第三章 第112話 Counterattack

「全然違いますよ。言いがかりはやめてください、鏡さん」


 たちばな響子きょうこひざからまさに崩れ落ちそうになったその時、横から声を上げたのは花園はなぞの沙織さおりだった。


 響子と沙織は、大学時代の先輩後輩の間柄あいだがらである。

 共に過ごしていたのは、所属していたテニスサークルでの数ヶ月だけだったが、卒業後にある学校で一緒に働くことになったのを機に、個人的な交流が始まった。

 ちなみに同じ学校に赴任するのは、ここ今岡小学校で三校目になる。


 立場としては教頭である響子の方が上ではあるが、現場を離れれば――いや、時には現場においても響子にとって、沙織は頼りになる先輩であった。


「言いがかりとはなかなかに心外な物言いだが、どう違うのか説明できるのだろうな、花園さん」

「覚えていないんですか? あの時橘さんがどうして『追放』を提案したのかを。あなた方が八乙女やおとめさんを『死刑』にするなんて、あんまりにも馬鹿馬鹿しくて恐ろしいことを本気でやろうとしていたからでしょう? やむを得ずそう言うしかなかったんですよ」

「しかしそう言うあなたも、『追放』に挙手していたと記憶しているが? いや、花園さんのみならず、ここにいる執行部の者以外は全て、『追放』を是認していたはずだがね」


 一瞬、言葉に詰まる沙織。

 他の者たちも、何かを恥じるようにうつむき加減になってしまう。


「それはだから、棄権しても必ず多数の意見に決めるって鏡さん、あなたが言ったからでしょう。死刑にさせないためには、そうするしか――――」

「本当にそうなのかな」


 龍之介は、あえて沙織の言葉にかぶせるように言った。


「『死刑』と『追放』しかなかったと言うのは、あなたたちの思い込みに過ぎんよ。選択肢が二つだけと決められていたわけでもなし、ほかの意見があるのなら主張すればよかったではないか」

「それは……」

「私はその機会も与えていたと覚えている。つまるところ二者択一になったのは、対案なり代案なりを出さなかったあなたたちの責任だろう。違うかね?」


 静まり返る、場。

 それでも龍之介は、淡々と論を進めていく。


「誤解しないで欲しいのだが、八乙女さんのことについては既に済んだ話。今さらほじくり返して、あなたたちを小突こづき回そうなどという意図はない。先ほど橘さんが私をして、奴隷商人がごとき発言をした」

「……」


 まだ反論するほどの気力が戻らない様子の、橘響子。

 それでも、何とか視線だけは龍之介から外すまいと耐えている。


「私は不穏分子を排除することで、『方舟はこぶね』が目的地へと無事に到着できるよう、安全を確保した。あなた方は結局のところ、八乙女涼介りょうすけという『生贄いけにえ』を捧げることで我が身の安全を確保した。そこに質的な違いがあるのかと問いたいだけだ」

「そんな! 生贄だなんて!」


 椎奈しいなあおいが、なかば叫ぶように異論を申し立てる。


「違うと言うのかね? 椎奈さん。たとえあなたが、先ほどから言われているように『死刑』を回避するための仕方ない選択だったと強弁きょうべんしようと、その真意が八乙女さんに伝わっていると思っているのか?」

「え、えっ……」

「あの時、後ろ手で拘束され、猿轡さるぐつわまでまされながら、自分を追放するオプションに挙手した者たちを、彼がどんな目で見ていたか気が付いていなかったと見える」

「……」

「もちろん本当のところは、彼自身に聞いてみなければ分からない。しかし少なくとも、あなた方の言う『仕方なさ』を理解しているようには到底見えなかった。むしろ、自分に対して理不尽な決定を突きつけようとしている者たちへの憎悪に満ちていたように、私には思えたがね」


 最早もはや、誰一人として声を上げようという者はいない。

 その場の誰もが、八乙女涼介のほむら立つような眼の色に心当たりがあったのだ。


「更に言おうか。たとえ裁決の時には難しかったとしても、そのあと彼に真意を説明する機会はいくらでもあったはずだ。見張りをつけていたとは言え、面会を全面的に禁じていたわけではないのだからな。それにも関わらず、あのソファに転がされていた彼のもとをおとずれたのは、報告によれば黒瀬くろせさんただ一人だったという話だ」


 そう言って、龍之介は応接スペースのソファに視線を向けた。

 それにつられて、数人が同じようにゆっくりと首を回した。


「人間の本性と言うものは、危急存亡ききゅうそんぼうの時にこそ表れると言うが――まさ至言しげんなり、だ。なに、別に責めているわけではない。誰しも我が身は可愛いものだ。私はただ、自らのことは棚上げしながら、他人ひとのやりようをざまののしる愚かさを指摘しただけのこと」


 龍之介の視線は、再び響子に戻る。

 彼女はいまだ戦意を失ってはいない、が……再反撃の糸口がまるで見えないのか口元は固く引き結ばれ、視線は若干揺れている。


「さあ、尋問とやらを再開したまえ。それとももう、ネタ切れかな?」


 龍之介のあからさまな挑発に応えようとする者は、まだいない。

 響子だけではなく、この場にいる誰もが大なり小なりかかえている罪悪感と後ろめたさを、龍之介は的確に突き、効果的に利用している。

 そのことにたとえ気付いていたとしても、そこを乗り越えてまで抗弁しようとする気概は、なかなか持つことは難しい。

 それにはある意味でのひらき直りが必要だからであり、ここに顔をそろえている面々は、そうするには少々真面目過ぎると評することが出来るのかも知れない。


 久我くが純一じゅんいち秋月あきづき真帆まほが、どこかほっとした様子で小さく息をいた。

 英美里えみりは――相変わらずその表情は蒼白のまま、決して顔を上げようとしない。


 龍之介は、彼を糾弾しようとする者たちをゆっくりと見回しながらも、そんな英美里に対してわずかに眉根を寄せつつ、注意を払い続けるのを忘れなかった。


「さて、どうやらこれ以上待っても、聞きたいことはなさ――」

「――あります」


 か細い声が、この場の支配者となろうとしている龍之介の言葉をさえぎった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る