第三章 第91話 アウレリィナの記憶 ―1―

 私は、初めから反対していたのだ。

 あまりに危険すぎる、と。


 人の身で、そんな魔法ギームを行使したためしなど、私は聞いたこともない。

 いくら三つの神器レジ・アウラの一つ、王の錫杖トリスカロアの力を借りたとしても。

 仮に成功したとて、無事で済む保証ピグナスもないのだ。


 しかし、ユーゴ様は聞き入れてくださらない。

 もちろんそのお気持ちフェクタムも、十分じゅうぶん理解できる。

 何しろ、王の錫杖トリスカロアが持つルカ――遠見ウリティク(とおみ)の力で見てしまった・・・・・・のだから。


 ――母君ははぎみの、モーザを。


    ※※※


 その人は突然、現れた。


 何もない虚空こくうから、突然に。


    ◇


 私の名は、アウレリィナ・アルヴェール・ヴァルクス。


 父は、エメルシル・ベリア・ヴァルクス。

 エレディール北西部の中核都市オーゼリアにきょを構える、第三位階ランゴ・セスガ博爵アズルートゥス(はくしゃく)の貴族ドーラである。


 オーゼリアは、ここら一帯の大領主であるオーナベイト博爵アズルートゥス・オーナベイト領都ゼーレグラードでもある。

 オーゼに面していることと、内陸部ニルテーロスとはグラーシュ川アバ・グラーシュという大河パルマ・アパつながっていることから、西方における貿易コメール物流ロクシカ観光リズモアヴェーゼンの一つとなっている。

 そのハドの中に住まう我が家はしかし、屋敷ユーレジアとその敷地以外に領地グロスを持たない。


 ヴァルクス家は、少々特別なイルだ。

 そのことは、幼いころから徹底的に教え込まれる。

 一般的な貴族オルコドーラがどんなものなのか知らなかったので、そのことを実感するのは大分だいぶあとになってからのことではあったが。


 我が家の使命ゲンデスは、俟伯爵ヴァジュラミーネ(じはくしゃく)イルエス家を支えることである。

 貴族でなくても、自分の家がより富み、身代しんだいが大きくなっていくことを望むのは自然なことだろうが、ヴァルクス家の場合それを望まないとは言わないまでも、二の次であることは疑いのない事実イザヌ・エレだ。


 しかし、その支えるべき主家しゅかたるイルエス家は、大陸中央にある王領グロス・ロアの北東部に「王の騎士領ヴァシャルド・ノヴォロア」として広がっているし、我が家と同様の使命を負ったもう一つの貴族、アルベローヌ家イル・アルベローヌはその「王の騎士領」の領内にあるのだ。


 何故なにゆえヴァルクス家だけがそこから遥か遠い、いわば西の辺境とも言うべき土地に配置されているのか――それはひとえに、禁足地テーロス・プロビラスの存在ゆえである。


 我が家は……禁足地を代々見守る貴族なのだ。


    ◇


 今から十年ディアヤーニュと少し前。

 そんな家に生まれた私は十歳ディア・イェービーの頃、イルエス家に預けられることになった。

 主家しゅかであるの家にまつわる全てのことを学び、感じ取るためだ。

 従者エルファとして、それまでずっと付き従ってくれていたマルグレーテも一緒だった。


 私のブラトルードレであるイェレミアスも同様に、二年ほどイルエス家で過ごしており、ちょうど私と入れ違いになるようにヴァルクス家へ戻った。


 当時、イルエス家のあるじは前当主であるグリムロータス様ノスト・グリムロータス

 彼の息子ファロスであり、次期当主のグリンデア様ノスト・グリンデア十九歳ナリス・イェービーだった。

 オーゼリアからネイヴィスに乗り、領都ベルツェロアに到着した日から、私はグリムロータス様――御屋形様ノスト・ユーレジアの指導のもと、時にはグリンデア様も加わりながら、イルエス家について様々なことを学んでいった。


 イルエス家の驚くべき出自、それからの長い長い歴史、担っている役目。

 そして――――


 ――三つの神器レジ・アウラの一つ、王の錫杖トリスカロアのことを。


    ◇


 それ・・が起きたのは、私がイルエスの家に住まい始めて半年ほどが過ぎたころ。

 その時私は、初めて「王の錫杖トリスカロア」についてご教示いただくために、グリンデア様と共に御屋形様グリムロータスさまの執務室にいた。

 時刻は何と、九時鐘くじしょうのカルマール(午後十一時半)を少し過ぎたころだった。

 通常ならば、時鐘ユニカの鳴らぬ深夜ゲーゼ・マルフル

 このような時間帯に呼ばれた理由は分からなかったが、きっと何か理由カラーナがあるのだろうと思い、足を運んだ。


 三つの神器レジ・アウラのことは、誰もが知るはなし程度は耳にしていた。


 三つの神器レジ・アウラとは、

 遠見ウリティク(とおみ)の力を持つ「王の錫杖トリスカロア」。

 輸りアンヴォリク(おくり)の力を持つ「流月フラグゼルナ」。

 遷しデプレーク(うつし)の力を持つ「花冠ネッカーリント」。

 

 いわく、それらは我々の遠い祖先が創世神アノニィナからたまわったものである。

 曰く、それらを三つ全て揃え、備えたものは「大いなる力ルカ・アルファール」を手にすることが出来る――と言うくらいの話は。


 御屋形様は、少し大ぶりの執務机クリーヴ・ビューラスの背後のムロスから、あるものを無造作に外し、机の上にごろりと置いた。


 それは一見いっけんガラス製の棒グロッド・ヴィートロにしか見えなかった。

 深い深い濃紫こむらさき色をした、三十セシディアディメルス(三十センチ)ほどの長さで、直径シュレドタスゴウディメルス(センチ)ほどの、ただの棒。

 これが、神器トルメニィナとまで呼ばれるもの……?

 あまりの地味なノフタ見た目ケストルに私はただ、目をしばたたかせるだけだった。


「これが『王の錫杖トリスカロア』だよ、エリィナ」

「これが……でしょうか?」

「ああ」


 御屋形様は、私の反応リアゴスを面白がるような調子で言った。


正真正銘の、なアクタラクティ


    ◇


 そしてそのまま、私は王の錫杖トリスカロアについての説明アザルファを受けた。

 グリンデア様はもちろんご存知のはずだが、まるで初めて目にしたかのようにアルノーを輝かせながら、御屋形様の話に耳を傾けていた。


「御屋形様、ひとつお伺いしてもよろしいでしょうか」

「何だい? エリィナ」

遠見ウリティクの力と仰いましたが、具体的には何を見ることが出来るのですか?」

いい質問オーナフラジオンだ。その答えエランドは――――――『何でもイオ・アイン』だ」


    ◇


「『遠見の書リブロノヴォ・ウリティク』、ですか」

「そうだ」


 御屋形様はある一冊のリブロを手にしながら、答えた。

 それは多少古ぼけてはいるが、装丁ロテスリア(そうてい)のしっかりした、しかしそれほど厚みの感じられないものだった。


「ただし、これは厳密には写本ラコピスだ。私が作ったものだがね」

「写本……」

「グリンデアよ」

「はい」

「お前も来年セクヴァヤーニュ予定ホラロア通りに家督ブレストロを継いだなら、まず最初に行うのがこの『遠見の書』の写本だ」

「分かっております、父上ダードレ

「エリィナよ」

「はい」


 御屋形様は、今度は私の方に向き直って私の名を呼んだ。

 重々しい声だった。


「この『遠見の書』にはな、未来エトルチカの出来事が書かれているのだ」

「未来の……まさか、予言書プロフェティコアということでしょうか」

「そうだな。我がイルエス家の当主は、家督かとくを継承する際に王の錫杖トリスカロアも受け継ぎ、それを使って未来をる。そして、前当主が書いた写本の記述を追いながら、変化があれば書き直し、新たな出来事がえたのなら追加していくのだ」

「な、何と……」


 私は言葉を失った。

 イルエス家が数ある貴族ドーラの中でも、ひときわ特別な存在エートレ・プラティエリィであることは知っていたつもりだが、まさか予言者の一族であったなどとは思いもしなかった。

 それに、そのようなことをにわかに信じられるわけがない。


 そんな私の心中しんちゅう表情イレームに出ていたのだろうか。

 御屋形様は、軽く口のはしを上げながら、これまた思いもしないことをグリンデア様と私に告げたのだ。


「さあ、二人ともクリーヴから少し離れていなさい」


 そう言ってご自身も五歩ほど下がると、そのまま目をつぶった。

 訳も分からず、それでも素直に言葉に従って、グリンデア様も私も同じように机から同じだけの距離を取った。


 そのまま三十秒プセ・ナディスほどったころ、御屋形様がつぶやいた。


「今、だ」

「え……?」

「たった今、『すれ違いエルカレンガ』が起きた……」

「…………は?」


 まさか、あの「すれ違い」が、今?

 思わず私は、御屋形様のお顔を見た。

 しかし御屋形様は瞳を閉じたまま、執務机を指さす。


 すると――!


 机のある空間プラスィスが突如、名状しがたい変化を始めた。

 その中心に小さな光が現れたかと思うと、それはまたたく間に膨張し、大きなまばゆい光体となった。

 思わず私は、目をつぶりそうになる。

 しかし何が起きているのかをどうしてもこの目で確かめたい、その一心で手をかざし、指のあいだわずかな隙間すきまから光を凝視し続けた。


 十秒ディアセグト程経つと、あの少し大ぶりの執務机は跡形もなく消え去り、代わりにもう少し小さな机と椅子ストリカ、そしてそこに座ったまま机に突っ伏して眠る少年アルノァスが現れたのである。


 ――そう、その人は突然、現れたのだ。


 何もない虚空こくうから、突然に。

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