第三章 第75話 深夜の職員室

「……ん?」


 保健衛生班としての一日の業務を終え、夕食をり、手伝いやらあれやこれやのあと、個人スペースに戻った私の目に入ったのは、一枚の紙きれだった。


 時刻は――午後の九時を少し回ったところ。

 まだ寝るつもりはなく、とりあえずひと休み程度の気持ちで戻ってきただけだった。


 私のスペースのある女部屋――三年一組――は、当然のことながら天井の照明はいていない。

 でも、それぞれのスペースからはLEDランタンの光がれている。

 ちなみにルームメイト?は、高校生の二人と英美里えみりさん、上野原うえのはらさんの四人。

 山吹やまぶきさんと瑠奈るなちゃんはいなくなってしまったけれど、あれから部屋のレイアウトは特に変えていない――何となく。


 この就寝前のひと時、まだ山吹さんがいた頃には、よく保健室やその他あちこちでしゃべったりしていたのを思い出す。

 別にどちらかのスペースで話してもよかったんだけど、さすがに成人女性二人がくつろぐのには少々手狭てぜまだし、ここだと飲み物片手にってのもやりにくいから。

 でも、御門みかどさんと早見はやみさんたち二人の話し声はしょっちゅう聞こえてきていたし、そこに時々上野原さんの声も混じっていたのも覚えている。


 一応ここは個人的な場所だから、あんまり大きな声を出したり、遅くまで話し続けたりしないように気を付けてはいた。

 でも、暮らし始めてしばらくすれば、お互いの生活リズムのようなものも分かって来るもので、午後十時以降はなるべく静かにするって言う、暗黙の決まりみたいなものが自然に出来上がっていった。

 それ以降に話がしたければ、職員室でも校長室でも、場所はいくらでもあるから。

 久我くがさん一家だって、職員室の応接スペースで団欒だんらんする姿をよく見かけたしね。


 それが今では、ずいぶんと静かになってしまったものだ。

 寂しく思う気持ちは、どうしたってき上がってきてしまう。

 でも……今、私の脳内で響いているのは、そんな寂寥せきりょう感じゃない。


 ――警報アラートだ。


 その紙きれには、短くこう書かれていた。


 ――――――――――

 午前一時、職員室にて

 ――――――――――


(落ち着くんだ、私)


 深夜に、私を職員室に呼び出す?

 誰が?

 とりあえず、全く心当たりがない。


 普通に考えれば、私に用があるのなら直接言えばいいことだし、何よりこんな時刻を指定する必要がない。

 呼び出し場所が職員室と言うのは……どうなんだろ。

 これが「湯殿ゆどの」の西でとか、駐車場のどこかでとかなら、如何いかにも怪しいし危険も感じるけど、職員室とは。


 今一つ、判断がつかない。

 つかないけど……一人ひとりで向かうのは、あまりに能天気が過ぎるって言うのはさすがに分かる。

 それなら誰を、と考えると二人の顔が思い浮かんだ。

 でも、一人はもうここにはいない。


 私はLEDランタンを持って、廊下に出た。

 男部屋は、隣りの三年二組の教室だ。

 どうやって呼び出そう。


 ガラガラガラ――


 突然目の前の扉がひらいて、私は驚いた。

 中から出てきたのは、神代かみしろ君だった。


 私はこの子のことを、赤ん坊の頃から知っている。

 大学進学で家を出るまでは、同じ敷地内に住んでいたのだ。

 親戚と言うわけではないけれど、感覚としてはそれに近い関係。

 まさか、この子が私を呼び出したってことはないと思う。

 

くろ――」


 彼の方でも驚いたのだろう。

 ドアをけたら、暗闇の廊下に私が立っていたんだから。

 私の名を呼ぼうとする神代君を、唇に人差し指を置いてめる。


 目を白黒させている彼に、私は耳打ちした。


    ◇


 真っ暗な階段をゆっくりとりて、一階に到着。

 正面は児童用昇降口。

 職員室は右手にある。


 こうして暗闇の廊下を、LEDランタンをかかげて歩くことにもずいぶん慣れた。

 それでも流石に、こんな時間帯は滅多にない。


 何となく足音をおさえ気味に、私は職員室に向かって進む。

 扉からかすかに光がれ出ているのが見える。

 確かに誰かが――いる。


(ふーっ……)


 静かに深呼吸をして、私は扉に手をかけゆっくりひらいた。

 職員室の奥――応接スペースが、光のみなもとのようだ。

 私に気付いたようで、影が揺れた。


 何も言わずに、私はそのまま進む。

 高さいちメートルほどのガラスキャビネットの向こう、応接スペースのソファに二人の人間が、こちらを向いて座っている。


 ――かがみさんと、壬生みぶさん。


(まあ予想通り、かな)


 呼び出された理由は、はっきりとは分からない。

 でも、こんな時間を指定すると言うことは、それなりに表沙汰にしたくないという思いが透けて見える。

 そんな危ない案件をかかえてそうな人は、目の前の二人もしくはその関係者以外に考えられないのだから。


「来たかね――ふん、思った通り、瓜生うりゅうさんも一緒のようだね」

「一人で、とは書いてありませんでしたから」


 そう。

 私は瓜生先生に助っ人を頼んだのだ。

 神代君に呼び出してもらった。


「それで、一体何の用でしょうか。こんな時間に呼び出すなんて、少し非常識に思えますけれど?」

「まあまずは座ったらどうだね。そんなに離れていられては話しづらい」

「……」

「警戒する気持ちは分からんでもない。だが、こちらにあなた方をどうにかするつもりなどない。ただ聞きたいことがあるだけだ」


 うながされても動かない私に、鏡さんはそう言う。

 でも、そんな言葉を額面通りに受け取るわけにはいかない。


「だったら、どうしてこんな時間にこっそり呼び出すようなことを? 聞きたいことがあるのなら昼間、普通に尋ねればいいじゃないですか」

「ごちゃごちゃうるさいよ、黒瀬さん。とっとと座りなっての」

「!」

「抑えたまえ、壬生さん。怖がらせても話が進まない」


 壬生さんの苛立ちを隠さない態度に、私と瓜生先生は顔を見合わせる。

 やっぱり危険だ。


「黒瀬さんの疑問ももっともだ。しかし、こちらとしても一応気をつかったつもりなんだがね」

「……どういう意味ですか?」

「なに、そちらこそほかの人たちがいる前では話しにくいんじゃないかと思ったまでだ。余計なお世話だったかな?」

「……」


 話しにくい、こと?

 ――まさか。

 私は再び、瓜生先生の顔を見た。


「黒瀬さん、とりあえず座って話を聞いてみよう。鏡さんの言う通り、確かにこのままじゃらちが明かないかも。 ……鏡さん」

「何だね、瓜生さん」

「さっきあなたが言った、僕たちをどうこうするつもりはないと言う言葉、信じてもいいんですね?」

「もちろんだ」


 鏡さんは鷹揚おうよううなずいた。

 でも、LEDランタンに照らされて陰影が濃いせいか、どうにも胡散うさん臭さを感じてしまうのは仕方ないだろう。


「ここに来るのに当たって、僕たちも一応保険をかけてきました」

「保険?」

「ええ。僕たちに何かあれば、すぐに上の人たちに伝わるようになっています」

「ふむ……用意のいいことだ。転ばぬ先の杖というところか。まあしかし、それも準備するだけ無駄だったと知るだろう。心配せずにかけたまえ」


 準備するだけ、無駄。

 私には二つの意味に取れてしまう。

 使わずに済む準備ということか、それとも準備しても効果がない無駄なものか。

 悩む私に、瓜生先生がもう一度声を掛けた。


「黒瀬さん、大丈夫だから座って話を進めよう」

「……分かりました」


 仕方なく、私と瓜生先生はガラステーブルを挟んで、鏡さんたちの正面に座った。

 壬生さんの、ぎらぎらと剣呑けんのんな光をたたえた瞳が気になる。


「さて」


 態勢が整ったと見るや、鏡さんが口を開いた。


「単刀直入に聞こう。朝霧あさぎり校長の遺書はどこかね?」

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