と二つ目に答えてもらえたら、言います。鏡先生、まず一つ目の質問に答えてください」

「すでに答えていると思うが?」


 首を横に振る七瀬。


「いいえ、まだです。役目をまっとうしていなかったと言いましたけど、黒瀬先生は保健衛生班ですから、怪我人や病人の救護や看護、飲料水の消毒と準備……あと、何でしたっけ?」

「……」

「あ、あと洗剤づくりとか、食料物資班がよく使う消毒液の準備とかですよね。私が知る限りだと、黒瀬先生がサボったせいでそう言う物資が不足したなんてこと、一度もなかったように思うんです。一緒に働いていた早見はやみさんだって、一生懸命やってましたし、食料物資班の手伝いだって毎回やってましたよ。ねえ、花園はなぞの先生」


 突然、話を振られて慌てた沙織さおりだが、すぐに力強く肯定こうていした。


瓜生うりゅう先生だってそうですよね。新しく実行班が立ち上がって、まだそれほど日はってませんし、同じ班の私も一緒になることは少なめでしたけど、瓜生先生のせいで仕事がとどこおったことなんてあり得ないです。むしろ実務的な意味では中心人物だったと思うんですけど……ですよね? 教頭先生」

「え、ええ、そうですね」


 橘響子は、決して加藤七瀬のことを見くだしているわけではない。

 ただ、驚いているのだ。

 確かに、進んで前面に出て物を言うタイプではないと認識してはいたが、運動会の団体種目の練習では、朝礼台の上で張り切ってダンス指導している姿を目にしているし、必要があればおもての仕事も裏方も自らこなそうとする責任感の強さを感じていた。

 子どもたちからのウケも、保護者や同僚からの評判も上々である。


 そのくせ身なりに関しては、ほとんどすっぴん程度の薄化粧しかほどこさず、えて野暮ったいふうよそおう傾向が見られることに、少しだけ違和感を覚えていた。

 しかし、それはただの個性とも言えるし、職場の上司としてとやかく指図するものでもないので、わざわざ指摘するようなこともしなかった。

 要するに響子にとって、学校で真面目に勤務する姿しか知らない七瀬は、いわゆる普通の職員であり、特段の注意を引く存在ではなかったのである。


 ただ、朝霧校長の事件以降、七瀬は自ら何かを主張することもなく、都度つど決定されたことに従うだけだった。

 八乙女やおとめ涼介りょうすけの追放にも賛意を示していた。

 事なかれ主義とまで言うつもりはないが、心中しんちゅう本音ほんねはともかくとして、長い物には巻かれろ的な行動原理なのかと、響子は何とはなしに評価していたのだ。


 しかしその判断が早計そうけいであり、誤りだったことを響子は素直に認めていた。

 心の傷トラウマとも言える「弱点」をピンポイントで責められ、情けなくも膝をつきそうになっている自分に対して、彼女は主張に項番こうばんまで振って理路整然と強敵に挑んでいる。


(しっかり、しなければ……)


 響子は自らをふるい立たせつつ、ひとまずはお手並み拝見とばかりに、七瀬と龍之介の様子を冷静に観察することにした。


「と言うわけで、黒瀬先生や瓜生先生たち――もちろん早見さんや天方君たちだって、『方舟はこぶね』の一員として務めを立派に果たしていました」

「ふむ……なるほど。班員としての仕事はきちんとこなしていたと……では、その部分については訂正しようか」

「……へっ?」


 すると、案に相違して龍之介は誤りを認め、主張の一部をあっさりとひるがえした。

 不意打ちを食らった七瀬は、思わず変な声を出してしまう。


「どうした。訂正してはまずかったのかね?」

「い、いえ。そんなことはないです……ないです。それじゃあえーと、もう一つの追放条件です。鏡先生は、黒瀬先生たちが私たち『方舟はこぶね』の足を引っ張り、妨害をしたと言いました。具体的に何をしたのか、説明してください」

「うむ……」


 ここで龍之介は一声ひとこえ漏らすと、何かを考える素振そぶりをした。

 追撃せず、大人しく次の言葉を待つ七瀬。

 他の面々も、固唾かたずを呑んで推移を見守っている。


「それについて説明する前に、ひとつ確認しておきたい」

「確認、ですか? 何でしょうか」

「本当にそれ・・を、私から聞き出していいのかね?」

「……はい?」

「説明してしまっても構わないのか、と聞いているのだが」

「すみません、ちょっと何言ってるか分からないんですけど……」


 説明しろと言ったら、説明していいのかと聞き返された。

 龍之介の言っている意味が本気で分からない七瀬は、素直にそう言った。


「私が積極的に説明しようとしないのは、その方がいいと考えているからだ」

「……それって、誰にとっての話です?」

「もちろん、我々『方舟はこぶね』にとって、だ」

「聞いてみないと分からないと思うんですけど」

「聞けば、もうあと戻りはできない。必ず大いなる選択を迫られることになるだろう。これまでのように安穏あんのんと生活しながら、日本へ帰る日を待つことはもう出来なくなることは必至だ」


 日本へ帰ることが出来なくなるかも知れない……?

 七瀬はいぶかしみ、右目をすがめて言った。


「……本当の話ですか?」

はったりブラフだ、口から出まかせだと思うかね。疑いたくなるのも無理からぬことだが、要は『パンドラの箱』だと考えたまえ。けたが最後、もうふたを閉めたところで無駄なのだよ」

「パンドラの、箱……」

「まあ、もしかしたら伝説のように、最後に『希望』が残っていると言うことがあるかも知れないが……試してみるかね?」


 不敵に笑う龍之介の問いに、七瀬は言葉を失ってしまった。

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