第三章 第78話 チナタラ

(よし、今度こそ……)


 私は眠い目をこすりつつ、決意を再び新たにした。

 引き出しを開けるのに必要な鍵は、見つけ出してある。


 外は暗い。

 まだ四時半だもんね。


 ……私は甘かった。


 鏡さんたちとの対決……あれからまだほんの数時間しか経っていないけれど、私はその事実を嫌と言うほどに思い知らされてしまった。

 まさか、保健室に保管していた遺書を手に入れていたなんて。


 瓜生うりゅう先生に相談した日の次の夜、私は早速ボイスレコーダーを手に入れようと、職員室の校長先生の机のもとへ足を運んだ。

 人がいないことは確認していたし、悪いことをしているわけじゃないはずなのに、あんなにドキドキしたのは、生まれて初めてだったかも知れない。

 その緊張は、引き出しに手をかけて、かないことが分かってピークに達した。

 鍵がかかっているなんて、思ってもいなかった。

 実際ここには出勤簿だったりボイスレコーダーだったりと、普段使いするものが入っているので、ロックなどされていなかったのだ。


 あせった私は、LEDランタンをかかげながらその辺のあちこちを探した。

 そうしたら、タイミング悪くトイレに起きてきた加藤かとうさんが、ランタンの光に気付いて突然、職員室に入ってきたのだ。

 口から心臓が飛び出るほどの驚きと言うのは、まさにあれだった。

 辛うじて叫び声を抑えきった私は、探し物だとか何とか言ってその場を乗り切り、二人でトイレに向かうことになってしまったのだった。


 結局その時にはボイスレコーダーを回収できなかった。

 でも、その存在を知っているのは私と瓜生先生だけだから、次の機会――具体的には明晩みょうばん――を待っても大丈夫だと思ってしまったのだ。


 ……本当に、甘かった。


 だから私はこうして話し合いのあと、ほぼ徹夜でこの時を待ったのだ。

 朝食の仕込みまでには、まだかなり時間があるはず。

 引き出しの鍵は、校長室の机に普通に入っていた。


 無事に開錠かいじょうして、引き出しを開ける。

 出勤簿、校長先生の職印などが並ぶ横に、無造作に置いてあるそれは――ボイスレコーダー。


 見つけた。

 そっと手に取る。


 何の変哲もない、見慣れたいつものそれ・・なのに、何だか重く感じる。

 一体この中に、どんな真実が隠され――――


(――!!)


 足音……!


 振り返ると、職員室のドアの明かり取りのガラスに、光が揺れている。

 また!?

 どうして!?

 ついてないにもほどがあるよ……。


 冷たい汗が背中を流れる。

 でも逡巡しゅんじゅんしたのはほんの一瞬。

 今回は、万が一同じことが起こるかも知れないって心構えはしてあった。


 私はゆっくりと引き出しを押し込み、その場を離れようとする。

 その瞬間、ドアがいた。


「……誰かいるの?」


 声のぬしは――花園はなぞの先生だった。


「あ、はい。黒瀬くろせです」

「黒瀬さん? どうしたのよ、こんな時間に」


 その質問、そっくりそのまま返したい!


「ちょっと探し物をしてました。食料物資班のかたたちが起きてからだとご迷惑かなって思ったものですから」


 ……ちょっと苦しいか?

 ほかに申し開きようがないんだけどな。

 でも、花園先生は「ふーん、そうなのね」と言っただけで、そのまま職員室に入ってくると、何やらごそごそし始めた。


「もしかして、もう朝ごはんの仕込みなんですか?」

「そうなのよ。一応準備は終わってるんだけど、数が多くなりそうだからね」

「数。ちなみに献立は何なんですか?」

「確か……『チナタラ』って言ってたかしら。ほら、最近ザハドの人たちが長屋ながやを作りに来てるでしょ? あの人たちがお弁当に持ってきていたらしくてね、教えてもらったの」

「へえ、それじゃあザハドの料理ってことなんですね」


 私は自分が今置かれている状況のことをちょっと忘れて、思わず食いついてしまった――朝食だけに。


「そう。見た目は……少し大き目な小籠包しょうろんぽうってところね。作り方を聞いたら、ほぼ蒸し餃子ぎょうざかな」


 そっか。

 餃子なら、一人前の数がそれなりに必要だもんね。

 朝から餃子って聞くと「ん?」って思われるかも知れないけど、ラーメンマニアだったうちの和馬くんは進んで食べてたし、店によっては朝餃子定食なんてものもあるらしい。

 私も、匂いの問題さえ何とかなれば全然アリだと思う。


「忙しいんでしたら私、手伝いましょうか?」


 一人前を五個としても百以上は必要だし、主食のお米がないから食べ盛りの子たちとか男性たちは絶対にそれだけじゃ足りないだろう。

 でも、私の申し出に花園先生はかぶりを振った。


「いいのよ。あなたにはあなたの仕事があるじゃない。他のメンバーもいつもより少し早めに来てもらうことになってるから、大丈夫」


 私の、仕事。

 花園先生としては特に深い意味を込めたつもりじゃないんだろうけれど、私はその言葉で緊張感を一気に取り戻すことになった。

 それから二言三言ふたことみこと花園先生と言葉を交わして、職員室を出た。


 私は、真実を知らなければならない。


    ◇


「ふー」


 時刻は午前六時半。

 職員室では、食料物資班の面々が朝食の準備にいそしんでいた。

 今朝の献立は、ザハド風蒸し餃子とも言えるチナタラと、それに合わせて野菜で出汁だしを取ったスープ、ジャガイモのようなテルフォとキャベツのようなブラシコ、そしてトウモロコシにそっくりなカルスで作ったサラダである。


 スープとサラダ作りには、上野原うえのはられい御門みかど芽衣めいが担当として取り組んでいる。

 チナタラは結局、二百個ほど作ることになっており、残りの四人で今まさに具を包み、成形しているところなのだ。

 小麦粉から作って寝かせておいた生地きじをちぎって丸め、平たい円形えんけいにするところから始めたので、重労働ではないがなかなか時間がかかる。


「ようやく半分ってとこですかね」


 椎奈しいなあおいが確認半分、ため息半分でつぶやいた。

 そんな彼女に、不破ふわ美咲みさきが笑って声をかける。

 久我くが英美里えみりは、黙々と手を動かしている。

 秋月あきづき真帆まほだけ、この場にいなかった。


「椎奈さん、頑張ろ。花園さんが早起きして準備してくれてたんだし」

「そうですよねー」


 苦笑いしながら返す葵。

 空手を始め、格闘技の腕前はかなりのものの彼女は、その代わりと言うわけでもなかろうがあまり料理が得意ではなく、家庭では中学校の教諭である夫がメインで担当していた。

 そのため、転移して最初の班編成では調査班を希望している。

 しかし、当時の食料物資班が少ない人数で奮闘していることを知ると、力になりたいと考え、時間があれば手伝うようになっていった。

 そして星祭り前の再編時に、食料物資班の増員に合わせて自ら手を挙げたのだ。


「でも椎奈さん、大分だいぶ手つきがさまになってきたんじゃない?」

「うーん、そうですかねー」


 沙織がすかさずフォローすると、肯定こそしないがまんざらでもない様子の葵。

 彼女は食料物資班に入る時、ちゃんと自分のスキルの低さをカミングアウトしていたのだ。


「でも、確かに量が多いとそれだけで大変よね。やっぱり黒瀬くろせさんに手伝ってもらえばよかったかしらね」

「え?」


 沙織が何気なく黒瀬真白ましろの名を出すと、美咲の手が一瞬止まった。

 英美里に至っては一瞬どころか、固まってしまっている。

 何となく口元を引きつらせながら、美咲は沙織に尋ねた。


「な、何で黒瀬さんなんですか?」

「ん? いやね、今朝けさ早くここで黒瀬さんに会ったのよ」

「今朝早く、ここで?」

「そう。何だか探し物だって言って、そこの――校長先生の机のところにいたの。その時黒瀬さん、忙しいなら手伝おうかって申し出てくれたのよね」

「はあ……」

「彼女にも仕事があるからって遠慮しといたんだけど……包むくらい手を借りてもよかったかもね」

「……そうですね」


 どう言うわけか、そこからチナタラを包む作業は粛々しゅくしゅくと無言で行われるようになってしまった。

 妙な雰囲気に沙織と葵は首をかしげたが、確かに時間もおしてきていることもあって、特にそのことに言及することはなかった。


 その様子を、玲と芽衣は自分の仕事を進めながらも、いぶかに見ていた。


    ◇


 朝食後、長屋建設の様子を眺めているかがみ龍之介りゅうのすけ壬生みぶ魁人かいとの元に、走り寄っていく英美里えみりの姿があった。

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