第三章 第92話 アウレリィナの記憶 ―2―

 突然現れた少年アルノァスは机に突っ伏した状態のまま、しばらく目を覚まさなかった。


 ――その少年こそが本田ほんだ優吾ゆうご――のちのユーゴ・フォンダン゠イルエスであり、これが彼と私との最初の出会いだった。


    ◇


 当時のイルエス家当主である、グリムロータス様ノスト・グリムロータス――御屋形様ノスト・ユーレジアは、言った。


 ――少年が現れることは、既にていた……と。


 だからこそ御屋形様は、あのような時間帯にグリンデア様と私を執務室に呼んだのだと理解した。

 グリンデア様の驚きようからして、私と同じようにこの場で起きることを知らされてはいなかったようだ。


 ……それにしても、目を覚ました時のユーゴ様の狼狽ろうばいぶりは、相当なものだったとあとから聞いた。

 と言うのも彼が執務室に現れてから、早々そうそう使用人パーラブたちによって別の部屋ロマへと運ばれて行ってしまったのだ。


 ともあれ、私たちにとって全くの謎に包まれた少年との生活が始まった。

 それと……最初から私は彼のことを、敬称トゥルアをつけて呼んでいたわけではない。

 だからその時までは、呼んでいたように思い出すことにする。


    ◇


 今考えれば当然のことだったのだが、ユウゴとの意思疎通エピコローアは困難を極めた。

 何しろ彼とはまったく言葉ヴェルディスが通じなかったし、そのような事態は欠片ブルッツほども想定していなかったからだ。


 幸いだったのは、ユウゴに魔法ギーム素養フォーノがあったことだった。

 いや――だからこそ転移メルタースすることになったと言えるので、彼にとっては不幸ヌフェリア以外の何物でもなかったのだが。


 ともかく、最初の悪夢マルソムニスのような三日ほどを越えて、ようやくユウゴは落ち着きを見せるようになった。

 それまでは暴れることこそなかったが、極度の混乱状態におちいり、一切の会話サンタルは拒否、出した食事ミルにも手を付けることなく、ただひたすら部屋にこもっていたのだ。

 それも無理からぬことだと、今は理解できるし、ラヴァーボ(かわや=トイレ)がらみのしくじりフィアスコについては、出来れば忘却オーブリットして差し上げたいとは思っている。


 そうしてお互いに数々の困難エリオレイクを乗り越え、ようやく分かったのは――


 まず、彼のゼーナ本田ほんだ優吾ゆうご――ユウゴ・ホンダであること。

 年齢が十一歳イシス・イェービー――つまり私と同い年であること。

 日本ニホンというエルマルカであること。

 母親マードレと二人で暮らしていたこと。

 夜遅くに勉強メレートしていたところ、いつのまにか眠っており、気が付いたら見知らぬ場所にいたこと。

 父親ダードレにまったく触れなかったのでこちらから尋ねてみたが、口を閉ざして一切答えようとしなかったこと。


 そして彼には、御屋形様によって今回起きた現象メノリスについて説明アザルファがなされた。

 御屋形様自身も、正確な原因オルゾークは把握していないらしかったが、過去に同様の出来事があったらしい。


 それは五百年前にゴウィスヤニュエスデュエラ、前回のすれ違いエルカレンガがあった時のことだそう。

 当時のことは記録コルディウムに残っていて、すれ違いエルカレンガの際には、ひときわ魔力ギムカの高い人間が「呼ばれる」ことがあると言う可能性エヴレコス示唆しさされていたのだと言う。


 今の私は学んで知っているが、五百年前と言えば星暦アスタリア一万二千年ころ。

 現在のエレディール王家ル・ロアが、ちょうど大陸モルテロスを統一した辺りではなかったか。

 そして当時のすれ違いエルカレンガによって古代西部帝国後期グゼルニア消失ヴァン滅亡スクリオスしたことを受けて、エレディールの西部地域が禁足地テーロス・プロビラスに指定されたのも同時期だったということだ。


 つまり、その頃に我がヴァルクス家イル・ヴァルクスアンフォルードが誕生したということになる。

 五百年と言えば決して短い時間ではないはずなのだが、この世界アリウス歴史ファーデリアを考えると、それほど長くもないように思えてしまうのが不思議だ。


 ――まあヴァルクス家の歴史についてはともかく、不幸にも転移させられてしまったユウゴ少年は、イルエス家で生活することになった。


 徐々に打ち解けてきたとは言え、最初のころはふさぎ込む様子を見せることが多かった彼も、一年もつ頃には表向きはすっかりこちらでの生活に慣れたように見えた。

 それでもユウゴは、残してきた母親のことを始終しじゅう案じていた。

 同じように親元を離れている私は、そんな彼の思いを理解ヴィデーラ共感コンサイトしていたつもりだったが、彼の母親への思いはひときわ深いように思われた。


 グリンデア様が家督ブレストロぎ、新しいイルエス家の当主となった頃には、ユウゴの会話能力は格段に上昇していた。

 礼儀クルタイスとしてはあまり好ましいものではないのを承知で、最初は精神感応ギオリアラに頼っていた相互理解も、口頭での会話ですっかり用が足りるようになった。


 同時に、私も彼の母国の言葉イルヴェルディスである「日本語ニホンゴ」の習得に励んでいた。

 正直なところ、私はその必要性をあまり感じていなかったのだが、どういうわけか前当主であるグリムロータス様に強くすすめられたのだ。

 幸い、教材セルカストルメンとしてはユウゴと共に転移してきたクリーヴの上に置かれていたいくつもの書物の中に、辞書ジショと言う言葉の説明に特化したものがあった。


 私とユウゴは、必然的に共にいることが多くなった。

 お互いの言葉を学びながら、話はその背景フォノプロアとなる社会トブラム人々ヴィルススの話に広がっていく。

 聞けば彼のいた日本ニホンでは、魔法ギームという概念ハグタークがないそうだ。

 物語ラコントの中では頻繁ひんぱんに登場するものの、それを実際に行使できる人間は皆無――つまりあくまで想像上の産物であるとのこと。

 その代わりにと言うのだろうか、ユウゴのいた世界では科学カガクというものがとても発達していて、我々が魔法ギームを以って実現している以上の文明メルディエータを築いていると言うのだ。


 私は、あこがれた。

 彼の話す、日本という国に。


 リーオなくして走る自動車ジドウシャ

 何百人という人を乗せてセレスタを飛ぶ、飛行機ヒコウキ

 ゲーゼあいだレーフに満ちあふれた、領都ベルツェロアよりも遥かに大きいと言う都市グラード


 ユウゴによれば、彼の母国イルエルである日本だけで、人口ロガンタル一億イグファグを超えていると言う。

 このような大きなヌメロは、概念だけで通常使うことはないと言うのに、彼の世界ソリス全ての人口は、その八十倍ビシディア・アーディ近いなどと……とてもではないが想像が追いつかない。 


 いつか、足を踏み入れてみたい。

 この目で確かめてみたい。


 そんな思いは、私の日本語の会話能力を飛躍的に進歩させた。

 まあ漢字カンジとやら言う複雑な文字ブレフの習得だけは、今も苦手意識が強いが。


 そして、ユウゴの魔法ギームを操る力も目に見えて上達していった。

 私の技量ロジカルトなど、遥かに超えるほどに。


 元々王の錫杖トリスカロア呼ばれる・・・・ほどの魔力ギムカ――魔素認識力ギオ・グニティカ魔素支配力ギオ・フィラリオカ――を有しているのだから当然の結果とも言えるが……そこでせないのは、そんな素質のある彼がいる世界に、どういうわけか魔法が存在しないという事実だ。


 しかし、例え何らかの仮説ポテシアを思いついたとしても、その疑問フラジオンが氷解することは恐らくないだろう。

 少なくとも実際に、かの世界におもむかぬうちは。


 そうして年月は過ぎ、家督相続と同時にご結婚モニアムされたグリンデア様とアルベローヌ家のご令嬢アルナレーア――ルドミラヴィカ様とのあいだ第一子ジリス・イシガであるグラナバルニア様がお生まれになり、第二子ジリス・ウスガであるジュネヴィーラ様がお生まれになって更に数年。


 その頃には、私とユウゴは、何十年来の友人アプリアのようにお互いを感じていた。

 ただしそこに、いわゆる恋愛感情モシオス・アミーリアのようなものはないと思う。

 どうしても何かの言葉に当てはめるのなら、やはり「親友アプリア・メレ」が最も近いだろう。


 表向きはすっかりこの地に馴染み、イルエス家の縁者のような扱いにも慣れたように振る舞ってはいるが、時折見せる陰のようなものを見るたび、私は何とかしてやりたいという気持ちに駆られていた。

 しかしそれは、恐らく消えないままの望郷の思い、母親への思慕の念ゆえのもの。

 つまるところ、根本的にはどうしようもないものなのだ。


 私はどうにもそれが歯がゆかった。


 そしてある日、グリンデア様――御屋形様は驚くべき決定をされたのだ。

 それは――――――――

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る