第三章 第81話 兇猛2

「一体どこに連れていくつもりなんですか?」

「……」


 私の問いかけに、後ろを歩く壬生みぶさんは答えようとしない。


 保健室を出ると、私は彼にうながされるまま歩いた。

 外に引っ張り出されるのかと思いきや、壬生さんは階段を昇るように指示する。

 二階にたどりつくと、左に向かうように言われた。

 右――つまり西の方には男部屋や女部屋、図書コーナーや音楽室があるのだが、そちらではなく左側。

 そちらはすっぱりと断ち切られている、いわば校舎の断面の方だった。


 かつての施設管理維持班のがんばりで、簡単な腰壁こしかべ手摺てすりが取り付けられていて、うっかり落ちてしまわないようになっている。

 上の方にはブルーシートが巻き上げられている。

 これは雨の時におろして、雨なんかが吹き込まないためのものだ。

 今は晴れているので、ベランダのように外を見ることが出来る。


 眼下がんかには長屋の建設現場と、そこで働いているザハドの人たち。

 その向こうには、遊牧民族のパオとかゲルとか呼ばれている円形の組立型テントのようなものが見える。

 以前、ザハドからお客さんたちが来た時に、同じようなものをグラウンドに設営していたように思う。

 確か天幕ジャールドって、八乙女さんが言ってた。


 そして――何やらあわただしく校舎に戻って来る様子の、実行班の姿。


「……声を出すなよ」


 低い声で壬生さんが言う。

 もとよりここで助けを呼ぶつもりなんて、ない。

 私は答える代わりに、無言を返す。


 それからしばらくして、私は再び歩くように指示された。

 一階にりる階段の前で「とまれ」。

 壬生さんは階下かいかの様子をうかがっているよう。


「……静かに下りるんだ。児童用昇降口から外に出る」


 彼は多分、誰かとすれ違うのを警戒していたんだと思う。

 人気ひとけが感じられなくなってから、壬生さんはそう言った。


 そうして私が連れられた先は――――さっき二階から見えた天幕だった。


    ◇


「きゃあっ!」


 天幕の中に入るや否や、壬生さんは私の腕を乱暴につかむと思いきり引き回した。

 中は思ったより広いので、私は遠心力で飛ばされ、壁にぶつかる前に足がもつれて倒れてしまった。


「ここは、この建設現場のいわば事務所だ」


 問わず語りに、壬生さんが説明を始める。

 天窓のお蔭で中は十分に明るいのに、彼の顔は妙に暗く、蒼ざめている。

 不吉な予感しか、しない。


「つまり学校の連中は誰もここには来ないってことさ。大声を出したところで、聞こえやしない」

「……私が大声を出すようなことを、するつもりなんですか?」

「それは、あんた次第だな」


 壬生さんは一歩踏み出し、私に近付く。

 反射的に、私は地べたに座ったまま、後退あとずった。

 彼はさらに近付くとその場にしゃがみ、私の顔を覗き込んで言った。


「最後にもう一度だけ言うぞ? 四通目の遺書を出すんだ」

「嫌で――」


 パァーン!!


 ……熱い。

 目の前で何か肌色のものがぶれたかと思った瞬間、私は左頬ひだりほほ火傷やけどしたような熱さを感じていた。

 あまりに突然のことで、私は自分がビンタされたと理解するのに数秒を要してしまった。


 思わず頬をおさえる私に、目の前の男は無表情のまま繰り返した。


「遺書を出せ」

「……」


 パァーン!!


 今度は右の頬を、思いっきり張られた。

 さっきよりも、込められた力が強く感じた。

 私は思わず倒れ込んでしまった。


 痛い。

 怖い……。


「どうせあれだろ? 保健室にしまっておけば勝手にあさられるから、肌身離さず持ってるってやつなんだろ?」


 ……。

 違う。

 もう自分の身すら安全じゃないって思ったから、とっくに別の場所・・・・に移してある。

 ボイスレコーダーと一緒に。


「おい、何笑ってんだ?」


 いっそう凄みを増した声が、目の前の男の口からゆっくりとすべり出てくる。

 いつの間にか私は笑っていたらしい。

 直後、私のあごが乱暴に掴まれた。


「余裕ぶっても無駄だ。怖いんだろう? まだまだこんなもんじゃないぞ? 何しろプランシーだからな」


 ……私は死ぬのだろうか。

 こんな男になぶられて。

 それにしても、これほど品性の下劣な人間が今まで教師づらして教壇に立ってただなんて……おぞましいにも程がある。

 プランCって何だろ。


「黙ってないで、何とか言えよ」


 容赦なく顎を揺らされて、目が回りそうになる。

 今私は、どんな表情をしてるんだろう。


「仕方ない。ひんくか」

「!」


 ナーシングエプロンの肩の部分に、目の前の男の手がかかった。


「いやっ!」


 私はその手を思いきり払って、這いずるように逃げ出そうとした。

 でも、Tシャツの背中の部分を掴まれて、引きずり倒されてしまった。


「あうっ!」

「抵抗しても無駄だって言っただろ? 誰も来ないんだ」


 ……本気だ。

 この男は、本気で手段を選ばないつもりだ。

 私はぎゅっとまぶたを閉じてしまった。

 目尻から自然に涙があふれ、熱くなった頬を流れていくのが分かった。


 パァーン!!


 そこに追い打ちをかけるように、再び左頬にビンタが炸裂した。

 仰向あおむけに倒れ込む私。

 何だか鼻が詰まったように感じる。

 多分、鼻血だろう。


 私の両腕が、目の前の男のひざで固定されてしまった。

 ナーシングエプロンのポケットを、男の手がまさぐり始める。


「ここじゃないか……」

「やめて!!」


 男の手がジャージのズボンのポケットに伸びようとしているのを、私は必死に身体をよじって逃れようとする。


「あ・ば・れ・る・な」

「ぐぅっ」


 私ののどに、男のてのひらが巻き付いた。

 少しずつその手に力が込められていくのを、私は感じた。

 初めて体験する苦痛に、私に出来るのはただ、じたばたと力なく両足を動かすことだけだった。

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