第三章 第80話 移動する

「何だと!?」


 それまで穏やかに、長屋ながやの建築現場を眺めていたかがみ龍之介りゅうのすけの表情は、久我くが英美里えみりの言葉で一瞬にしてけわしいものとなった。


 ――黒瀬くろせ真白ましろが、まだ日ものぼらぬうちから真っ暗な職員室で何か探し物をしていた。

 しかも、朝霧あさぎり校長の机のところで。


 昨晩の話し合いから、まだ大して時間はっていない。

 睡眠をはさんだとは言え、龍之介の頭脳はクリアだったし、話し合いの内容も当然記憶している。

 彼はかたくなな真白に対して、四通目の遺書を午後一番で提出するように、最後通牒つうちょうを突きつけて席を立った。

 素直に渡してくるだろうなどと楽観的に考えてはいないので、彼女が大人しく提出して来ればよし、そうでない場合のことも織り込んで手は打った・・・・・

 相手に爆弾を持たせたまま、無為むい無策むさく放逐ほうちくするわけがない。


 そこに来て、この英美里の報告である。

 龍之介は猛烈な速さで脳を回転させた。


 人気ひとけのない、職員室。

 校長の机。

 昨晩の、やり取り。


(――――!!)


 彼は当然のごとく、そこ・・にしまわれていたものに思い至った。

 龍之介は奥歯をきつく噛みしめながらも、わずかに口角こうかくを上げる。


(やりますな……朝霧さん)


壬生みぶさん」

「はい」

「プラン――――シーだ」


 龍之介の言葉に、魁人かいとは一瞬、わずかに顔を強張こわばらせた。

 しかし、すぐに答える。


「しょうがないですね、了解です」

「英美里さん」

「は、はい……」


 報告したあと、龍之介の表情に蒼い顔をして立ち竦んだままの英美里に、龍之介は声をかけた。

 魁人はその場を離れ、何処いずこかへと向かっていった。


みなを職員室に集めてください」

「皆……あ、あの、全員でしょうか?」

「ふむ……」


 龍之介はあごに手を当てて、少しだけ考えるそぶりを見せた。


一応・・緊急事態だ。全員のつもりでお願いする。食料物資班は元々職員室だし、実行班はその辺りにまだいるだろう。純一じゅんいちさんと秋月あきづきさんには私から声をかけよう。君はそれ以外を」

「わ、分かりました……」


 そう答えて駆け出そうとする英美里を、龍之介は呼び止めた。


「英美里さん」

「え?」

「少し待たせるかも知れんが、皆にはそのまま待機するよう伝えてくれ」

「……はい」


 今度こそ英美里は走り去っていった。

 その背中を見送りながら、龍之介は小さくつぶやいた。


「まあ……遅かれ早かれ、か」


    ◇


 私はいつものように、保健室の自席に座っていた。

 一緒に仕事をしている早見はやみさんは、さっきトイレに立った。

 だから今、この部屋には私一人だ。

 考えごとをするには、ちょうどいい。


(どうしたものかな……はあ)


 校長先生がのこしたボイスレコーダー。

 そこに記録されていた内容は、想像を絶する驚愕きょうがくの事実だった。


 私たちがこの世界に転移してきた理由。

 それを校長先生に教えたアウレリィナと言う女性。

 校長先生がずっと悩んでいた理由と、残された私たちに託した望み。


 正直、それら事実の持つ重さに、私は押しつぶされそうな思いだ。

 一緒に聞いた瓜生うりゅう先生も、きっと同じだろう。

 どうしたらいいのか――いい考えがまったく思い浮かんできてくれない。


「行動に移すには、まず『望む姿』を目的として定めなきゃいけない――か」


 ボイスレコーダーの中身を聞き終わって、瓜生先生はそう言った。

 それはその通りだ。

 でも今の私には、結局私たちがどういう姿になることがいいのか、具体的に思い描くことが出来ないのだ。


 私たちの目標は、もちろん言うまでもない。

 元の世界――日本に帰ること。

 それは最初から決まってたし、今でも変わっていない。

 私だって、帰りたい。

 そのためには確かに、鏡さんの強力なリーダーシップのもとで、彼の言う通りに行動するのが一番の早道なのだろう……現時点では。


(でも……)


 私はどうしても、素直にそれに従えない。

 校長先生の死の責任を八乙女さんにかぶせて、彼と瑠奈るなちゃんと山吹やまぶきさんをこの世界に置いたまま、私たちだけ帰るなんて……絶対に、無理。


 ただ、みんなが私と同じ思いだとも限らないのだ。

 何をおいても、日本に帰りたい――そう思っている人もいる、と鏡さんは言った。

 私がいちいち鏡さんに突っかかっていくことを、迷惑に感じているとも言われた。

 そう思っているのが誰か分からないけど、その人の気持ちも分からないでもない。


(だめだ……おんなじことばっかりぐるぐるとさっきから――)


 その時、突然保健室のドアがひらいた。

 思わずびくっとしてそちらを見ると、そこに立っていたのは――壬生さんだった。

 能面のような表情。

 私の脊髄を、恐怖が走った。


 壬生さんは何も言わず、静かにこちらに向かって歩いていくる。


「何ですか? また頭痛ですか?」


 私は虚勢を張って、少しきつめな口調で問い掛けた。

 しかし彼は、答えない。

 私は腰を浮かした。

 これは、マズいかも……。


黒瀬くろせさん」

「な、何ですか?」

「四通目の遺書を」

「え?」

「四通目の遺書を出すんだ」


 机のすぐ向こうに立った壬生さんが発したのは、その言葉だった。

 有無を言わせない圧を感じる。

 でも、私は言い返した。


「タイムリミットは、今日のお昼では? あなたも同意したはずですけど」

「状況が変わった」

「え?」

「もうここでくだらない問答をする気はない」

「え?」

「言葉は昨晩、尽くした。これ以上交わす意味はないんだよ」

「……」

「もう一度だけ言う。四通目の遺書を出せ」

「嫌です」


 その時、壬生さんの中で何かがふくれ上がるのを、私は感じた。

 いかり、ではない。

 それは――殺意。


 私は思わず立ち上がり、反射的に後退あとずさった。

 一瞬前にいた場所で、彼の右腕がくうを切る。

 座っていたオフィスチェアが、音を立てて横倒しになった。


 グラウンドに面したガラス戸を、急いで開けようとした――が、かない。

 鍵がかかったままだ。

 私の左肩が、がっしりとつかまれる。


「黒瀬さん」


 何かを抑え込んでいるような、くぐもった声に私は振り向いた。

 そこにあったのは、憤怒の表情――ではなく、相変わらず能面のように無表情な壬生さんの顔だった。


「さすがにあんたみたいに小さい人を、どうにかするのは気が進まないんだ。力づくで目的は達成させてもらうが、せめて手向かいせず大人しくしろ」

「嫌です、大声出しますよ」

「その前にあんたの腹でものどでも、キツいのを一発お見舞いするだけだ。俺をあまり見くびるなよ? 女相手でもやると言ったらやる」

「……どうすればいいんですか」


 多分、もう逃げられない。

 それならせめて、せめて早見さんを巻き込まないようにしないと。

 お願い、まだ戻ってこないで――


「移動する。俺のすぐ前を歩いて、指示通りに進むんだ。途中で誰かに会っても、何もしゃべるな。分かったな?」

「……分かりました」


 よかった。

 ここを離れられれば、他の人にるいは及ばない……。

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