第三章 第82話 風

 ……呼吸が、出来ない。

 いや、それより、も……けい動脈が圧迫されて。

 気のせいか、顔、が、浮腫むくんでい、くような。

 この、ままだ、と……


 ……和馬かずまく、ん……

 ……おと、さ――――
































 ――風が、吹いた、気がした。
































 同時に、私ののどに絡みついていたいましめが、何故なぜゆるむ。

 私は最後の力を振り絞って身をよじると、男のてのひらは勝手に離れていった。

 そして私の意識も、そこで途切れた。


    ◇


「誰だ」


 天幕てんまくの扉はけ放たれ、そこには影が二つ。

 壬生みぶ魁人かいと誰何すいかの声には答えず、二つの影は風のように飛び込んできた。

 一つは真正面から、もう一つは天幕の壁に沿って回り込むように。


 咄嗟とっさに立ち上がろうとする魁人に、正面から向かってきた影は身体を大きく回転させながら跳ね上がり、空中から鋭い回し蹴りを放った。

 もし椎奈しいなあおいがこれを見ていたら、「540°キック!」と叫んだであろう、いわゆる空中回転回し蹴りである。


 魁人の耳を上からぎ落しそうな勢いで落ちてきた蹴撃しゅうげきを、彼は辛うじて左腕を上げて直撃を防いだが、体勢は大きく崩されてしまう。

 魁人に向かって後ろ向きに着地した小さい影は、振り返る力を利用して再度突進し、無造作に伸ばされた魁人の右腕を両のこぶしでカチあげた。

 そのまま右ひじを折りたたみ、勢いのままにその肘の先(頂肘ちょうちゅう)を魁人の腹部にぶち込む!


「ぐふぁっ!」


 魁人は文字通り吹き飛ばされて、天幕の壁に背中から激突した。

 見る人が見れば、その技が八極拳はっきょくけんの「裡門頂肘りもんちょうちゅう」と分かる。


黒瀬くろせ先生は? 聖斗せいと


 壁にもたれかかりながら、がっくりと頭を落として座る形になっている魁人から目を離さず、構えもかない残心ざんしん状態のまま、神代かみしろ朝陽あさひが親友に鋭く尋ねる。


「気を失ってるみたいだけど、大丈夫みたいだ――いや、大丈夫じゃねえなこれは。ほっぺたが真っ赤だし、鼻血まで出てる。ひでえぜ」

「他に、怪我は?」

「パッと見ではなさそうだけど……腹パンとかされてても不思議じゃねえ。ホントに先生なのか? そいつ・・・は」


 黒瀬真白ましろに寄り添う天方あまかた聖斗の顔は、激しい怒りにゆがんでいる。


「ぶっ殺してやりてえ」

「僕もおんなじ気持ちだけど、まずは黒瀬先生を運ばなきゃ」

「お、そうだな。 ……よいしょっと――」

「――口のき方に、うぐっ……気を付けるんだ、天方君」

「!」

「……」


 魁人が腹を右手で押さえながら、ゆらりと立ち上がった。

 足元はやや覚束おぼつかないが、その目はギラギラと光っている。


「先生を、うやまわないでどうする」

「へっ」


 聖斗はこれ見よがしに、右の耳の穴をほじってみせた。


「敬ってほしいんだったら、敬われるだけの態度を見せてくれねえとな。あんた・・・にそんなこと言われると、耳がかゆくてしょーがねーよ、壬生せんせー・・・・・・

「言うことを聞かない子どもは、おしおきだな」

「動かないでください、壬生先生」


 静かな、しかし断乎だんことした口調で朝陽が魁人を制した。

 少しでも魁人が動きを見せれば、すぐにでも飛び掛かれるだけのエネルギーを、朝陽は足下あしもとめていた。


「神代君……なかなかやるじゃあないか。つい油断してしまったよ」

「僕たちはこのまま黒瀬先生を連れていきます。いいですね?」

「あぁ?」


 魁人は唇をゆがめて吐き捨てた。


「いいわけないだろうが」

「それじゃあしばらく寝ててもらいます」

「どうやった?」

「え?」

「どうしてここが分かった?」

「……さあ」


 朝陽は構えたまま、少しだけ首をかしげて言った。


「声が聞こえただけですけど」

「そんなはずはない。あの女は大声を出していない。おまけにここは校舎から離れてるし、天窓があるとは言えほぼ密室だ。職員室まで声が届くわけがないだろうが」

「それならきっと魔法ギームでしょう」


 さらりと、朝陽は返した。

 目をく魁人。


「ギーム、だと?」

「正確には、声じゃないです。黒瀬先生の感じた物凄い恐怖が、僕のここ・・に突き刺さってきました」

「くそ……」


 自分の胸を指さしながら答える朝陽を、魁人は忌々いまいまにらんだ。


「まったく厄介な代物しろものだな、ギームってやつは」

「おかげで黒瀬先生を助けられそうです」

「まったくもって気に食わない」


 吐き捨てるように魁人が言う。


「ギームそのものも、それを使う奴らも、ことごとく気に食わない」

「……」

「だからつぶす。悪く思うなよ? 俺は子どもでも容赦しない」

「でしょうね。でも、あなたは僕に勝てません」


 あくまで冷静な朝陽の物言いに、魁人の全身に我を失いそうなほどの怒りが充満していく。

 その様子を見て、朝陽は聖斗に声をかける。


「聖斗、黒瀬先生を」

「分かった。でも、大丈夫か?」

「心配しないで。僕もすぐ手伝うから」

「させるか」


 魁人が聖斗たちに向かって飛び掛かった。

 それを読んでいた朝陽は姿勢を素早く低くすると、左足を軸にして右足で素早く魁人の左足を払おうとする。

 しかし、魁人の反応も早かった。

 小さく飛びのきながら素早く左足をあげて、朝陽の払いをかわす。


 ところが、朝陽はさらに右足を軸にして、今度は後ろ向きになって魁人の右足を払いに行った。

 瞬間的に右足一本になっていた魁人はもろに足を刈られ、うつ伏せに激しく倒れ込むことになってしまう。

 前掃腿ぜんそうたいから後掃腿こうそうたいへのコンビネーション。

 これは蟷螂拳とうろうけんの技である。


「うぐっ!」


 何とか受け身を取って、無様に叩きつけられることだけは回避した魁人だが、そのあいだに聖斗は意識のない真白の肩をかついで、天幕の入口へ向かって移動を始めていた。


「うぐぐ……黒瀬先生って結構ちっちゃいと思ったけど、案外おもてえんだけど」

「聖斗、あんまり重いとか言わない方がいいよ?」


 中腰で足を引きるようにしながらぼやく聖斗を、朝陽がたしなめる。

 魁人はよろよろと立ち上がると、聖斗と真白に再び猛然と襲いかかろうとするが、両者のあいだに朝陽は素早く身体を入れてそれを阻止した。


「どけっ!」

「……」


 構わず飛びかかってくる魁人のふところに、朝陽は敢えて風のようにもぐり込んだ。

 そのまま打ち上げるように、水月すいげつ鳩尾みぞおち)に掌底しょうていを叩き込み、身体をひねりながら変則的な上段裏回し蹴りを放った。

 本来なら間合いが近すぎるのだが、朝陽が狙ったのは魁人のあご

 二人の身長差があって初めて成立する攻撃であり、朝陽の虎趾こし(足指の付け根の関節部分)が顎をかすめ、魁人の脳を高速で揺らした。


 その瞬間、脳震盪しんとうを起こした魁人は、糸の切れた操り人形のようにカクン、ドシャリと地面に倒れ込む。

 そのまま動かないことを確かめた朝陽は、聖斗の元に駆け寄り、真白を二人で両側から支えつつ、天幕から抜け出した。


    ◇


「とりあえず保健室か? 朝陽」

「そうだね。途中でかがみ先生たちに見つからないといいんだけど」

「見つかったらそん時はそん時だな」


 真白を支えながら歩く聖斗と朝陽は、児童用昇降口を目指していた。


「だけど、どこ行ったんだ? 鏡先生たちは。職員室には英美里えみりさんしかいなかったよな?」

「分かんないけど……どうせろくでもないことたくらんでるんじゃないかと思うよ」

「だよな……それにしてもさ」


 聖斗は前を見ながら続けた。


「お前、つええな! あんな風に戦うの初めて見たけどさ、あの壬生先生が手も足も出なかったじゃんか」

「あの人、確かに何かの格闘技をやってるように思えるけど、そんなに強くないよ。背が高いから面倒だけど、あんな我武者羅がむしゃらに突っ込んでくるなんてあり得ない」

「そうなのか? 頭に血でものぼってたんじゃねえの?」

「そうかもね。もしあの人が冷静に入り口を背にして動かなかったら、かなりやりにくかったと思う。僕みたいにちっこくて素早いのを相手にする時には、スピードで対抗するのは悪手だからさ」

「へえ、そうなん――」


 聖斗と朝陽は、立ち止まった。


 彼らが向かっていた児童用昇降口にあと三十メートルというところで、まさにその昇降口から複数の人影が出てきた。


 一、二……全部で六人。

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