第三章 第107話 天声会議 ―5―

「ふむ、なるほど……」


 アクセリオ・インメルバルツは、あごに手を置いてしばし思考に沈む。

 そして、彼が次に発した言葉ヴェルディスは、味方キウスであるはずのアーラオルド・ハンブレーウスを絶望マレスペロふちに叩き落すことになった。


「ハンブレーウスよ」

「何でしょうな」

「カルヴァレストの提案イラドークに乗るのはちと業腹ごうはらではあるが、所詮しょせんは役に立たぬ玩具ルディオ、『花冠ネッカーリント』などはとっとと聖会イルヘレーラに返してしまえ」

「なっ! 何ですとっ!?」


 自分と同じ側にいるはずのアクセリオのまさかの台詞に、アーラオルドがアローラを真っ赤にして立ち上がった。

 先ほどまでのように狂う余裕?すらなく、限界までクリクスをひねりながら、アクセリオの顔をほうけて見ている。

 そんなアーラオルドの表情イレームを、アクセリオは一瞥いちべつして続けた。


聖会イルヘレーラごときがエルザイアに回ったところで、我が軍イザス・アーミラにとってさしたる痛痒つうようにならん。確かに未知の要素があることは認めるが、そもそもあれはそういう組織・・・・・・ではないはず。軍事的な障壁にはなり得ん」


「……」


「しかし聖会イルヘレーラなだめすかすことで、あの少々面倒な領主ゼーレを何とか出来るというのであれば話は別だ。そうなのだろう? カルヴァレスト」

「もう忘れたかインメルバルツ。私は、聖会イルヘレーラ望星教会エクリーゼ双方・・との和解リクィーズさえなれば、と言ったはずだが?」

「言っておくぞ、カルヴァレスト。ほかはともかく、望星教会エクリーゼとの和解だけは断じて受け入れることは出来ん。断じてソリマード、だ」

「……」

「貴様が今後何を言おうと、どんなたくらみをめぐらそうと、それだけは成らんと思え。『金貨オリスオーリナアトゼアは同時にこちらを向くことはない』のだ」


 イングレイとしては、元々予想出来たアクセリオの態度ジェラーロである。

 そして、あるじであるリューグラム家の協力クラボーラを取り付けるための条件コンソラールは、花冠ネッカーリントを聖会の巫女ヴィルグリィナに返すこと。

 望星教会エクリーゼについては、特に何も指示されているわけではないのだ。

 政敵とも言えるアクセリオから、花冠ネッカーリントの返却について前向きな回答を引き出せたことは、一定の成果と考えていいはず――イングレイはそう判断した。

 しかし、ほっとした気持ちをおくびにも出さず、渋面じゅうめんを一層くして、なおも食い下がって見せる。


「どうしても出来ぬか、インメルバルツ」

「くどいぞ、カルヴァレスト。貴様こそ、領主ゼーレを何とかすると言う言葉ヴェルディスに嘘偽りはないのだろうな?」

「無論だ」


 答えながら、イングレイは「何とか」を具体的に説明アザルファせずに済ませられることを願っていた。

 尋ねられれば、それなりに説得力のある、しかし絶妙に濁した返答をするつもりではいるが、実際に彼がリューグラムきょうから取り付けた約束フォラーガは「反祖王アヴァロア・レーヴ研究キムスの存続である。

 アクセリオがつかさど軍事部門サラト・アミリスについては、むしろ大幅な縮小を余儀なくされるはず。


 話の文脈から考えて、彼が望んでいる「何とか」とは、当然領主リューグラムが表立ってレアリウスに敵対しないことを意味しているに違いない。

 それについては何とでもなると、イングレイは考えていた。


「財務的にも、ぜひその方向で進めてもらえると助かります」

「うーむ……『花冠ネッカーリント』については現状、何の役にも立っておらぬし、致し方なし……か」


 カミレヴィーラ・エルヴェスタムの涼しい声が割り込む。

 ヴラキュール・フレイヴァローアも、難しい顔をしながらではあるが、話の流れを消極的に肯定するようだ。

 四面楚歌におちいったアーラオルド・ハンブレーウスは、今度こそ絶望にまみれた表情で四人を順番に見回した。

 視線が合ったイングレイは、とどめのひと言をアーラオルドに告げる。


あきらめよ、ハンブレーウス。代わりに『流月フラグゼルナ』の情報を与えたではないか。価値メリトスとしては十二分じゅうにぶんに釣り合うだろう。それに、先ほども言ったように『花冠ネッカーリント』はまた入手すれば済むこと。一度出来たことが、もう一度出来ぬわけもあるまい」


 とは言え、二度目の入手が言うほど簡単なはずがないだろうことは、イングレイも承知している。

 しかしそんなことは、その時に考えればいいことなのだ。

 アーラオルドの研究者としての能力ビルキートは、潰してしまうには惜しい。

 奇矯ききょうなふるまいには閉口させられるが、研究者と言う人種には程度の差こそあれ、誰にでも見られる傾向であるともイングレイは思っている。

 とにかくここは、彼には何としても穏便に花冠ネッカーリントを手放してもらわねばならない。


 アーラオルドの顔色は、青くなったり赤くなったり、イングレイの顔をにらみつけたまま面白いように変化している。

 イングレイとしては視線を外すわけにもいかないように思え、そのまましばらく睨み合った二人に対して、他の三人が微妙な表情で成り行きを見守る時間が続く。


 ――口をひらいたのは、意外にもアーラオルドだった。


「……いいでしょう」


 アーラオルドはそう言うと、イングレイから静かに視線を外して席に着いた。

 先ほどまでの様子が嘘のように落ち着き払ったたたずまいに、少なからず面食らったイングレイは、思わず問い掛けてしまった。


「いい、とは?」

「今さらずいぶんと間抜けなエルゲラック質問フラジオンですな、カルヴァレスト殿。貴殿が言うように、『花冠ネッカーリント』を聖会イルヘレーラに返却する旨、了承しましょうということですが」


 毒を含めながらもさらりと言ってのけるアーラオルドは、まさに別人のようだった。


 客観的には、アーラオルドは十分じゅうぶん煩悶はんもんし、悩み抜いた末に自分とレアリウスの置かれた現状を理解し、結論を出したように見えるのかも知れない。

 しかしつねの彼を知るイングレイとしては、もうひと悶着あってもおかしくないと思っていた。


(……油断すまい)


 とは言え、臨時の会議リューヌを招集した身として、本来の目的はほぼ達成したと判断して差し支えなかった。

 議題ダグソルとして残すは具体的な返却の手続きと、望星教会エクリーゼへの対策だが、局所的な戦闘エスクルを含めた軍関係の説明については、後日アクセリオ・インメルバルツより行われる予定になっている。


 ――結局、イングレイが大いなる覚悟をってひらいた天声会議ヴォーゼルーアは、その呆気あっけないほど順調に進み、花冠ネッカーリントはイングレイ自身が聖会イルヘレーラへと出向き、レアリウスを代表する五司徒レガストーロとして返却することになった。


 しかし、鷹の間ルマベラッツァを出て自らの執務室ロマ・ビューラスに向かって歩くイングレイ・カルヴァレストの心中しんちゅうは、何故なにゆえか波立ったまま、たいらぐことがなかった。

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