第三章 第73話 例会

 もう、どうでもいい。


 何もかも。


 私の大切なものは、どちらもこぼれ落ちていってしまったのだから。


 それに、もう引き返すことすら出来ない。


 既に私の手は、よごれてしまっている。


 なぜあんなことをしてしまったのか。


 今さらやんでも仕方ないが、あの頃の私はどうかしていた。


 あの人の言う通りにすれば、夫も娘も戻って来るものと思い込んでいたのだ。


 この手に。


 でも……結果はこの通り。


 あの朝、あの娘に投げつけられた言葉が、耳にこびりついて離れない。


 仮にもう一度同じことをしろと言われて、断る理由が私にはもう、ない。


    ◇


 上野原うえのはられい御門みかど芽衣めいが、聖会イルヘレーラの協力者となったその日の夜、校長室にて。

 かがみ龍之介りゅうのすけ壬生みぶ魁人かいと久我くが純一じゅんいち、久我英美里えみり秋月あきづき真帆まほ――執行部の面々が集まっていた。


「では、例会れいかいを始めよう」


 重々しく会議の口火を切ったのは、かがみ龍之介りゅうのすけ

 新体制における執行部長であり、学校勢十九名のリーダーである。


「ではまず、実行班担当の純一じゅんいちさんから聞こう」

「分かりました」


 例会ではまず、このように二つの班――実行班と食料物資班――の担当者から現状報告と問題提起がおこなわれる。


「まず『長屋計画』についてですが、予定通りザハド側の業者が到着し、資材の搬入が始まっています。今日はその二日目ですが、一部で基礎工事に着手しました」

「実行班の様子はどうだね?」

「大きな変化も問題もないようですね。教頭先生のところには、工事の様子を見学してもらいました。そのあとはいつも通り施設の巡回とメンテでした。瓜生さんのところからは、規定量のまきを確保したと報告を受けてますよ」


「……黒瀬さんのところは?」

「怪我人や病人も出ていませんので、そっちも通常営業って感じですかね」

「……そうか」

「ん? 何か問題でもありましたか?」


 龍之介の返事に、純一は何となく違和感を覚えて問い返した。


「いや、何でもない。では次、食料物資班の報告を」

「はい」


 答えたのは秋月あきづき真帆まほ

 転移前には、久我くが瑠奈るな天方あまかた理世りせの担任だった。

 小学六年生の時、鏡龍之介に受け持たれていたことがあり、その楽しかった小学校生活最後の一年間が、彼女が教師を志望する最初の動機となっていた。

 大学に進学し、教員免許を取得したあと教員採用試験きょうさいには残念ながら二度も落ちてしまうことになる。

 それでも教師になる夢をあきらめず、講師として小学校教育にたずさわりながら、三度目の受験でようやく合格をもぎ取った。


 そして、新採しんさいとして今岡小学校に配属が決まったのだ。


 赴任ふにんする学校が決まると、新年度が始まる前に一度、挨拶あいさつという顔見せにおもむくことになることが多い。

 当然学校は学年末休業はるやすみ中ではあるが、当番だったり片付けや準備のためだったりで、出勤している教師も多い。

 真帆はそこで偶然、既に今岡小で勤務していた龍之介と顔を合わせることになったのである。

 

 彼女は昨日のことのように覚えている。

 運命を感じた、と言うと自分でも少し大袈裟おおげさだと思わなくもないが、正教員としてスタートを切ることになった初めての学校で、そのきっかけとなった人物と一緒に働けるという事実に、それに近しい思いをいだいたことを。


 あわただしい新年度が始まってからも、同じ学年で指導教官(初任者に対して指導や助言に当たる)でもあった花園はなぞの沙織さおりにはもちろんのこと、龍之介にも積極的に声を掛けたり、相談事を持ち掛けたりした。


 龍之介の方でも、かつての自分の教え子が同じ職場に赴任してきて、ほどよく自分を頼ってくることに何某なにがしかの感慨を持ったのか、真帆に対して親身になって対応した。


 そうしたこともあって、彼女は龍之介に大きな信頼を寄せ、もっと言えば心酔するようになっていったのだった。


「食料物資班では、従来通り一週間分の献立こんだてを作成し、物資を無駄なく効率的に使用しながら調理に当たっています。ザハドからもたらされる物資は潤沢なので、日々の食事と並行して干し肉などの保存食作りにも取り組んでいます」

「うむ」

「毎日三食、休みのない業務ですが、交代で半日もしくは丸一日の休日が取得できるよう、シフトを組んだり、引き続き『自由食』の日を設定したりしています」


 自由食とはここでは、パンやうどんなどをあらかじめたくさん作り置いて、各自好きな時間に好きなものを食べるという形の食事形態をす。

 かつて、アルファ米などの備蓄食料が残っていた時期にも、同様の日が設けられていた。


「そして、ひとつ要望が上がってきているのですが」

「要望? 何だね?」

「『こめ』を入手することは出来ないか、と」

「なるほど」


 龍之介は大きくうなずいた。

 現在置かれている境遇で、安定して食事を取ることが出来ているだけでもありがたいのだ、という意識に隠れてなかなか表面化しないが、確かに白米はくまいを食べたいという欲求は潜在的に大きくなっていたし、龍之介自身もそう感じている部分はあったのだ。


「まず、この地に米があるのかどうか分からないが、先方に問い合わせてみよう。もしあると言うのなら、毎日の食事がより楽しみになると言うものだ」

「お願いします。食料物資班からは以上です」

「分かった。ほかに何か、あるかね?」


 龍之介の問いかけに、残りのメンバーは沈黙をって答える。

 それを確かめて、彼は改めて口をひらいた。


「では、実行班食料物資班共に、業務が円滑に遂行できるよう、引き続き監督と指導をお願いする。何か報告すべきことがあれば、速やかに伝えて欲しい。では次に、私から少し話がある」


 ――少し話がある。


 龍之介の表情に、何となく不穏なものを感じる四人。

 しかし誰も声は発せず、続く龍之介の言葉を黙って待っていた。


「実は、ある人物から相談を受けた」

「相談、ですか?」


 壬生みぶ魁人かいとがおうむ返しに問い掛ける。


「ああ。特にその人物の名を秘す必要はないので言ってしまうが、如月きさらぎさんだ」

「如月さん……?」


 純一がいぶかつぶやいた。

 自分が監督する班で、もしかして何かまずいことでも起こったのだろうかとでも思っている様子だ。


「如月さんは、ひょんなことからあるものの存在を知ったと言う」

「鏡さん、もったいぶらずに早く教えてくださいよ。如月さんが何の存在を知ったって言うんですか?」

「おお済まん。とても重要なことだからつい、な」


 魁人の文句に、微苦笑する龍之介。


「それは――――朝霧校長の遺書だ」

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