第三章 第94話 アウレリィナの記憶 ―4―

 神妙な顔でユーゴ様が口にした願いを、グリンデア様――御屋形様ノスト・ユーレジアはあっけないほど簡単にかなえた。


 つまり――御屋形様はユーゴ様に王の錫杖トリスカロア所有者ル・セダンたることを認めたのだ。


 もちろん、貸与プルントと言う形ではある。

 以前明言されていたように、次期当主エストロア・セクヴァがユーゴ様に変わるというわけでもない。


 恐らくこのことを予見した上で、御屋形様はユーゴ様を養子デイトリスとされたのであろうが、ユーゴ様が訥々とつとつと話す王の錫杖トリスカロアを求める思いにも、真剣な表情イレームで耳を傾けていたのが印象的だった。

 決して視た・・から、という無機質な理由カラーナだけで許可したわけではないように思えた。


 ――そして私は、ユーゴ様たっての希望によって、彼が王の錫杖トリスカロアを貸与される場に立ち会うことになった。


    ◇


 御屋形様の執務室ロマ・ビューラス


 御屋形様とユーゴ様が向かい合って立つのを、奥様であるルドミラヴィカ様と、奥様の腕の中で眠るジュネヴィーラ様、その横に立つグラナバルニア様、そして私――アウレリィナが見守っている。

 今、この時ばかりは完全にこの六人だけ。

 従者エルファたちも全員、部屋ロマの外で待機している。

 前当主であるグリムロータス様でさえ、いらっしゃらない。


 一時的な貸与とは言え、形としては継承リーアすることに違いはない。

 私は少しの興奮ジラーラと言い知れぬ不安マルトランクを胸に、目の前の二人を見つめていた。


「ユーゴよ」

はいヤァ、御屋形様」

「ただいまより、なんじ王の錫杖トリスカロアを継承するに当たって、ただひとつ命令するリ・オルディナ

「はい」

「未来を視ることのみ、禁ずる。分かったな」

「はい」


 ユーゴ様は、よどみなく答えた。

 彼が知りたいことを視るのに、確かに未来は必要ない。

 当然、いなやもあろうはずが、ない。


 ユーゴ様の答えを聞くと、グリンデア様はタリオの辺りで小さく両のてのひらを差し出した。

 その上には、いつのまにか王の錫杖トリスカロアが置かれている。


我、汝を次代の錫杖の主と認むリヴィオルトタウ・キェルセクヴァドミニアノヴォ・トリスカロア汝、受けるやアセティク・ジウ?」

拝領しますイェーギス、リス・ドミニア


 ユーゴ様も御屋形様と同じように、両手を差し出した。

 すると……何とも不思議なことに、王の錫杖トリスカロアは静かに移動を始めたのだ。

 そして、ユーゴ様の掌に到達したところで、その輪郭がどんどん曖昧あいまいになっていくと思ったら、体内に吸い込まれるように消えてしまった。


 そのまま、誰一人として身動みじろぎせず、まるで部屋ごと時が止まってしまったかのようだった。


 最初に動きを見せたのは、ユーゴ様の両手の上の空間だった。

 先ほど消え失せてしまった王の錫杖トリスカロアが、再びゆっくりと現れたのだ。


 現れたそれを右手で握ると、ユーゴ様はグリンデア様ににっこりと微笑み、深々と一礼した。

 グリンデア様も、笑顔を以って応える。


 ――これで、継承の儀エリオーラ・リーアは終わった。


 そう、たったのこれだけなのである。


 これはあとでユーゴ様から聞いたことだが、三つの神器レジ・アウラ――少なくとも王の錫杖トリスカロアについては、正当な所有者ル・セダンが「ゆずる」と念じ、継承者リアドが「受ける」と応じれば、それで済んでしまうのだと言う。


 拍子抜けするほどに呆気あっけなくて、簡単な手続きなのだ。


 逆に言えば、所有者が譲ろうとしなければ、例え手にしたとしてもそのルカを行使することは叶わない――つまり、何の意味もないのだ。

 それに、例えば短い時間のこととは言え、目の前で起きた現象はとても不思議で、なおかつおごそかなものだった。


 とにかくこれで、一時的なものにせよ、ユーゴ様は王の錫杖トリスカロアの正当な所有者となったのだ。


終わったら・・・・・、返すのだぞ」

「はい」


 という父子おやこの会話で、私たちは御屋形様の私室を辞した。


    ◇


 そして――


 恐らく知りたい・・・・ことを知ったであろうユーゴ様は、その日から変わった。


 表面上は、少なくとも大きな変化はないように見えた。

 しかし、何と言えばいいのか自分でもよく分からないのだが、彼のアルノーヴァートが濃くなったと言うか、何かしらのドゥロスまとったような……それまでも時折見せていた陰が、一層いっそう深くなったような印象を受けた。


 ユーゴ様は元々イルエス家の縁者として扱われていたので、特に領政などに関わることはなかった。

 では何をしているのかと言えば、先述の通り私と語学訓練ヴェルトレをしたり、魔法ギーム訓練トレナードをしたりするのが主な日課だった。

 時に私や御屋形様、ご家族に遠い日本の話をしたり、領都ベルツェロアに出て様々なものを見て回ったりすることもあった。


 それは養子となったあとも、基本的に変わっていない。

 しかし莫大ばくだいに増えたものもある。


 ――魔法ギームの訓練に費やす時間である。


 既に私の技量ロジカルトなどとうの昔に超えていたが、そのような一般的な水準ニヴェロには到底収まらないような、異常としか思えない熱量を彼は注ぎ始めたのだ。

 屋敷にあった魔法関連の蔵書リブロは片っ端から読み、さらなる知識と技術を求めて、ユーゴ様は隣領りんりょうであるアムジール凰爵ヴァジュラミーネ・アムジールのいるエリュアスコールにまで足を延ばすことを希望した。


 アムジール領の二大都市である領都ゼーレグラードエリュアスコールと実験都市ペルコグラードギムリアは、エレディールで唯二ただふたつ、その周囲を城壁でぐるりと囲われている特別な街である。

 エレディールの魔法産業ギオイオナスを一手にになうアムジール家では、研究されている先進的な技術ロジカ知識シグレッドの流出を防ぐために、人々の出入りを厳しく制限しているのだ。

 一説によれば、王城ル・ギャレオに侵入するより、アムジール領へ入る方が遥かに困難だと言われているほどである。


 そんな恐ろし気で気後れしてしまうような場所に対しても、イルエスの名はとても有効らしい。

 具体的な遣り取りは不明だが、最終的にユーゴ様は、単身でのエリュアスコールへの一年間の留学メレトールフォルイシヤーニュが認められたのである。


    ◇


 留学から戻ったユーゴ様は、何か明確につかんだものがあったらしい。


 ある日の午後、いつものように語学訓練を終えたあと、ユーゴ様は人払いをされた。

 そして、二人きりとなった彼の私室で、とうとう私は知ることになった。


 ――王の錫杖トリスカロアの仮のあるじとなって以来、数年間に渡る血のにじむような努力の果てに、彼が一体何をしようとしているのかを。


「見ててよ、エリィナ」


 ユーゴ様は大き目のクリーヴの横に立っている。

 それはかつて彼が転移してきた時に、共にやってきたものとは別で、あとから運び込まれたものだ。


 机の上には、直径シュレドタスエスメルス(四センチメートル)ほどの魔石ギムピードが三つ。

 転がらないように金属ミフリッツ製の台座イドルカのようなものがつけられて、きれいな三角形セザロスえがいて並んでいる。


 そして、ゴウメルス(五メートル)ほど離れたところにある側卓ボロスアルデの上には、リントけられている花瓶ヴァザ


 ユーゴ様が指さしているのは、魔石の三角のほうだ。


 言われた通りじっと凝視していると……何と、三角形の上方じょうほう空間プラスィスに何かが像を結び始めた――――花瓶だ!

 少し離れたところにある花瓶の姿が、ぼんやりとした白い輪ヴィッティヨアーナに囲まれて映っているのだ。


 そして次の瞬間。


 魔石でかたどられた三角形の中に、突如として花瓶の実体が現れたのである。


 側卓の方を見遣みやると、そこにあったはずの花瓶はない。

 つまり――――


「――転移メルタース、させたんだ」


 にっこり笑うユーゴ様。

 言葉を失う私に、彼は続ける。


「いや、正確に言えば転移交換メル・ヴァルさ。机の上の空間と側卓の上の空間をまるごと入れ替えたんだよ」

「転移交換……」


 リクサスに聞いたことだけはある魔法――転移交換。

 まさか実在していたとは……!


サンシェリク様ノスト・サンシェリクによればね、遥かな古代アンティヴィカに開発された『交換機メック・ヴァルタール』というものがあるんだそうだ。設置した複数の機械メルキアあいだで、お互いに物を転送できるらしくてさ、この魔法はそれを魔石を使って模したものなんだよ」


 サンシェリクというのは、先述したアムジール家の当主であるサンシェリク・シュニルド・アムジール様のことだ。


「だから本来、この魔法には特別な三つの魔石が二組ふたくみ必要なんだけどね、俺は王の錫杖トリスカロアの力を借りて、転送させたいものを視て・・指定できるんだ。すごいだろ!」

「あ、ああ……」


 驚きのあまり、私はさっきからまともな言葉を口に出来ずにいる。

 魔法そのものもそうだし、ユーゴ様の言う古代機械のことなど初耳だ。

 どれくらい離れて使用できるのか知らないが、もし本当に離れた場所同士で物を送りあえるとしたら……計り知れないほどの価値があるだろう。


「この魔法を習得するために、エリュアスコールへ行ったのか?」

「まあ、そんなとこだね」

「一体、何のために?」

それ・・だよ、それ・・


 ユーゴ様は突然、表情イレームを引き締めた。

 同時に、彼の瞳に暗いローガともったように思えた。


「俺はね、エリィナ――――――父親を殺そうと思うんだ」

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