第三章 第76話 警報

「単刀直入に聞こう。朝霧あさぎり校長の遺書はどこかね?」

「……何のことでしょうか」


 私は小首をかしげて、かがみさんに答えた。

 声も震えてない。

 大丈夫。


「大した女優さんだな。君にそんな演技力があったとはついぞ知らなかったよ、黒瀬くろせさん」


 私の回答に、鏡さんは少し口角を上げて言う。

 何となく面白がるような眼だ。

 隣の壬生みぶさんは、舌打ちをして私をにらみつけている。

 ……負けるもんか。


「私、ただの養護教諭ようきょうです。演技力なんて言われても」


 ここに来るまでのあいだ、私だってただ待っていたわけじゃない。

 呼び出した瓜生うりゅう先生に相談に乗ってもらいながら、いろんな状況を想定してある。

 その中でも最悪のパターンが、「遺書の存在を察知される」ことだった。


 さっき、鏡さんは「思った通り、瓜生うりゅうさんも一緒」と言った。

 私と瓜生先生が遺書について話したのは、あの一昨日おとといの夜だけ。

 誰かが私たちの会話を聞いていたと考えれば、鏡さんの台詞せりふにもうなずける。

 今思えば迂闊うかつだったかも知れないが、周囲に人がいないことは一応確認していたし、もうそのことをやんでいる段階じゃない。

 だから、鏡さんたちが遺書のことをつかんでいると言う前提で、どう振舞うべきかを瓜生先生と決めてあるのだ。


 まあ、まさかこれほどストレートに斬り込んでくるとは思わなかった。

 単刀直入にもほどがある。

 でも、女優並みだと思わせられたのなら、まずは成功と言ってもいい……よね。


「ふむ。それでは君は、遺書のことなど全く知らない。そう言うのだな?」

「ええ、知りません」

「おかしいな。私のところには、それ・・が存在していると言う報告が上がってきているのだがね」

「そう言われても、知らないものは知りません」

「では、報告者がデタラメを言っている、と?」

「私に聞かれても」


 うう……。

 知っていることを知らんぷりするのって、思ったよりキツいかも。

 何かの記事で、上手に嘘をくには本当のことを織り交ぜながら話すのがいいって見たことがあるけど、そんな練習したことないし。

 それにこの場合、織り交ぜるべき本当のことって、何?

 ――やっぱり慣れないことはせず、たとえ怪しまれたって「知らない」で通した方がいいと思う。


 とりあえずは、鏡さんの顔から目をらさないでいるだけで精一杯。

 鏡さんの方でも、私の目をじっと覗き込んだままだ。

 何を考えているのか……全然読めない。


「もう一度尋ねよう、黒瀬さん。君は朝霧校長がのこした遺書について、本当に何も知らないのかね?」

「知りません。少ししつこいんじゃありませんか?」

「何だと?」


 壬生さんが気色けしきばむ。

 今さらだけどこの人、こんなに沸点が低い人だったのね。

 鏡さんよりよっぽど分かりやすい。

 転移前にはそんな素振り、全然見せなかったように思う。

 きっと職場での顔しか、私が知らないだけだったのだろう。


「しつこいからしつこいと言っただけです。それとも、そこまで追及するに足る証拠でもあるんですか?」

「証拠?」


 驚いたような顔で、鏡さんが答える。

 何だかわざとらしい、それこそ演技くさい表情だ。


「壬生さん、黒瀬さんは証拠をご所望しょもうだそうだ」

「分かりました」


 ……え?

 分かりましたって、どういうこと?

 壬生さんの言葉に、思わず瞠目どうもくしてしまったのを感じた。

 そんな私の顔を、鏡さんは面白そうに眺めている。


 すると壬生さんは、自分の背中にごそごそと手を回して何かを取り出すと、ガラステーブルの上にぱさりとほうり投げた。


 ――!!


 それはまさかの――――あの、茶色い角型封筒だった。

 おもてに、もう見慣れた字で「遺書」と書かれている。

 間違いなく、私が保健室の机にしまっておいた、朝霧校長の遺書。

 隣りで瓜生先生が息を呑むのが聞こえた。


「こんなものを発見したのだが……証拠になるかね?」

「どうして、それを……」

「なに、報告を受けて、ありそうなところに当たりをつけて調べたまでだよ」

「調べたって……引き出しには鍵をかけておいたはずです」

「鍵? 壬生さん、どうなんだね?」

「ああ」


 にやりと笑う壬生さん。

 どこまでも私を軽んじているのが、ありありと分かる。


「多少ひらきにくかったですかね。特に問題ありませんでしたよ」

「――だそうだ」


 私は思わず唇を噛んでしまう。

 壊したのだ、引き出しの鍵を力づくで。

 鍵さえかかっていれば大丈夫と、油断した私が悪いのか。


「ずいぶん乱暴なことをするんですね。仕事に差し支えたらどうするつもりなんでしょうか。それに、あれは私の――」

私物しぶつなのかね?」

「え?」

「保健室の備品は、君の私物なのかと聞いたのだ、黒瀬さん」

「それは……」


 それまでゆるみ気味だっと口元を、鏡さんは突然引き締めた。

 射貫いぬくような視線を、私に向ける。


「もちろん君の管理下にあることは認めよう。しかし、だからと言って君の物だとするのは強弁きょうべんに過ぎる。必要があれば、上部組織である執行部が、そしてそこのおさである私が調査することに、何か問題があるかね?」


「う……」


「しかも、だ。君は遺書のことなど知らないと、偽りまで述べていた。保健室の鍵がかかる引き出しにしまわれていたとなれば、それが出来るのは君しかいないのは明白なのにも関わらず、な。これについて、一体どう弁明するつもりなのか、聞かせてもらおう」


 ……どうしよう。

 返す言葉が、思いつかない。


「そしてもう一つ。亡き朝霧校長の遺書が見つかったとなれば、それは決してないがしろにしていいものではないはずだ。それなのに黒瀬さん、君はその存在を隠匿いんとくしようとした。これはどういう意図によるものだね? 何か後ろ暗い企みがあるとしか思えないのだが」


「そんな! 私はそんな――」

「ちょっと待ってください、鏡さん」


 突然、私の言葉をさえぎったのは、瓜生先生だった。


「黒瀬さんは、僕に遺書のことについて相談してきました。隠そうとしたわけじゃありませんよ」

「ならば瓜生さん。なぜリーダーたる私ではなく、彼女はあなたに相談したのだ?」

「さあ」


 瓜生先生は小さく肩をすくめて答えた。


「それこそ黒瀬さんに聞いてみればいいじゃないですか。僕としては、それ相応の理由があったとにらんでますけどね」

「ふむ……」


 鏡さんは、瓜生先生に移していた視線を再び私に向けた。

 探るような、目つき。

 瓜生先生のお蔭で、鏡さんの質問の意味が少し変わって答えやすくなった。


「と、瓜生さんは言っているが、どうなんだね? 黒瀬さん。何か私には言えない理由でもあったのかね?」

「平たく言えば、あなたを信用できないからです。鏡さん」

「ほう……」


 遠慮なく答えてやった。

 嘘やごまかしじゃなくて、これは私の本心。


「それはつまり、遺書の内容が信を置けない人間に話せるようなものじゃないと言う意味かな?」

「……」


 私が答えずにいると、鏡さんはガラステーブルの上の角型封筒を手に取ってさかさまに振った。

 小さな茶封筒が三通、こぼれ落ちる。

 それを見て、私は再び目を見開くことになった。

 信じられない……。


「これ……鏡さん、開封したんですか?」

「ああ、中をあらためる必要があると判断したのでね」

「それって信書開封罪では?」

「確か、親告罪だと記憶しているが?」

「民法にも抵触するはずですよ」

「民法? このエレディールの民法について君は知悉ちしつしているのかな?」

「はあ!?」


 怒りのあまり、声が震えてしまう。

 自分から言っておいて何だけど、遺族ての遺言いごん書を無関係な第三者が勝手にけて悪びれるところがないなんて、法律の話以前に人としてどうかしてる。


「まあ中身と言えば、奥さんと子どもさんたちへの純粋な遺言だったな。特筆すべきことは書かれていなかった。君からご遺族に渡したいともし思っているのなら、そうすることを止めはしない、黒瀬さん」


 物分かりのいいことを言っているように聞こえるが、何故なぜか私の脳内で、再び警報アラートが鳴り響き始めた。

 鏡さんの目が、すうっとほそめられる。


「その上で改めて、君に尋ねよう」


 ずい、と身を乗り出して鏡さんは言った。


朝霧あさぎり校長の遺書はどこなのかね?」

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