第三章 第109話 橘響子の咆哮

 かがみ龍之介りゅうのすけが職員室に入ると、それまでざわついていた室内はぴたりと静まり返ることになった。

 彼らの視線が、龍之介一人に注がれる。


 その視線には、さまざまなものが入り混じっていた。

 恐れ、疑念、混乱、憤怒ふんぬ――――


 しかし龍之介は何も言わず、黙ったまま自席に着いた。

 自席とはもちろん、校長の場所である。

 職員室は、異様な雰囲気で満ちていた。


 管理職――――

 教頭 たちばな響子きょうこ 実行班班長


 低学年部――――

 一年一組 如月きさらぎ朱莉あかり 学年主任 生活科主任 実行班

 一年二組 加藤かとう七瀬ななせ 国語科主任 実行班

 三年一組 花園はなぞの沙織さおり 学年主任 算数科主任 食料物資班班長


 高学年部――――

 五年二組 不破ふわ美咲みさき 学年主任 家庭科主任 食料物資班副班長

 六年一組 かがみ龍之介りゅうのすけ 学年主任 研修主任 執行部長

 六年二組 椎奈しいなあおい 社会科主任 体育科主任 食料物資班副班長


 保護者――――

 久我くが英美里えみり 久我瑠奈るなの母親。久我純一じゅんいちの妻 執行部食料物資班担当


 校外関係者――――

 諏訪すわいつき 学校生活協同組合職員 実行班


 ――以上、九名。


 久我純一(執行部実行班担当)と秋月あきづき真帆まほ(執行部食料物資班担当)の二人は、龍之介の指示で壬生みぶ魁人かいと(執行部副部長)の元に向かっているので、彼らが戻ってくれば総勢で十二名となる。


 ちなみにだが、男女別に分けると男性四人、女性八人である。


 十二名――――転移当初の二十三名から、ほぼ半減したと言える。

 このような状態になってしまうことを、当時の誰が予想し得ただろうか。

 元々それほど広くなかった職員室はほぼ満席だったはずが、今ではあちこちにいた席が目立ち、異様な雰囲気に空虚さが加わっている。


 そんな空気感の中、龍之介は一同をぐるりと見回し、第一声を発しようとした。

 しかしそれが言葉になる前に、隣席りんせきからの鋭い一言ひとことさえぎった。


「鏡さん」


 橘響子きょうこのそれはただの呼びかけだったが、龍之介にすら有無を言わせぬ厳しさと迫力がこもっていた。


「端的に求めます。先ほどグラウンドで繰り広げられていた一連の出来事にについて、明瞭めいりょうかつ正確な報告をしてください」

「……いいだろう。どのみち、伝えようと思っていたこと。そのために英美里えみりさんにあらかじめ皆を集めていてもらったのだ」


 一瞬だけ気圧けおされた龍之介だが、すぐにいつもの表情を取り戻して続けた。

 久我英美里の肩がわずかに震える。


「なに、宣言通りのことをしたまで。私は言ったはずだ。どれほど有能な人材であっても、役目をまっとうできない者は排除する、とな」

「連れ去られた五人が役目を全うしていなかった、と?」

「そうだ。のみならず、彼らは元の世界へ帰ろうと言う我々の足を引っ張り、あろうことか妨害まで始めたのだ。ゆえに『方舟はこぶね』をりてもらった」

「具体的には?」

「……何?」


 橘教頭は、語勢をまったく緩めずになおも問い続ける。

 面食らい、思わず問い直す龍之介。

 職員室の前方、校長の席と教頭の席で唐突に始まった舌戦ぜっせんに、他の者たちは息を呑み、固唾かたずを呑んで見守ることになった。


「まず、黒瀬くろせさんたちが課された役目を全うしていなかったと言う、具体的な事例を示してください。そして彼らが、私たちの足を引っ張り、始めた妨害とやらを具体的に述べてくださいと言っているのです」


「……」


何故なぜ、黙り込むのですか? ――まあいいです」


 更なる追及を始めたかと思いきや、響子は突然その矛先ほこさきを収めた。

 龍之介も他の者たちも、虚を突かれたかのように呆然とする。

 そして――彼女はその場にゆらりと立ち上がった。

 響子の視線は、隣りに座る龍之介に照準を定めた。


「聞いておいて何ですが、先にはっきり言っておきます。たとえこれからあなたがどんな理由を挙げようとも、先ほどグラウンドで起きたことを容認するつもりは一切ありません」


 彼女はここで一度、言葉を区切った。


「――あなたは仲間を……大切な仲間を、一体何だと思っているのですか!?」

「……」


 龍之介を突き刺すような視線の奥に、何か光るようなものが見られる。

 鋭い眼光とでも言うべきか、それとも別の何かなのか。


「確かに私は、あなたを我々『方舟はこぶね』のリーダーとして認めました。あなた自ら仰っていたようにそれが強権的であろうとも、船員クルーたる私たちを目的の場所へ力強く引っ張っていってくれるのであれば、多少のことには目をつぶろうとも思っていました」


 今のところ、龍之介に反論しようと言う様子は見られない。


「一方的に提案された新しい体制についても、かなり恣意的なものを感じましたが、その思いを敢えて口に出すことはしませんでした。現状を考えれば一応、すじとおっていますし、注文を付けるのなら実際に運用が始まって、明確な瑕疵かしに対してすべきだと考えたからです」


 龍之介だけではなく、ほかの誰もが口をひらこうとしない。


「実際、いわゆる『長屋ながや計画』の進捗しんちょくは目に見えて早まりました。ここエレディールの地に定住することが私たちの望みではありませんが、住環境の改善は皆のためになることです。ザハドとの協力体制が強化されていることについても、おおむね喜ばしいと私は評価していました。しかし――」


 再び、言葉を区切る響子。

 口元を震わせたまま、彼女はまぶたを閉じてしまった。


「私は……いえ、私たちはここから一部始終を見ていましたよ、鏡さん。話し声こそしっかり聞き取ることは出来ませんでしたが、あなたと純一さん、そして秋月さんがあの見知らぬ者たちをけしかけ…………嗾け……」


 閉じられた両のまぶたから、涙が一筋ひとすじ流れた。


「私たちの大切な仲間を! あのような目に遭わせた!」


 両目をカッと見開みひらくと、裂帛れっぱくの気合いの如き勢いで、激しい言葉を龍之介にぶつけた。


瓜生うりゅうさんを……神代かみしろ君を、そして……そして……」


 これほど感情をあらわにする響子の姿を見たことがある者は、その場の誰一人としていなかった。

 そんな彼女の様子にある者は驚きで表情を固くし、ある者はつられてなみだし、ある者は怒りに震え――そしてある者たちはうつむき、色を失っていた。


天方あまかた君を!!」


 それはほとんど悲鳴だった。


「神代君も天方君も、あなたの教え子でしょう!? その二人に対して一体どんな理由があったら、あれほどまでにむごいことが出来るのですか!!?」


 対する鏡龍之介は――黙っていた。

 響子の叩きつけるような視線を正面から受け止めながら、ひたすら黙っていた。

 その態度が、響子の怒りを加速させた。


「何とか言ったらどうですか!! あなたは――――」


 その時、職員室の扉がひらいた。

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