第三章 第101話 うわさ2

「それじゃあ失礼しまーす」

「ありがとうねーセリカちゃん、気をつけて帰ってね」

「はーい」


 時は、八時鐘はちじしょうのティリヌス(午後九時)のころ。

 場所は――ザハドにある、宿屋ファガード食堂ピルミルの「山風亭プル・ファグナピュロス」。


 一人娘のサブリナが、山吹やまぶき葉澄はずみとアウレリィナ・アルヴェール・ヴァルクスと共に旅立った日から、まだ一週間足らず。

 給仕スタライを担当していたリィナが抜けた穴は、それまでも日本で言うアルバイトという形で勤めていたファネッセリカ・メルカダンテスが、新しい人・・・・が見つかるまで、という期限付き条件で埋めていた。


 専門の飲み屋ベルタナではない食堂は、多くの場合九時鐘くじしょう(午後十時)が鳴るころには店じまいとなる。

 山風亭もその例にもれず、店内にいるのは数組のクリエと、お一人様でカップを傾ける数名の常連クリエレグルが残るばかりだ。


 目の回るような忙しさも大分だいぶ落ち着いたこともあって、勤務終了を告げられたセリカは冒頭のように女将おかみであるテレシーグリッド――リィナの母親――に声をかけると、いつものように山風亭を出て帰路に着いていった。


「それにしても、最近どうもきな臭い気がしねえか?」

「ん? ……ああ、あれだろ? ――望星教会エクリーゼ

「そうそう」


 酒場と言えば、情報フィルロス

 情報と言えば、商人エムルカ

 当然商人たちも情報の価値メリトスを分かっているから、何の見返りもなく話すことなどあり得ないのだが、酒精アラカオが回れば自然、口元ヴァレアゆるむもの。

 意図的に緩ませながら、相手からも何かしらのもの・・を引き出し、自らの持つ情報の確度を高めたり低めたり、新たなもうけ話の着想を得たりするというのが、商人と言う人種なのである。


「何でも、ピケに現れたって話じゃねえか。かの……『狂信者様ノス・プリジャーロ』が」

「そうらしいな。ピケ支会アダリオ・ピケを訪れてから、ノストレーム様ノス・ノストレームたちと一緒に領主屋敷ゼーレ・ユーレジアに押し掛けたらしい」

「そうなるとだ、どうしてもあれ・・を思い出しちまうな」

「あれ、とは?」


 片方の商人が、如何いかにもとぼけてますという表情で問い返す。

 相方あいかたもそんなことははなから承知しているが、周囲を気にしてか、声の音量を少々落として答えた。


「あれっていやあ、あれだ――『ピケの惨劇ハルムレイカー・ムル・ピケ』に決まってんじゃねえか」

「ああ、あれか。かれこれ……十年ディアヤーニュほど前だったな」

「ありゃあ、ひでえもんだった。あんな街中まちなかで派手にやらかしたお陰で、関係ねえ人たちがたくさん死んじまった」

「そうだったな……ってことはだ、望星教会が出張でばって来てるんだとしたら、相手はアレか? 何てったっけな……」

「レアリウス、だろ? まったく胡散臭うさんくせえ連中だぜ。何の秘密結社なのか結局分からずじまいだったけどよ、領主様も気合い入れてかたして・・・・くんねえとな」

「そうだな。まあ復興する時は商機でもあると言えばそうなんだが、あの悲惨な状況をの当たりにしたら、そんな罰当たりなこと冗談セルセルでも口に出来んよ」


 その時、別の卓で飲んでいた商人とおぼしき客が二人の会話に割り込んできた。


望星教会エクリーゼっていやあ、あんたら……聞いてるかい?」

「ん? 何をだ?」

「そのピケに現れた『狂信者様ノス・プリジャーロ』だけどな、どうも教会騎士エクシャルドをたくさん率いて、ピケを進発したらしいぞ?」

「マジでか!?」

「ああ、それも『セレータ』に向かって、な」

「南? ……ってことは」


 話しかけられた方の二人は、思わずごくりとつばを飲み込む。

 割り込んた男は人差し指で、床をちょいちょいと指さして続けた。


「ああ、向かう先は恐らく――――――ザハドここだろうよ」

「……やっぱりか」


 二人のうちの片方は、最初こそ驚いた顔をしたものの、すぐに何かに納得のいったような表情で呟いた。


「いやな、最近ここら一帯いったいの食料品の動きがいつもと違っているんだ。食料って言うか、糧秣りょうまつ(兵士の食糧と軍馬のまぐさ)って言った方が正確か」

「実際、望星教会のザハド支会アダリオ・ザハドの動きも活発化してるって話さ」

「ってことはあれかよ……近々ちかぢかヴァルカでも起こるってことか?」

「それでもって、戦場になるのは当然……」

「こうしちゃいられねえ!」


 商人たちは大急ぎで卓上の飲み物をからにすると、山風亭を出て行った。

 あとに残された数人の常連客も、頃合いと見てか席を立ち始める。


 すっかり静かになった店内で、テレシーグリッドは渋い顔をしてため息をひとつくと、「さ、店じまい」とつぶやいて片づけを始めた。


「ねえ、あなた」

「ん?」


 グリッドは食器ヴレセットを運びながら、厨房キナスにいる夫――ペルオーラに話しかけた。


「最近ずっと、あんな・・・話ばっかりね……」

「……そうだな」

「心配だわ……」

「……ああ」


 二人の脳裡のうりには当然、一人娘リィナの元気な顔が浮かんでいる。

 その笑顔ミーチャくもってしまうようなことなど、考えたくもない。


「あの子たちは確か、最初にピケに向かうって言ってたわよね」

「ああ、そこから時宜じぎが合えば定期船ネイヴィス・アトーラに乗るつもりだと、アウレリィナ様アルナ・アウレリィナおっしゃっていたが……」

「……本当に戦場になるのかしらね、ここ・・

「さあな。どのみち俺たちに出来るのは、いつも通りに店をけて、ミルを食わせたり寝泊りさせたりすることぐらいだ。それ以上のことは領主様に預けるしか、ない」

「……心配だわ」


 もう一度同じ言葉を繰り返すと、グリッドは再び閉店作業に戻っていった。


 実は、先ほどの商人たちのような会話は、初めて交わされているものではない。

 何日も前から酒場で、取引の場で、個人的な噂話で繰り返されていた。

 商人たちの会話は、当然同じ店内にいる他の客たちの耳にも入っている。

 そして彼らが知人友人にまた聞きで話すことで、商人以外にも拡散されていく。


 そんなわけで、ここザハドの雰囲気アイミースは商人たちが話していたように、どこかせわしなくあやで、誰もが得体の知れない焦燥感に駆られているような状況になっていた。


 そして――――山風亭を出たセリカが自宅に辿り着くことは、なかった。

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