第三章 第65話 誓い

「――と言う訳で、明日から『長屋計画』の資材搬入が始まります。当面はこちらがすることはありませんが、必要に応じて作業の手伝いをしてもらうかも知れません。そのつもりでいてください」


 久我くが純一じゅんいちの言葉に、一同は黙ってうなずいた。

 純一は執行部の実行班担当。

 彼の召集で、校長室において実行班会議が開かれていた。

 時刻は午後八時半を過ぎたところ。


 その場には、実行班の全員が集まっていた。

 即ち、実行班長であるたちばな響子きょうこ教頭。

 副班長である瓜生うりゅう蓮司れんじ黒瀬くろせ真白ましろ

 以下班員の、如月きさらぎ朱莉あかり加藤かとう七瀬ななせ諏訪すわいつき早見はやみ澪羽みはね天方あまかた聖斗せいと神代かみしろ朝陽あさひ――の合計十名である。


 会議は、表面上はつつがなく進行していた。

 執行部からの指示を純一が示し、それに対する質疑応答がぽつぽつと繰り返されながら、議題は確実に消化されていった。


 しかし、かつての情報委員会が醸し出していたあの雰囲気は、ない。

 基本的には上意下達じょういかたつの体制であり、言ってみれば説明会のようなものである。

 よほどのことがない限り、執行部の純一から伝えられたことをそのまま受け入れ、粛々と実行に移すだけの状態なのだ。


「とりあえず今回の議題は以上になります。橘班長、何かありますか?」


 純一の問いかけに、響子は黙って首を横に振る。


「では瓜生副班長。何かありますか?」

「いえ、特にありませんね」

「では黒瀬副班長、何かありますか?」

「……」

「黒瀬副班長?」

「……」


 純一に繰り返し呼ばれても、真白はテーブルの一点を見つめたままだ。

 隣に座っていた澪羽が、真白の肩に触れて小声で言う。


「黒瀬先生、黒瀬先生」

「……はっ――な、何?」

「純一さんが……」


 真白が慌てて純一の方を見ると、彼はしかめっ面を隠そうともせず、もう一度先ほどの呼びかけを繰り返した。


「黒瀬副班長、何かありますか?」

「あ、い、いえ、何も……ありません」

「大丈夫ですか? 体調がすぐれないとかですか?」

「いえ、だ、大丈夫です」


 いぶかしむ純一に、真白は辛うじてそう答えた。

 ふー、とため息をついて純一は続けた。


「頼みますよ? 皆の健康をあずかる立場なんですから。もし具合が悪いのなら、ちゃんと対処してくださいよ?」


「す、すみません……」


 小さくなって詫びる真白に純一はそれ以上何も言わず、残りのメンバーに不明点がないことを確認してから、会議の終わりを宣言した。


    ◇


「ちょっと、黒瀬さん」

「……はい?」


 会議が終わり、参加者が三々五々、それぞれのLEDランタンを手にして校長室を出て行く中、瓜生うりゅう蓮司れんじ黒瀬くろせ真白ましろを呼び止めた。


 のろのろと振り向く真白。

 顔色が悪いとか、もっと言えば調子が悪そうとか、そういう感じはしない。

 それでも先ほどの様子から、何となくらしくなさ・・・・・を感じて、蓮司は声を掛けたのである。


「どうかしたの?」

「どうか……って?」

「いや、何だかさっきの会議の時、様子が変だなあって思ったんだけど」

「ああ……」


 真白はうっすらと微笑んだ。


「少し、考えごとをしてただけですよ」

「考えごと……」

「はい。心配かけちゃいましたか? すみません」


 そう言うと、歩き去ろうとする真白。

 そんな彼女の背中をしばし見つめていた蓮司だが、何やら思い直したかのように小さくうなずくと、後ろから真白の左腕を取った。


「えっ!?」


 腕を突然つかまれて、真白は目をみはった。

 しかし蓮司はそんなことに構わず、彼女の腕を引いて職員室から出て行った。


 周囲の者たちは、二人をポカンと見送るばかりだった。

 ただ一対いっついの瞳を除いては。


    ◇


「ここなら人目を気にすることもないかな」


 蓮司が真白を連れ出す先に選んだのは、校舎北側の駐車場だ。

 何台かの車がとまっている。

 あまり遠くまで行くわけにもいかず、手近で適当な場所がここだった。


 半ば強引に腕を引かれて、最初は抗おうとした真白だったが、途中からは大人しく彼についていった。

 上靴うわぐつは当然、履き替えていないままだ。


「さ、話してよ。黒瀬さん」


 蓮司はLEDランタンのあかりを消しながら、言った。

 真白も彼にならってスイッチを切った。

 途端に二人は暗闇に包まれた。


「話すって、何をですか?」


 しかし真白は、引かれるままについてきはしたが、話すことはこばんだ。

 その態度で、蓮司は真白が怒っているものと思った。


「強引に連れてきたのは済まないと思う。でも黒瀬さん、変だよ」

「変ですか? 私」

「ああ。何て言うか、君らしくないように思う」


 そう言いながら、自分のしていることも大概らしくない・・・・・と蓮司は苦笑した。

 普段ならここまで力任せなことはしない自分がなぜ……恐らく昼間に少年二人から聞かされた話が、頼もしくも懸念される事柄ことがらとして、彼の心の中に腰を据えてしまったからだろうと自身を分析した。


「私らしく、ない……ですか」


 闇の中でよく分からないが、真白が小さくため息をついたように蓮司は感じた。

 何となく怒っている感じとは違う……ようにも思える。


「このまま少し……考える時間をください」

「もちろんだよ」


 元よりかすつもりはない。

 蓮司は夜空を見上げた。

 相変わらず美麗な星の舞台がそこには広がっている。


「僕の妻――清香さやかって言うんだけど、彼女は星空を眺めるのがとても好きでね……。キャンプに行った時ばかりじゃなくて、家にいる時でも暇さえあれば庭に出てた」


「……」


「僕たち夫婦はさ、割とサバサバした関係なんだ。週末に一緒に出掛けることもあるけど、別々にソロキャンすることもあるし、向こうは僕の知らない仲間とつるむことも珍しくなくてね――ああいや、別に浮気とかは疑ってないよ」


「……」


「元来、僕は一人でいることが好きな人間なんだ。そんな僕が教師をやってるのは何かの冗談かと思われるかも知れないけど、別に人と関わるのが嫌いなわけじゃないんだよね。多分、代償行動の一種ってところもあるんだろうって自分では思ってる」


「……?」


「僕は施設出身でさ、家族ってやつにあんまりいい思い出がない。ぬくもりを感じたこともない。妻はそんな僕に家庭のあたたかさってやつを教えてくれた人なんだ」


「……」


「ただ、僕らには子どもがいなくてね。不妊治療を始めようってなって調べて分かったのは、原因が僕ら両方にあることだった。結構ショックでさ、僕も妻もしばらくの間はかなり落ち込んだ」


「! ……」


「今はまあ大分だいぶ気持ちも上向うわむいて、時機を見て養子を取ろうかなんて話もしてるよ。そんなわけで……今、妻は家に独りぼっちなんだ」


「……」


「いや、いつもの仲間と遊びながら楽しく暮らしてくれてるのなら……本音で言えば少し寂しい。でも、仕方がないことかなとも思う。彼女のことを信じてはいるけど、どんなことが起きてもおかしくないと思っているからさ。まあそんなわけで」


「……………………」


「僕は早く帰って、この無事な顔を見せて安心させてやりたいのさ。ついでに僕自身も安心したいんだ。そう言う意味でもし、鏡さんたちが本当に帰る方法を見つけているんだったら、それに協力することを決していとうつもりはない」


「! そんな……!」


「黒瀬さんは、元の世界に帰りたくないの?」

「そんなことは、ありません……帰りたい、けど」


 真白は拳を握りしめながら、うつむいた。


(和馬くん……ごめんね)


「帰りたいけど、このまま帰ることは出来ません」

「僕も同じ思いなんだよ、黒瀬さん」


 蓮司の目を見る、真白。

 真意を確かめようとするかのように。


「帰るためなら何でもあり、何を犠牲にしてでもとは思ってない。このまま校長先生や八乙女さんの無念を踏み台にしたまま、僕たちだけ帰れればそれでいい……そんなわけがないだろう?」


「瓜生先生……その通りです」


「実はね、今日の昼間に子どもたち――天方君と神代君と三人で話をしたんだ。いろいろ思い詰めてたし、衝撃的なことも聞いた。何をするにしても準備不足だって指摘して、軽挙妄動けいきょもうどうに走らないよう釘は刺したけど、そろそろバラバラになっているものを一つにすることを考えるべきだと思う」


「……瓜生先生」

「はい」

「これから話すこと、決してほかの人に漏らさないって、誓えます?」

「その必要があるんだね?」

「そう思います」


 蓮司は考える。

 どうすれば、自分の言葉を信頼してもらえるかを。

 そして結局、思うままに伝えることにした。


「誓うよ。誰にも話さない。僕の妻に誓って」

「分かりました。遺書があるんです」

「……え?」


 真白は再び蓮司の目を見据え、きっぱりと言った。


「朝霧先生の遺書があるんです」

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