第三章 第111話 傷

壬生みぶさんは、保健室で休んでいるそうだ。体調を崩したらしい」


 かがみ龍之介りゅうのすけは、とりあえず秋月あきづき真帆まほから受けた報告の通りに答えた。

 グラウンドで交わされた神代かみしろ朝陽あさひ瓜生うりゅう蓮司れんじの会話から、壬生魁人かいとが倒されたであろうことを察知さっちしてはいたが、龍之介自身の目で確かめたわけではない。

 自然しぜん、当たりさわりのない説明になる。


「体調、ですか。それなら仕方ないですかね。分かりましたけれど……」


 たちばな響子きょうこの追及を中断させてまで質問した椎奈しいなあおいだったが、思いのほかあっさりと引き下がった。

 しかし、何か言いたげな余韻のようなものを残す語尾を、響子がとらえた。


「椎奈さん。何か言いたいことがあるのなら、遠慮しなくてもいいのですよ」

「あ、はい。壬生さんには直接問いただしたいことがあったんですが、本人じゃなくちゃ意味がないので、それはいいんです。ただ……今回みたいに体調が悪い人が出た時、黒瀬くろせさんなしでこの先どうにかなるのかなあ、と」

「そうですね……」


 あごに手を当てて、考える素振りをする響子。


「それも確かに、非常に大きな問題と言えますね、鏡さん」

「……」

「黒瀬さんが排除するのであれば、彼女がになっていた役割をどうするのかと言うことについても、きちんと目算があるのでしょうから、のちほどお考えをうかがうこととしましょう。」


 沈黙する龍之介に一瞬だけ視線を戻すと、響子は一同を視界に入れて続けた。


「では先ほどの話に戻ります。純一さんや秋月さんからは明確な回答をいただけませんでしたが、私は執行部が何か大きな秘密を抱えているのではないかと考えています。 ――英美里えみりさん」

「ひっ……」


 うつむいていた久我英美里は、哀れなほどに恐怖を露わにしていた。

 彼女の隣りに座っているはずの瓜生うりゅう蓮司れんじはこの場にいないので、響子の視線をへだてるものなく、割と至近距離から直接受ける形になっている。


「あなたにも同じことを問い掛けましょう。英美里さん、あなた――――何か隠しごとがあるのではないですか?」

「! ……」


 英美里の動揺を、その場にいる全ての者が見ていた。

 それが何を意味するのかを、雄弁に物語っていることは明白だった。

 しかし――


「橘さん、さっきから執行部の面々に密約やら秘密やらがどうのと聞きまわっているようだが、何か証拠でも持ったうえでのことなのかね」


 英美里が口をひらく前に、龍之介がすかさず言葉をはさんだ。

 そう来るだろう、と予期していたように響子は答える。


「あなたが答えないから、皆さんに尋ねていたまでですよ、鏡さん。今のところどなたからも満足な答えをいただけていないので、再度『おさ』であるあなたに問います。執行部は――」

「秘密などない」


 響子の台詞にかぶせるように、龍之介は断乎とした口調で言った。


「報告していない事柄ことがらは確かにあるが、秘密にしているわけではない」

「なぜ私たちに報告がないのですか?」

「単純にタイミングの問題に過ぎない。しかるべき段階できちんと報告はする」

「その『然るべき段階』とは?」

「報告すべき段階、だ」

「何だか堂々巡りなような……それなら」


 声に一層いっそう、力をめる響子。


まさに今こそ、その然るべき段階だと思いますが? 何しろ私たちが報告を求めているのですから」

「なるほど……確かに一理ある。ならばどうするかね。改めて執行部からの報告会をひらくか。それとも、このまま質疑応答の形で続けても構わないが」

「……」


 今度は、響子が黙る番だった。

 彼女の感覚としては、それなりに追い込むことが出来ているように思える。

 もちろん、この男がちょっとやそっとで白旗しろはたを上げるような、殊勝しゅしょうな人物などではないことは重々理解している。


 ならば、この発言は虚勢ブラフなのだろうか。

 多少の不気味さを感じながらも、響子は言った。


「本来ならば、全員が揃っている場所で改めるのがすじなのかも知れませんが、私は連れ去られた仲間のことがどうにも心配で仕方ありません。緊急性が高いと判断して、このまま『尋問じんもん』を続けたいと考えますが、皆さんどうでしょうか」


 思いもかけぬ響子の強烈な言葉に、龍之介が苦笑した。

 一同も思わず息を呑む。


「尋問とは……この場は取り調べか? それとも裁判なのかね」

「お好きなようにとらえていただいて結構です。私としては『質疑応答』などと言う生温なまぬるいもので済ませるつもりはありませんので。それでどうでしょう、みなさん」

「賛成します」

「私も賛成です」


 真っ先に賛意を表明したのは、花園はなぞの沙織さおりと椎奈葵だった。

 二人に続くように、加藤かとう七瀬ななせ諏訪すわいつきも大きくうなずく。

 不破ふわ美咲みさき如月きさらぎ朱莉あかりの表情は相変わらず硬いままだ。


 はっきりと追及される側となった久我くが純一じゅんいちと英美里、秋月あきづき真帆まほは、不安げなおも持ちでお互いと鏡龍之介のあいだでちらちらと視線を動かしている。


「ふむ……まあ、体裁ていさいなどどうでもよい。実際、ここには警察も判事はんじもいないと、かつてあなたに言ったのはほかならぬ私自身だ。好きに尋ねたまえ」


 ひらき直りとも取れる発言を聞いて、響子は思わずまゆをひそめた。

 この態度に根拠があるのかないのか、どのみち問い詰めながら明らかにしていくほかない――そう断じて、彼女は言葉を続けた。


「それではお言葉に甘えまして。まずはもしかしたら一刻を争うことになるかも知れない、喫緊きっきんの問題からいきましょうか。繰り返しになりますが、連れ去られた四人についてです。彼らの行き先と安否について、答えてください」


「いいだろう。だが、こちらも繰り返しになるな。行き先は聞いていない」

「……」

にらまれても、知らんものは知らんのだ。ただ、預けた先は――『レアリウス』という組織だ」

「レアリ、ウス?」

「そう。ただ、その場所がどこなのかについて、私は聞いていない。今のところ、特に知る必要もないゆえ、な」

「……彼らの安否は?」


 新しく得た情報を深掘りしたい気持ちを抑えて、響子は最も大事なことを再び問い掛けた。

 不敵な笑みを浮かべて、龍之介は答える。


「今現在ここにいる私に、それを知るすべがあると思うのかね。魔法ギームとやらを使えるわけではないのだが」

「たとえリアルタイムで追うことが出来なくても、あらかじめ何らかの取り決めがされていたはずです。そうでなければ、あのようにスムーズに事を運べるわけがありません」

「それを指して、さっきから『密約』と言っているのかな。確かに受け渡しすることはあらかじめ決めていたが、その先のことについては関知していない」

「な……!」


 龍之介があまりに事もなげに言うので、一瞬、大したことではないように思えてしまった響子だが、それが大きな間違いであることにすぐに気付いた。


先方せんぽうとしても、何かしらの使い道・・・があるから引き取ることに同意したのだろう」

「あ、あなたは……」


 あまりのいきどおりに、響子ののどで言葉が渋滞してなかなか出てこない。

 他の者たちも、あまりの衝撃で石のように固まってしまっている。


「あなたは! じ、自分が何を言っているのか、分かっているのですか!?」

「もちろん」

「あなたがやったことは、いわば『人身売買』じゃないですか!」

「なら聞くが」


 声をあららげることもなく、反問する龍之介。


「最低限の荷物だけ持たせて、ほかでもないあなた自身が・・・・・・提案したことに従って、ここを追放した八乙女やおとめさんと久我家の娘のそのを、あなたは把握しているのかね?」

「え……?」

「当然知るよしもないだろうな。だが、放逐ほうちくしてあとは知らぬ存ぜぬを決め込んでいるあなたたちと、私とのあいだに何の違いがあるのか……納得のいく説明が出来ると言うのなら、してもらおうじゃないか」

「それは……」


 八乙女涼介の、追放――。

 これまでずっと、誰に恥じることのない言動を心掛け、実践してきた橘響子の心に、ごく最近穿うがたれた深い傷が、龍之介の指摘によって容赦なくえぐられる。


「それ、は……」


 それはまさあり一穴いっけつとなり、響子の心の堤防を決壊させ、彼女の精神は自責と後悔の嵐に蹂躙じゅうりんされようとしていた。

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