第三章 第93話 アウレリィナの記憶 ―3―

「――ユウゴ・ホンダを、我がイルエス家イル・イルエス養子デイトリスとする」


 家内かないおもだった者を広間アレトワに集めてされた突然の発表アノルキアに、私は驚いた。

 当のユウゴは、グリンデア様――御屋形様ノスト・ユーレジアの横に立っている。


「この者は今この時をって、『ユーゴ・フォンダン゠イルエス』と名乗ることと相成あいなった。皆、よろしく頼む」


 グラナバルニア様とジュネヴィーラ様というご実子オルジリスがいるのに、何故なにゆえ

 同様の疑問を覚えた者が多数いるのだろう、広間はわずかにざわめく。

 御屋形様は、軽く手を挙げて場を制して続けた。


「心配せずともよい。次期当主エストロア・セクヴァはこれまで通り、グラナバルニアであることに変わりはない。もちろん、年齢的にユーゴは息子ファロスグラナバルニアと、フィリスジュネヴィーラのブラトルードレとなる」


 奥さまであるルドミラヴィカ様は、ジュネヴィーラ様を両手できながらユウゴの隣りに立ち、その横にグラナバルニア様が立っている。


 ユウゴはこれまで、イルエス家の遠縁のクリエという立場で遇されていた。

 私と同じような待遇である。

 しかし、これからは違う。

 養子とは言え、御屋形様のご子息になったのだ。

 実子のお二人と同様に「ユーゴ様」と呼ばなくてはならない。

 これは堅苦しいとかそういう話ではなく、明文化こそされていないがある意味「レゴア」であり、けじめをつけなければならないものなのだ。


 しかし、最も揉め事の原因となりそうな家督継承の件については明言されたものの、肝心の彼が養子とされた理由には一切触れられなかった。

 ただ……私だけではなく、他の者たちも何となく察しているはずだ。

 それはイルエス家の特殊性を知る者であれば、誰もが容易にたどり着ける結論エルディヴィアスである。


 恐らくグリンデア様は、「た」のだ。

 この光景を。


 養子にどんな意味ベクニスがあるのか、と詮索することにそれこそ何の意味もない。

 すでにそういう事実イザヌ・エレが、既に未来エトルチカにあった・・・・のだから。


 ――そして私とユーゴ様・・・・は、十六歳ライス・イェービーになっていた。


    ◇


「なあ、エリィナ」

「何でしょう」

それ・・だよ、それ・・


 ユーゴ様は、眉間みけんに深い溝を刻みながら、苦々にがにがに言った。


「その言葉遣いヴェルディエス、いい加減何とかならない?」

「なりません」


 もう何度、このようなり取りをしたことだろうか。


「何だかさ、よそよそし過ぎるっていうか、落ち着かないんだって」


 正直言えば、私だって本意ではない。

 今までのように、もっと気安く言葉を交わしていたいと思っている。


「もうあなた様は、イルエス家のご子息なのです。私からすれば主筋しゅうすじなわけですから、立場に合わせた言葉遣いをするのは当たり前です」


 それでも、緩ませてはいけないところだと、固く自分をいましめていた。


「それはそうなのかも知れないけどさ、今みたいに二人しかいないんだったら別にいいと思うけど?」

「……なりません」


 二人しかと言うが、まずそこはユーゴ様の私室。

 今は定例の語学訓練ヴェルトレの時間であり、ユーゴ様が養子となってからも引き続き彼の部屋でおこなっている。

 ゆえに、私の従者エルファであるマルグレーテもいれば、新しく彼の従者となった者だっているのだ。

 二人とも壁際でズィールのように控えてはいても、職務上わたしとユーゴ様の一挙手一投足に気を配っているだろうから、一般的な礼儀を失するわけにはいかない。


「……だったらもう、俺はしゃべらないから」

「またそう言うことを……あまり困らせないでください」

「……」


 ユーゴ様はつん、と横を向いたまま虚空こくうにらんでいる。

 宣言エルデクア通り、口を利かないつもりらしい。

 ……仕方ない。


「――この時間だけだぞ?」


 ぼそりとつぶやくと、音がしそうなほどの勢いでユーゴ様は顔を私に向けた。


「よしよし! エリィナはそうでなきゃな!」

「まったく、仕方のない人だ」


 何だか憎たらしく思えるほどの満面の笑みに、私も控えている従者たちも苦笑するしかなかった。


 ちなみにだが、私とユーゴ様の会話はエレディール共通語ノアロ・ヴェルディスと日本語が入り混じっているので、はたから聞くと恐らく相当に奇妙な印象を受けると思う。

 そうする中で、相手側の言葉に訳しきれなかった部分を指摘し合いながら、語彙ヴォルプロアス用法エラビエラの実例を増やし、会話能力を磨いていくのだ。


 こうして彼の身分エゴイラが変わっても、私とユーゴ様の実際の日常シウタ・ヴィゴは特に大きな変化ブレイトもなく、穏やかに過ぎていった。


    ◇


「なあ、エリィナ」

「ん?」


 ある時、いつになく真面目な顔でユーゴ様が言った。

 もちろん、語学訓練の最中さいちゅうの話だ。


「まずお前には話しておこうと思ってさ」

「……分かった。聞こう」


 彼の雰囲気アイミースに、何となく背筋を伸ばして私は答えた。

 しかし、ユーゴ様は私の顔を見たり、眼をらしてみたり、なかなか口をひらこうとしない。

 それでも私はえて何も言わず、彼の言葉を待った。


「――御屋形様ノスト・ユーレジアに、お願いしようと思っているんだ」

「御屋形様に?」

「ああ」


 そうしてまた、口を閉ざしてしまう。

 相当に言いにくいことなのだろうと察したが、自分でも考えてみた。

 ユーゴ様がグリンデア様にお願いしたいことが、一体何なのかを。


 とりあえず生活をしていて、不足したり不満に思ったりすることはないだろう。

 少なくともそう思えば、こんな風に私に言わずとも、従者にひとこと告げれば大抵のものは融通してもらえるはず。

 そうなると、御屋形様でなければどうにもならないこと、という結論エルディヴィアスになるのだが……何だろう、正直あまりいい予感タナレイクがしなかった。


「――王の錫杖トリスカロアを、貸してくださいってさ」

「はあっ!?」


 私は驚きのあまり、思わず立ち上がってしまい、目の前のボロスに両手を乱暴に叩きつける。

 諸々もろもろ記録コルディウムに使っていた紙片が、その勢いで宙を舞う。

 マルグレーテとユーゴ様の従者も、目を丸くしている。


「な、何を言っているのか自分で分かっているのか!?」


 このように取り乱すことが、貴族ドーラの子女としてあるまじきこととは分かっていても、本当に動揺すると感情ラグノア制御インペリールすることがこれほど困難なことを、私は改めて思い知ることになった。


「ト、王の錫杖トリスカロアがどんなものなのか、あなたも知っていよう!」

「落ち着けってば、エリィナ」


 取り乱す私とは対照的に、ユーゴ様は穏やかな顔で苦笑する。

 その様子に、私は落ち着くどころかより一層苛立いらだちが募った。


「俺だって分かってるさ。御屋形様に聞かされているからな」

「だったらどうして!?」

「聞かされているからこそ、なんだよ」

「はあ?」


 三つの神器レジ・アウラ

 それにまつわる望星教会エクリーゼに伝わる神話ミオタソイルを、私は思い出す。

 それは継承リーアのくだり。

 ミラドが父なるイナであるギードス・・・・より、主神の座トロノスノヴォクリィナを受け継ぐ場面ラハークにおいて、その象徴タークンたる王の錫杖トリスカロアが登場する。

 主神の座と同時に王の錫杖トリスカロアをミラドに渡そうとする父を、ミラドは押しとどめてこう言ったのだと言う。


 ――は我らにはぎたる力。もし我らがあやまてる時にはて我らをただたまえ。


 つまり王の錫杖トリスカロアは、それ以降も父神たるギードス・・・・の手に残ったということだ。


 ひとつここで訂正しておかねばならないのは、父なる神の御名ミゼーナは、実はギードス・・・・ではないということ。

 望星教会には何故なにゆえか誤って伝えられているのだが、真の御名みなは「グィード・・・・」。

 そして現在、王の錫杖トリスカロアがイルエス家に伝わっているということは、即ちイルエス家が父神グィードの血脈・・・・・・・・・に連なっていることを意味するのだ。


 グィード・イルエス――家祖かその名。

 

 これが、イルエス家の驚くべき出自の秘密イロス

 そして王の錫杖トリスカロアは、イルエス家の者以外には決して継承されないというレクシスが、遥かないにしえから一度も破られることなくかたく守られているのである。


「そのようなこと、御屋形様は決してお許しにならない」


 私は辛うじて、それだけを絞り出すように言葉にした。

 ユーゴ様は、もっともだと言いたげに首を縦に振る。


「もちろん、普通ならそうだろうな」

「だったら、なぜ……?」

「俺にはどうしても知りたいことがあるんだよ」

「知りたいこと?」


 頷きながら、何となく遠い目をするユーゴ様。

 私には「彼が知りたいこと」が、何となく想像がついた。


「しかし、イルエス家の者以外には決して……」

「ああ。でもさ、結局それを判断するのは御屋形様だろ?」

「それは……そうだが」

「それにお前、忘れてるだろ?」

「? 何をだ?」

「俺だって……イルエス家の者・・・・・・・なんだぜ」

「あ……」

「そりゃ、血こそ繋がっちゃいないけどさ」


 そこで私は、答え・・を得たような気がした。

 御屋形様がなぜ、ユーゴ様を養子デイトリスとなさったのか。


    ◇


 ――翌日、私は自分の直感タラッドが正しかったことを知ることになる。

 そしてそれこそが……悲劇ハルムレイカーの始まりだったのだと。

 

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