第三章 第86話 懺悔(ざんげ)

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 20XX年 4月22日(星暦12511年 始まりの節)


 文字が、震えて上手く書けない。

 それでもこうして何かしていないと、今にも心の均衡を崩してしまいそうになっている自分がいることが分かる。


 今日、私は自分の愚行がもたらした残酷な結果を、の当たりにすることになった。

 文字としてしるすのも怖ろしく、おぞましい。

 しかし、書かなければならない。


 天方君が、あのような姿になってしまったのは――間違いなく私のせいだ。


 もしあの子が受けた痛みや苦しみが、同じように我が娘に降りかかったとしたら――少しでもそう考えただけで、心臓が止まりそうになるほどの拒絶感が、あっと言う間に漆黒の染みになって私の心を塗りつぶす。


 そんなことがあれば、娘をそのよう目に遭わせた者を私は決して許しはしない。

 それはつまり、同じように天方君のご両親も私を許すはずがないということ。

 そのようなおこないを、私はしてしまったのだ。


 もちろん、私が敢えて伝えなければ、そうとは気づかれないだろう。

 だが、他ならぬ私自身が、私の行為を知っている。

 忘却……そんなこと到底出来ない。

 天方君の凄惨せいさんな姿は、私の魂に深く刻み込まれてしまった。


 愚かにも私は、娘に会いたいばかりに、会えなくなる選択をしたのだ。

 最早もはや……どんな顔をして娘に、夫に会えばいいのか分からない。

 いや、もう顔を合わせる資格などないように思う。

 もう心の底から微笑ほほえむことが、出来ない。

 どれほど後悔しても、時は戻らない。


 私は……私は……どうすればいい?

 あまりの自己中心性に、あまりの罪業ざいごうの深さに、消えてしまいたい……。

 贖宥しょくゆうなど望むべくもない。

 私はこの大罪たいざいを、生涯背負っていくべき。

 そして、償いの日々を送っていかなければならないのだ。


 ――ごめんなさい、天方君。

 神代君、早見さん、黒瀬さん、瓜生さん……。

 ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……。

 ごめんなさい――――

 ――――――――――――――――――――


    ※※※


 そこはまさに、地獄のような光景だった。


 意識を失ったまま、グラウンドに転がる黒瀬くろせ真白ましろ瓜生うりゅう蓮司れんじ

 二人に取りすがりながら、持ち出してきた救急箱を使って何とか応急処置をしようと試みる早見はやみ澪羽みはね

 しかし、彼女の努力の甲斐かいなく、真白と蓮司はぴくりとも動かない。


 そして――一方的になぶられるだけの、天方あまかた聖斗せいと

 攻めるヴァーングルドは余裕綽々しゃくしゃく、わざとすきを作っては聖斗の反撃を誘い、軽々とかわしつつ顔面に、胴体に、四肢に強烈な打撃を加えていた。


「おらおらー!」

「ぐっ……」

「どしたどしたー!」

「げはっ!」


 しかし、どれだけ打ちのめされても聖斗の闘志は衰えない。

 何度グラウンドに這いつくばり、どれほど土を舐めようが、うめき声を漏らしつつも立ち上がることをめないでいる。

 少なくとも自分が攻撃を受けているあいだは、後方の三人――真白と蓮司と澪羽――に手は出ないと、彼は考えているのだ。

 そして、それがただの時間稼ぎに過ぎないことも、その果てに決して希望が待つわけではないことすらも、理解しているのだった。


 そんな聖斗の意図を知るや知らずや、ヴァーングルドは決して致命的な一撃を放つことはなく、獅子しし前肢まえあし仔鼠こねずみを転がすような攻撃を続けているのだ。

 既に聖斗の左目は腫れてふさがり、口の周りはおのれの血で真っ赤になっている。


「立てよー、せーと・・・。こんなもんかー? てめーの力はよー!」

「……」


 一方、神代かみしろ朝陽あさひだが、セラピアーラの猛攻を何とかさばいてはいるものの、守勢をくつがえすことは出来ないでいた。

 彼は彼で、目の前の相手に集中しなければならないことを理解しつつも、隣りでいたぶられている聖斗のことも、後ろの三人のことも気にせずにはいられないのだ。


 それにしても、セラピアーラの攻撃は異常だった。

 英才教育を受けている朝陽の目には、むしろあまり洗練されていない、付け焼刃のような印象さえ受けるほどに動きが甘いように映るのだ。

 なのに、避けることが出来ない。

 いつのまにか眼前に、拳が、手刀が、蹴撃しゅうげきが迫っている。

 彼女の攻撃は、朝陽の理解の埒外らちがいにあった。


(多分、魔法ギームなんだろうな……)


 心の中で、そう考える朝陽。

 もっと時間があったら、彼も自分の得てきたものに魔法ギームを加えると言う試みが出来たはずだった。

 しかしそれもかなわぬまま、こうして絶体絶命の状況に追い込まれている。

 聖斗に言われるまでその可能性に気付かなかった、自分の頭の固さに後悔しても今さら遅いのだった。


「……」

「うぐっ!」

「……」

「つっ……」


 セラピアーラの無言の攻撃は、相変わらず息もつかせぬ勢いで怒涛のごとく続く。

 しかしここに来てようやく、彼女のテンポのようなものを朝陽は朧気おぼろげながらも掴み始めていた。

 そして、セラピアーラが左側から放ったむちのようなフックを紙一重でかわすと、カウンター気味に彼女の廉泉れんせんのどの急所)に向けて素早く手を伸ばした。

 離れて戦っていてはとても敵わないと判断し、そのまま頭を抱え込んで締め落とそうと考えたのである。


 ところが――――


「えっ!?」


 セラピアーラの顔を見て、朝陽は驚愕した。


 彼女は……セラピアーラは、涙を流していたのである。

 貼り付けたように無表情なセラピアーラの頬を、涙が幾筋もつたっていたのだ。


 一瞬、朝陽の動きが止まる。

 そしてそのごくわずかな須臾しゅゆに、朝陽の水月すいげつ鳩尾みぞおち)にセラピアーラの膝が恐ろしい速さでまともにめり込んだ。


「ごぶぅうっ!」


 たまらず崩れ落ちる朝陽。

 そんなうつむいた彼の顔面をセラピアーラは間髪かんぱつ入れずに蹴り上げると、仰向あおむけに気を付け・・・・をしているような状態になった朝陽に、蹴り上げた足をそのまま蹴り下ろし、鼻血の噴き出た顔面にネリョチャギ(かかと落とし)を叩き込んだ。


 彼の体重からはあり得ない程の重量感のある響きと砂煙を立てて、朝陽はとうとう地に伏した。

 セラピアーラは最後のとどめを刺そうと、動かない朝陽に近付いていく。


「おっ、あっちは片付いたみてーだなー。おいせーと・・・、こっちも終わりにすっか!」


 満身創痍まんしんそういになりながら、なおも立ち上がろうとする聖斗に、ヴァーングルドは再び絶望を宣言した。

 しかし聖斗の両脚はダメージの蓄積によってがくがくと震え、片膝をついたままそれ以上動くことさえままならない。

 ヴァーングルドは当然のことながらそんなことにはお構いなく、とどめの一撃を聖斗の頸椎けいついに加えるべく、何と二メートルほども飛び上がった。


 ――その時!


「やめて――――――――――――っ!!」


 少女の叫び声が、グラウンド中に響き渡った!

 声のぬしは、澪羽だった。

 彼女は滂沱ぼうだの涙を流しながらも柳眉りゅうびを逆立て、ヴァーングルドとセラピアーラをにらみつけていた。


「ぐっ!?」

「!」


 その瞬間、ヴァーングルドとセラピアーラの身体は、全身を透明な縄で縛り上げられたかのように身動きが取れなくなった。

 空中を飛んでいたヴァーングルドは、その姿勢のままメシャリと地に叩きつけられ、無様な姿をさらす。


「ぶおっ!!」

「……」


 セラピアーラは無表情のまま、何とか身体を動かそうとしている。


 驚くべき現象を引き起こした澪羽はしかし、急に虚ろな目をしたかと思うと、ふらふらと立ち上がった。

 その瞬間、ヴァーングルドたちにかかっていたいましめは解けてしまった。


「ぐ、ぐぐっ……何だ……一体何が起こりやがった……?」


 ヴァーングルドは頭を振りながら、よろよろと立ち上がる。

 すぐに、今しがた彼を縛った声のぬしを探す。

 そして……澪羽の姿を認めると、それまでとはまったく違う、獣じみた獰猛どうもうな表情を浮かべて叫んだ。


「てめーかー! このクソアマガヴァムールがー!!」


 血がにじみそうなほどに固く拳を握り締めると、ヴァーングルドは猛烈な勢いで澪羽に突進した。

 これまで聖斗を相手にしていた時とはまったく違う、まさに鬼のような形相。

 一方の澪羽は、何が起きているのかまるで分かっていないかのように、ふらふらと無防備なまま立ち尽くすだけ。

 ヴァーングルドの拳がわずかに光を帯び始めた。

 そして、物凄い勢いで彼女の顔面に吸い込まれるように――――












 ――――ぐしゃり。













 彼のこぶしは、天方聖斗の胸を打ち抜いていた。

 文字通り、打ち抜いていた。


 聖斗の皮膚を破り、胸骨柄きょうこつへいを砕き、ヴァーングルドの拳は聖斗の体内にめり込んでいた。


 驚いた顔で彼が拳を引き抜くと、ぽっかりといた穴から血液があふれ始める。


「へっ……や、やらせる、かよ……」


 薄く笑みを浮かべて、聖斗は今度こそくずおれ、動かなくなった。

 澪羽は、自分をかばって彼が飛び込んできたことを認識すると、一瞬だけ目の焦点が合い、驚愕の表情を浮かべたあとに自身も気を失ってしまった。


「ちっ、俺としたことが……やっちまったぜ」


 急に冷静さを取り戻したヴァーングルドは、刀の血振ちぶりをするように拳を振ったが、血に染まったそれは真っ赤なまま。

 ここで、それまでずっと黙ったまま戦いの様子を眺めていたエーヴァウートが、ようやく口をひらいた。


馬車カーロが来た。積み込め」


 見ると長屋の建設現場の方から、一台の馬車がこちらに向かっていた。


「なあ隊長スキピル、このせーと・・・はどーする?」

「捨て置け。もう役に立たん」

「まーそうか。俺、よりによって胸腺タロスのとこ、やっちまったもんねー」


 そうして、黒瀬真白と瓜生蓮司、神代朝陽と早見澪羽の四人は気を失ったまま、レアリウスの馬車に積み込まれ、運ばれていった。


 グラウンドにはただひとつ、天方聖斗の身体だけが残された。

 そしてこの時になってようやく、他の者たちが児童昇降口から出てきたのだった。


    ※※※


 そして聖斗もまた、到着した聖会イルヘレーラのシクラリッサたちによって拠点へと急ぎ運ばれていった。

 上野原うえのはられい御門みかど芽衣めいと共に。

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