第三章 第69話 幻影

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 20XX年 4月21日(星暦12511年 始まりの節)


 何だか眠れなくて、もう日付が変わったと言うのに日記を書いている。

 今後すべきことが決まって、興奮しているせいだろうか。


 思っていた通り、不破ふわさんは私の考えに賛成してくれた。

 となれば、次はいつかがみさんたちに話をするかなんだけど……あの人と壬生みぶさんは結構忙しくしていて、学校にいないことも多い。

 渉外しょうがい担当という仕事もあるのだから、そこは仕方がない。


 それに……出来れば、不破さんにも一緒に来てもらいたい。

 あの二人のところへ一人で行くのはちょっと気後きおくれするし……分かってる。

 私は、後ろめたいのだ。

 これが良心のうずきというものなのだろう。

 もうあと数年で四十しじゅうに手が届こうという頃に、こんな感情がくすぶることになるとは夢にも思っていなかった。


 でも、もう私は決めたのだ。

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    ◇◇◇


「はい皆さん」


 花園はなぞの先生の声が、職員室に響いた。

 今は、午前九時をちょっとだけ回ったところ。


「じゃ、次はいつものように十一時からね。お疲れさまー」

「お疲れさまでしたー」


 食料物資班のみんなが声を合わせる。

 午前六時半ころから始まった朝食の支度したくと片付けが、終わったのだ。

 昼食のための仕込みも、大体んでる。

 今から昼食の支度が始まるまで、二時間ほどの休憩になる。


 新しい班体制になって、今日でちょうど一週間ってところかな。

 新しいと言っても花園先生を始め、不破ふわ先生と英美里えみりさんは、転移してきてからずっとこの班だし、椎奈しいな先生だって途中で班編成が変わって以来、やっぱり食料物資班なのだ。


 御門みかどさんも、前回は私こと上野原うえのはられいと同じ外交班だったけど、一番最初の班割では食料物資班だった。

 だから完全に新メンバーと言えるのは、私だけなのである。


 それで、結構中途半端なポジションなのも私だったりする。


 小学生――いや、この四月であの子たち、中一だった。

 まあそれでも、男の子の二人も御門さんも早見はやみさんも、言ってみれば子ども。


 私より上で一番年が近いのは、確か秋月あきづき先生。

 でも、教員採用試験きょうさいに合格して採用された、ちゃんとした先生。

 要するに、みんなれっきとした大人なのだ。


 それでもって私はと言うと、成人はしてるけど何の職にもいてないし、天方君たちから見れば「先生」なんだけど、実際は教育実習生でただの大学生なわけで……はっ、急に思い出した。

 私、大学卒業出来てないじゃん……!


 転移してきてから講義に出てないんだから、当然単位はもらえないし、何より卒業式はとっくに終わっちゃってる――でも、今さらかな。


 あーあ……花恋かれんたち、どうしてるかなあ。

 小田巻おだまき君も東郷とうごう君も、きっと卒業してるよね。

 讃羅良さららちゃんは、四年生になったんだろな。


 お父さん、お母さん、お姉ちゃん。

 元気にしてるかな。

 突然いなくなった私のこと、きっと物凄く心配してると思う。

 ごめんね……でも、私にもどうしようもなかった。


 何だろ。

 前も時々は思い出してたけど、ここ最近やけに日本のことが頭に浮かんでくる。

 理由は自分でも何となく、分かってるけどさ。


 ――八乙女やおとめ先生。


 おかしな疑いをかけられて、壬生みぶ先生に乱暴されて、学校を追放されてしまった。

 八乙女先生が校長先生を殺したなんて、そんなこと絶対に私は思ってない。

 死刑になんて絶対にしたくないから「追放」に手を挙げちゃったけど、そんな私を見て八乙女先生、どう思ったかな。

 一瞬目が合って、思わず視線をらしちゃった。

 ほんのちょびっとだけ、本当にプランク時間だけ「本当に?」って疑っちゃったのを、何だか見透かされたような気がして。

 すごくお世話になってたのに……恩知らずと思われても仕方ない、はあ……。


 それより何より、山吹やまぶき先生に私は打ちのめされてしまった。

 もちろん私が勝手に思ってるだけなんだけど、あの人はあんな風に啖呵たんかを切って、何の迷いもなく八乙女先生を追って出て行った――たった一人で。


 かなわないなって思っちゃった。

 そうして初めて、私は八乙女先生に対する私の気持ちに、ちゃんと名前がついていたことを思い知らされてしまったのだ。


 でも、八乙女先生が瑠奈るなちゃんと一緒に出て行ってしまったあの朝も、校長先生のお葬式の日も、新しい班が決まった会議の時も、私は何も出来なかった。

 黒瀬くろせ先生ばかりじゃなくて、すごく大人しかった年下の早見さんや神代かみしろ君までが、あのおっかないかがみ先生に堂々と意見を言っていたのに――そういう意味でも、私は中途半端だ。


 八乙女先生のために何かしてあげたいって気持ちは、もちろんある。

 でも、結局何もしていないんだから、誰かにお前の思いはそんなものと言われても、何も言い返せる気がしない。


 ホント……情けないし、落ち込んだ。


 そして、私と同じように物凄く落ち込んでいる子がいた。

 ――御門みかどさんだ。


 詳しいことは知らないけど、仲のよかった早見さんとケンカしたみたい。

 結構深刻なレベルで。

 早見さんは、手のいた時にご飯作りとか片付けなんかを手伝いに来てくれるんだけど、御門さんとは一切いっさい会話がない。

 しかも、どう言うわけか早見さんは御門さんのことを完全にいないものとして振舞っているのに対して、御門さんがびくびくしているように感じられる。

 最初の二人の印象が、まるで逆転しちゃった感じなのだ


 当然と言えば当然だけど、食料物資班のほかの人たちはそのことに全く触れない。

 まあ事情もよく知らないのに、やたらな口ははさめないよね……。

 それに、何だか私に任されてるような雰囲気になってる。


れいさん、散歩、行きます?」

「ああうん、行こうか」


 御門さんからのいつもの誘いに、私が返事しながらみんなの方をちらと見ると、椎奈先生とか花園先生がうんうんと頷いてる。

 別にいいけどね。


 ここ一週間ほど、休憩時間に御門さんと散歩するのが日課みたいになっている。

 場所は特に決まってない。

 って言うか、そもそも学校の周りはひたすら草原だから、今日は西の方に、今日は南の方に、今日は学校をぐるっと回る感じで、みたいに超アバウトだったりする。

 時間にして、多少の変化はあるけど大体三十分くらいかな。


「今日はどっちに向かいます?」

「そうねえ……じゃあ北東方面へ」

「了解!」


 私の適当な返事に、少しおどけて敬礼する御門さん。

 こんな時、少しだけ以前の彼女が垣間かいま見える。

 私たちは昇降口で靴をき替えると、まずは南側のグラウンドに出た。


「うわー、今日もいい天気ですねー」

「ホントだね。水筒持って来ればよかったかな」


 水筒と言っても、毎日支給される水の入ったペットボトルのことだ。

 ちなみに私も御門さんも手ぶらである。

 そして、他愛たわいもない話なんかをしながら、私たちの足はまず校舎の東側へと向く。


「ホントに作ってるんだね……長屋ながや

「あたしはもうあの個室スペースに慣れちゃったから、別にらないんですけどね」


 いわゆる「長屋計画」の建設地が見える。

 鏡先生たちが言っていた計画、こうして本当に進んでいる現場を見ると、ちょっとおっかない人だけどあの先生にリーダーを任せるのは、アリなのかも知れないと思ったりもする。

 でも、今私と御門さんが立っている場所は、八乙女先生が瑠奈ちゃんを連れて旅立ってしまったところでもある。

 そして、ちょっと行ったところには校長先生のお墓も見えるのだ。


 そうするとあれこれ思い出して、私の考えはまたぐちゃぐちゃになってしまう。

 何が正しいのか、自分はどうしたいのか……。


「あたし、長屋って言われても何のことなのか分からなかったんです。玲さん知ってましたか?」


 今さらだけど、御門さんは私には何故なぜか敬語を使う。

 八乙女先生とかには平気でタメ口きいてたのに、何でだろ。


「知ってたよー。私ね、卒業論文そつろんの関係で寺子屋てらこやのこと調べてたから、江戸時代のことも必然的に知らなきゃならなかったしね」

「そつろん……って、何ですか?」


 うっ、自分で言いだしておきながら、心がえぐられるかも……。


「卒論ってね、卒業論文って言ってね、うーん、何て言うかな……大学四年になると、何か一つテーマを決めてそれについての論文を書かなきゃいけないんだよね」

「論文、ですか。何か難しそう……」

「そうだね。卒業研究って言うんだけどさ、書いて提出するだけじゃなくてちゃんと発表しなきゃなんないんだよ」

「へえ……」

「まあもうね、卒業式終わっちゃってるし、あはは」

「玲さん、笑っちゃっていいんですか?」

「いいよもう。事実だしさ」


 水路を越えて、建設現場を通り過ぎて。

 今日は北東方向に進むって決めたから、北の向こうに見える山々と、東にびてる道の、ちょうど中間ちゅうかんのところを狙って、私たちは草むらを歩き始めた。


 風が心地よい。

 こっちのこよみでは、今は「始まりの節」って言うらしい。

 それって日本で言う「一月いちがつ」のことかな。


「今、こっちって何月なんがつになるんだろうね」

「あたしもちょうどおんなじこと思ってました。何か春って感じですよね」

「うん」


 実際、私たちのカレンダーでは四月なのだ。

 新年度になったわけだし……うっ、また心が痛い。

 気を取り直して、進もう。


 どのみち、目的地なんてない。

 見渡す限り、私たちの学校以外は草っぱらが広がってるだけなんだから。

 適当なところで引き返して、戻ろ――――


「え……」


 人がいた。

 ニ、三十メートルくらい先に。


 思わず立ち止まる私。

 御門さんも気が付いたらしくて、小さく息を呑むのが聞こえた。


「れ、玲さん……」

「う、うん……あっ」


 消えた。

 一瞬のうちに。


 私と御門さんは、どちらからともなく顔を見合わせた。

 そしてそのままたっぷり十秒ほど、黙ったままお互いの目を見つめ合うのだった。

 見たよね? と。

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