第三章 第108話 鏡龍之介の焦燥

 彼にしては大変珍しいことに、かがみ龍之介りゅうのすけは焦りを感じていた。


 ザハドから呼び寄せたエーヴァウートなる男の指示のもと、ヴァーングルドという少年が瓜生うりゅう蓮司れんじをあっというになぎ倒し、セラピアーラという名の少女が、彼の教え子であるはずの神代かみしろ朝陽あさひをグラウンドに沈めても、龍之介はまゆ一つ動かさなかった。


 もう一人の教え子である天方あまかた聖斗せいとが、早見はやみ澪羽みはねを救おうとしたところをヴァーングルドの凶手きょうしゅつらぬかれ、胸から血を流すに至ったところで、流石さすがに表情を硬くした。

 しかしそれでも、龍之介は口を固く引き結んだまま、何の感想を漏らすこともしなかったのである。


 グラウンドの惨状に久我くが純一じゅんいち秋月あきづき真帆まほが真っ青な顔をして立ちすくむ中、エーヴァウートたちはてきぱきと作業にとりかかった。

 ちょうどやってきた馬車の中に、気を失って倒れている黒瀬くろせ真白ましろ、瓜生蓮司、神代朝陽、早見澪羽の四名を積み込み始めたのだ。


 その様子をの当たりにしても、龍之介は少なくとも表面上は、毛筋けすじほども心を動かされたようには見えなかった。

 彼にとって、それはエーヴァウートたちをけしかけた瞬間から、当然帰結すべき景色に過ぎなかったからである。


 龍之介にとって、自身を決定的に破滅させる爆弾・・かかえたとおぼしき真白と蓮司、そして二人にあからさまにくみしようする子どもたちを、これ以上放置しておくわけにはいかなかった。

 そして、リーダーたる自分に叛逆する存在を許容しないと断言した以上、眼に見える形で断乎だんことした姿勢が必要だった。


 龍之介の望みは――――元の世界である日本に帰還すること。

 それは徹頭徹尾、微塵も揺らいでいないし、彼の本心である。


 しかし、いざ日本に戻ることが出来るようになった時に、彼の秘密・・・・を知る者がいては困るのだ。

 その秘密が暴露されたら、彼の愛する妻と娘との生活は確実に……破綻する。


 ただ一度のあやまちのために、長年かけて積み上げ、積み重ねてきた、そしてこれからもなお積み増していくはずの大切な諸々もろもろのものを失うことは耐えられない。

 それを回避するためには、どんなことでもするつもりだった。


 そう……どんなことであろうとも。


 だから、ザハドで過ごしたあの星祭りの夜、怪しげなヘルマイア・オズワルコスが代官屋敷であてがわれた自室をおとない、彼女・・の名を口にした時に龍之介は決めたのだ。

 その名を知る者は全て、消してしまうことを。


 ――そもそも、オズワルコスが龍之介の下をたずねることになったきっかけは、星祭りよりも数ヶ月前――学校勢が初めてザハドにおもむいた時にさかのぼる。


 ザハド訪問の三日目の夕刻、朝霧あさぎり彰吾しょうご校長が代官屋敷の周辺を散歩していたところに、幼い子どもが現れた。

 その子は朝霧校長に手紙とおぼしき紙片を渡すと、素早く去って行った。

 龍之介は偶然、その場面を目撃したのだ。


 ……ただ純粋な好奇心だけで、問いかけるつもりだった。


 しかし朝霧校長は、手紙をひらいて目を通したあと、声をかけた龍之介の目からまるで隠すかのように、急いでポケットにしまったのである。

 龍之介の何気なにげない問いかけにも、手紙の事にはまったく触れようとしなかった。


 当然、龍之介はいぶかしんだ。

 一体誰が書いたと言うのか。

 何が書かれているのか。

 そもそも、先ほどの子どもは何者なのか。

 異国であり、異なる言語を使うこのザハドの町で、日本人に手紙で何かを伝えようとする状況など果たしてあり得るのか。


 しかし敢えて言及しようとしない朝霧校長の態度を見て、それ以上追及することは何となくはばかられた。

 それに、今この場ではなくとも、いずれここで起きたことについて何らかの相談があるかも知れない。


 そう考えて龍之介は好奇心と、ほんの少しだけ湧き出た疑念にふたをすることに決めたのだった。


 ――ところが翌日。


 学校勢一同は予定通り、隣町であるイストークに向けて出発した。

 途中でザモニスというえん鉱山を見て回り、目的地のイストークで食事や見学を無事に済ませた帰り道の馬車の中。

 龍之介は朝霧校長と八乙女やおとめ涼介りょうすけ、そして町娘のサブリナと同乗していた。


 一日中動き回って疲れたこともあって、眠気に襲われた龍之介は、腕を組みながら目をつぶっていた。

 もう少しで寝入ってしまいそうなところで、突然朝霧校長が涼介に向かって口をひらいたのだ。


 『くじのかね……と言うのが何時を指すのか、分かりますか?』


 眠気などは一気に吹き飛んでしまった。

 涼介は「午後十時のこと」と答えて、それがどうかしたのかと問い返したが、朝霧校長は何となく濁して会話は終了した。

 しかし龍之介は、それが前日の手紙に関わることだと瞬間的に思い至ったのだ。


 その晩は、サブリナの実家である「山風さんぷう亭」で「魔法ギーム」とやらの存在が明らかになったこともあって、一同はかなり混乱していた。

 それでも、朝霧校長の動向には油断なく目を配り、果たしてその日の午後十時、龍之介は校長が山風亭のある一室に入っていくのを確認したのだった。


 その部屋は、学校勢の誰のものでもなかった。

 龍之介の中の疑念が、更にふくらんだ。


 人目ひとめを気にしながらも、何とか室内の様子を、出来れば会話の一端でも聞き取りたいと思った彼は、くだんの部屋の前でしばらくじっとたたずんでいた。

 しかしあいにく、とびら越しでは何の情報も得られないことが分かると、龍之介は致し方なくその場をあとにしたのだった。


 そして――そんな龍之介の様子は、すべてオズワルコスの部下によって監視されており、当のオズワルコスはまさにその隣室で、朝霧校長たちの話に耳を傾けていたのである。


 レアリウスの組織体制や命令系統について、龍之介は詳しく把握しているわけではない。

 かなり緊密に連携している現状においてもそれは変わっておらず、彼の認識ではオズワルコスが表向き学舎の教師で、実はレアリウスの諜報部門に所属する幹部であるということくらいである。


 オズワルコスは、過去のある出来事によって得た、聴覚を拡張する魔法ギームと、元から持ち合わせていた非常に優秀な「感受フェクト」の力によって、諜報部員としてイングレイ・カルヴァレストに大変重用されていた。

 しかし実のところ、彼は軍事部門のおさであるアクセリオ・インメルバルツの調略を受けて、いわゆるスパイのような立場にあった。

 そしてその事実を、龍之介はまったく知らないのだ。


 龍之介は、そんなオズワルコスから接触を受け、彼の話を聞かされた時、当然のことながら非常な驚愕に見舞われることになった。

 まさか、龍之介を含む二十三人が突然、この異世界エレディールへ転移したという大事件が生じた原因が、彼自身にあるものとは夢にも思っていなかったのだ。


 魔法ギームが関係するということもあって、その事実を龍之介が理解し、飲み込むことはなかなかに困難なことだった。

 自分が原因で、多くの人間の運命を変えてしまったことへの申し訳なさのようなものも、彼の脳裏をよぎりはした。

 しかし、それより何より、彼の意識の大半を占めていたものは「焦燥しょうそう」だった。

 この事実を誰にも知られてはいけない、というあせりだった。


 ――そして、その焦燥が「覚悟」に変わるのに、大した時間はかからなかった。


 それから龍之介は、朝霧校長をほうむり、学校勢を掌握するための絵図をえがいた。

 オズワルコスの協力を、さらに学校勢の中に彼に同調する者たちを作り出した。

 計画を進める中で、八乙女涼介に話が漏洩ろうえいする可能性を確信すると、彼をも潰す・・決意を固めた。


 ……計画は、順調だった。


 黒瀬真白たちのような、はねっ返りの存在は当然想定内だったし、彼らをぎょする自信もあった。

 最終的には「プランC」として、強引な手段に及ぶことになってしまったが、彼らも邪魔者として目の前から消すことに成功した。


 しかし……あれはいったい、何だったのだ?


 エーヴァウートたちが去ってすぐ、上野原うえのはられい、そして御門みかど芽衣めいと共に現れた、謎の人物たち。


 彼らはグラウンドに倒れている天方聖斗を見て、悲痛な叫び声を上げながら駆け寄ると、大きな黒い布のようなもので聖斗の身体をつつみ、またたに運び去ってしまったのだ。

 現れた時と同様に、玲と芽衣も共に。


 予想外の、イレギュラー。

 龍之介の脳を、新たな焦燥がき始めた。


 容貌からザハドの民であろうことは想像がついたが、彼らが何者なのかということと、今回のことに介入してくる理由、そして玲と芽衣が行動を共にしているわけが、龍之介にはまったく見当がつかなかった。


 昇降口から出てきて騒ぎ立てるたちばな教頭たちに、半ば恫喝どうかつするように職員室へ戻るよううながすと、龍之介はその場に佇立ちょりつしたまま、思考をめぐらせた。


 呆然としている久我くが純一じゅんいち秋月あきづき真帆まほが蒼い顔で見守る中、結局どれだけ考えても分からず、玲や芽衣に直接聞くほかないと思い至った龍之介は、決意を胸に職員室に向けて歩き始めた。


 ――どんな手段をってしても聞き出さねば、という決意を。

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