第三章 第110話 追及

 修羅場とも言える職員室に入ってきたのは、久我くが純一じゅんいち秋月あきづき真帆まほ、そしてもう一人――――それは、ヘルマイア・オズワルコスだった。


 オズワルコスと面識がある学校勢の者は、意外と少ない。

 定期的に顔を合わせていたのは、かつての外交班の面々だが、皮肉なことに所属していた八名の班員は、今は純一を除いてここにはもういないのだ。


 そんな人物の突然の登場に、当然のことながら戸惑いの空気が生まれる。

 しかし、一緒に入室してきたのが純一と真帆だったこともあって、戸惑いはすぐに不穏なものに変わっていった。


 全員の注目を集める中、純一と真帆は室内の雰囲気を察してか、腰をかがめ気味にかがみ龍之介りゅうのすけの元に向かうと、小声で「保健室に寝かせてきました」とだけ言い、そのまま自席に座った。

 オズワルコスは、パイプ椅子をひらいて龍之介の隣りに腰かけた。


 その様子を、たちばな響子きょうこは厳しい目で見つめていた。


「――それで……何だったかな?」


 落ち着いた声で沈黙を破ったのは、龍之介だった。

 その態度に響子は大きく目を見開みひらいたが、深呼吸なのかため息なのか、大きく息をひとつくと、再び龍之介に視線を固定して口角こうかくをわずかにゆがめた。


「まさか、これまで私が話したことをお忘れになったわけではありませんよね? 混乱されているのかも知れませんけれど、気をしっかり持ってくださらないと困ってしまいますよ」

「……む?」


 響子らしからぬ、挑発的な物言いだった。

 闖入ちんにゅう者ごときで、会話の主導権を明け渡す気などつゆほどもないことを、言外に主張しているように一同には感じられた。


「この場に先ほどの三人が現れたところで、糾弾対象が増えただけのことです。彼らのことはのちほどめるとして、まずはあなたですよ、鏡さん」


 そこまで言ったところで、響子は視線を龍之介から外し、黙って様子を見守っているほかの者たちの方を向いて続けた。


「皆さんにも言いたいことがあるとは思います。そもそも先ほど鏡さんが仰っていたように、私たちがこの場に集められたのは、英美里さんの声かけによるものでした。それが何を意図してのことだったのか……まだはっきりとしていませんが、まずはこのまま、私からいろいろ述べさせていただいてよろしいでしょうか?」


 大きくうなずいたのは、加藤かとう七瀬ななせ花園はなぞの沙織さおり椎奈しいなあおい諏訪すわいつきの四名。

 久我純一と秋月真帆は、何となく緊張した面持ち。

 そして、どういうわけか蒼い顔をしてうつむいてしまっているのが、久我英美里と如月きさらぎ朱莉あかりの二人。

 不破ふわ美咲みさきの表情も暗いが、響子を見て小さく首を縦に振った。


 目立った反対意見がない様子なのを確認すると、響子はポケットからハンカチを取り出し、ほおと目元を軽くぬぐってから続けた。


「では皆さんの了承も得られましたので、改めて鏡さん。まず、黒瀬くろせさんたちを連れ去ったあの人たちは、何者なのですか?」

「彼らは、我々の協力者だ」


 よどみなく、龍之介は答える。


「我々の、と仰いましたが、あいにく私はあの方たちを存じ上げません。『我々』の定義を確認します。それは私たち『方舟はこぶね』全体ですか? それとも鏡さんたち『執行部』だけを意味するのですか?」

「聞くが、その二つに違いがあるのかね?」

「もちろんです。花園はなぞのさん」

「はい」


 響子は突然、花園沙織に問い掛けた。


「あなたは、先ほどグラウンドにいた方たち――男性一人と、少年少女一人ずつの計三名をご存知でしたか?」

「いえ、初めて見ました」

「だ、そうです。鏡さん」


 再び龍之介を見て、響子が話を引き取った。


「『方舟はこぶね』の協力者だと言うのでしたら、二つある班――実行班と食料物資班のおさである私と花園さんが知らないというのは道理が通りません。いくら渉外担当があなたと壬生みぶさんだとしても、私たちに一言ひとこともないのは不自然ではありませんか?」

「……」

「それでは、次です」


 響子は龍之介の返事を待たずに、次の問いに移る。


「その協力者の方々かたがたとやらは、黒瀬さんと瓜生うりゅうさん、早見はやみさん、神代かみしろ君の四名を連れ去ってしまったようですが……行き先はどこなのですか?」

「それは……聞いていない」

「……どういうことでしょうか?」


 響子の身体から、青白い炎が立ち昇るかのように見えた。

 先ほどまでえていた様子とは打って変わって、口調こそ落ち着いたものに戻っていたが、彼女の内側ではいかりが渦巻いているようだった。


「鏡さん、あなたが先ほど仰ったように、黒瀬さんたちが役目を全うしないという理由で『方舟はこぶね』をろしたと言うのであれば、かつて八乙女やおとめさんにしたように、追放という手段をれば事足りるはずです。わざわざあのようにひどく傷つけた上に、都合よく現れた馬車に乗せて略取りゃくしゅしたとなれば、当然そこには何らかの約束事が取り交わされていたとしか考えられません」


 響子の舌は止まらない。


「しかもその約束事の内容を、私たちは一切知らされていない。となれば、それは密約にほかなりません。私たちに秘密にしなければならない理由とは、一体何なのでしょう、純一さん」


 そして彼女の舌鋒ぜっぽうは突然、その先を純一に向けた。


「……え……えっ!?」

「純一さん、あなたはザハドの言葉――エレディール共通語と言いましたか、それに通じていらっしゃるゆえ、ザハド側との折衝せっしょうには参加されていて、当然内容も把握されているはずですね?」

「え? は、はあ……」

「答えてください。今回、私たちの大切な仲間が連れ去られたことに関して、どのような密約をザハド側と結んでいたのか」

「え、えーと……それは……」


 大いに口ごもりながら、龍之介の方をちらりと見る純一。

 転移当初から、久我家の定位置は職員室奥の応接スペースだったが、瑠奈るなが八乙女涼介りょうすけと共に去ってからは、残された夫婦は別々の席に座るようになっていた。

 具体的には、純一は元々空席だった県職の事務員のところに、英美里も元からいていた一二いちに年部の島の一角いっかくに変わった。

 ちなみに涼介の席は、彼の隣りにいつもちんまりと座っていた、今この場にはいない上野原うえのはられいが引き継いでいる。


「お答えいただけないのですか? それとも何か、口止めでもされてますか?」

「いや、そんなことは……」

「別にあなたでもいいのですよ? 秋月あきづきさん」


 響子のむちのような声は、今度は秋月真帆に飛んだ。

 滅多に聞くことのない冷徹で無慈悲な声音こわねに、真帆は身体を大きく震わせた。


「あ、あああの……」

「聞き方を変えましょうか、秋月さん。あなたは執行部が抱えている秘密・・を知っているのですか?」

「え、ひ……秘密、ですか?」

「そうです。先ほど指摘した密約も含めて、あなた方執行部が私たちに隠している事柄ことがらについて、あなた自身も関与し、把握しているはずだと私は確信しています。どうなのですか!?」

「……」


 客観的に考えれば、この場合の沈黙が意味するところは「イエス」である。

 秘密などなければ、知らないのならば、そう答えればいいのだ。

 橘響子は、どうやら追及の手を鏡龍之介のみならず、執行部全体に伸ばすつもりらしい。


 そのことに気付いてか気付かないでか、きょろきょろと辺りを確かめてから挙手する者がいた。


「あの、教頭先生。私からちょっといいですか?」

「何でしょう、椎奈しいなさん」


 それは椎奈あおいだった。

 彼女は立ち上がると、この場にいるもう一人の追及すべき人物である英美里の方を一瞥いちべつしたあと、全く違う名前を口にした。


壬生みぶさんはどうしたんですか?」


 葵の視線は、龍之介に向いていた。

 隣のオズワルコスが話の内容を理解しているのかどうか、傍目はためからは分からない。


何故なぜ壬生さんがここにいないんですか? 鏡さん」

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