第三章 第64話 角型封筒

 早見はやみ澪羽みはねと共に保健室での仕事をこなし、瓜生うりゅう蓮司れんじ天方あまかた聖斗せいと神代かみしろ朝陽あさひが東の森近くでまき割りに精を出していた日の夕方。


 黒瀬くろせ真白ましろは、保健室にいた。

 茜色の窓の外は、部屋の中をも染め上げている。


 今は彼女一人。

 相方あいかた早見はやみ澪羽みはねは、職員室で行われている夕食の準備を手伝いに行っている。

 何かあった時のために、どちらかは保健室になるべく常駐するようにしているのだが、手伝いに出るのは大抵たいてい澪羽だった。


「大分暗くなってきたわね……」


 独りちながら、机上きじょうにあるLEDランタンをともした。

 夕焼けの色と影に染まっていた室内を、白色はくしょくの人工こうが駆逐する。

 と、同時に保健室のドアがガラリといた。


 そこに立っていた人物を見て、真白は驚いた。


「……壬生みぶさん」


 壬生魁人かいとは、後ろ手で扉を閉めると無言のまま真白に近付いてきた。

 全身の筋肉が強張こわばるのを、真白は感じた。


「黒瀬さん」

「……何でしょうか」


 それでも彼女は気丈に、内心の緊張をおくびにも出さずに返事をする。

 見た目は端正たんせいな魁人の顔には、けんのある表情が浮かんでいた。


「今日はちょっと頭痛がひどくてね、何か薬はないだろうか?」

「頭痛、ですか」


 普通の用事か……。

 真白は内心で安堵のため息をく――もちろん、ポーカーフェイスのまま。


「熱はありますか?」

「いや、ないと思う」

ほかに何か症状は? お腹が痛いとか、食欲がないとか」


 すぐに対処してもらえると思っていたのか、魁人が次に発した言葉には明らかに苛立ちがこもっていた。


「そう言うのはない。たまに起きるんだよ、頭痛。自分の薬を持ってたんだが、こないだ飲んだやつで終わってしまったんだ。薬はないのか?」


「先生がたの中にも誤解されている方がたまにいらっしゃいますけど、保健室には基本的に頭痛薬のような一般用医薬品は置いてません。私は養護教諭であって、薬剤師や医師ではないんです」


「何だって!?」

「壬生さんもご存知なかったんですね」

「何とかならないのか?」


 全く、よくも平気で私に頼みごとなど出来るものだ――真白は心中で毒づく。

 八乙女やおとめ涼介りょうすけに対する数々の暴虐ぼうぎゃく非道な扱いを、彼女は欠片かけらも許していなかった。

 何なら、もっと頭痛が酷くなるように呪いをかけてやりたい――


「――私の私物しぶつの頭痛薬なら少しあります。二回分差し上げますので、それで凌いでください」


 しかし、意に反して口をついて出たのは真逆の言葉だった。

 心の中でやれやれと、自分の甘さこそを呪う真白。

 ところが、


「あるんだったら最初から出せばいいんだ。こっちは出所でどころがどこなのかなんて気にしちゃいない」


 と言う魁人の台詞せりふに、流石さすがの真白もキレる。

 机の引き出しをけ、くだんの薬を二錠にじょう取り出すと天板てんばんの上に叩きつけるように置いた。


「どうぞ! それを持ってさっさと出て行ってください!」

「ふん」


 真白の怒りに毛筋ほども心を動かされた様子を見せず、机上に置かれた薬をひったくるようにして手に取り、魁人は保健室をあとにした。


 静寂が戻った室内で、真白は肺の中の空気を長々ながながと吐き出した。

 何てやつ!

 わざわざ心を乱すような物言いをする魁人に、腹が立つやら悔しいやら。


 真白は頭をふるふると振ると、薬のあったのとは別の引き出しをけ、茶色い角型かくがた封筒(A4用紙がそのまま入る大きさ)を取り出した。


 表には「遺書」。

 達筆だが、どこか苦痛にゆがむように揺れる文字で、そう書かれている。

 その隣には、ガーゼでぐるぐる巻きにした上で、ビニール袋に入れた包丁・・


 真白は、先ほどのように嫌なことがあると、いつもこの文字を眺めていた。

 そして、そのたびに朝霧彰吾の無念を思って胸が痛くなるのと同時に、戦い続けるための気力が湧きたつのを感じるのだ。


 封筒を手に取る。

 特に封をされているわけでもなく、フラップも折られてはいない。

 手触りから、中には恐らく更に小分けした封筒が入っているだろうことを察していたが、まだ確かめたことはなかった。


 真白は何となく、封筒を机上きじょうのLEDランタンにかざした。

 彼女の想像通り、いくつかの封筒が折り重なった影がぼんやりと浮き上がる。


(きっと、奥さんやお子さんそれぞれに書いたんだろうな……)


 彰吾の家族構成は知らないが、何となくそう考えつつ、遺書をしたためている時の彼の胸のうちを思いる。


(遺書かあ……)


 自分がそんなものを書いている姿など、ついぞ想像したことなどなかった。

 もちろん今だって書くつもりは、ない。

 それでも……彼女の脳裡のうりに愛する夫の顔が浮かんできた。


(……和馬くん)


 もし今、遺書として彼に伝えることがあるとしたら、何だろう。

 突然いなくなってしまったことの謝罪?

 彼の一人暮らしに対する心配?

 もし帰ることが出来なかった時のために……別の、人と――――


 そこまで考えて、真白はじんわりと涙がにじみそうになる。

 慌ててかぶりを振る。


「あっ……」


 その時、手に持っていた封筒を落としてしまう。

 床に落ちた封筒の口からは、更に小さな茶封筒が顔をのぞかせていた。


 いけないいけない――と言いながら、真白は身をかがめて落としてしまったものに手を伸ばした。

 はみ出ていた茶封筒の表に書かれていた文字が、目に入る。


 ――暁へ


(暁……あきら、かしら? 息子さんかな)


 興味をかれた真白は、罪悪感にちょっとだけ背中を向けてもらい、他の茶封筒の宛名あてなを確かめてみることにした。

 もちろん、中身を読むようなことはせずに。


 中に入っていたのは、全部で四通。


(静子へ――しずこさんだろうか。奥さん?)

(くるみへ――こっちは娘さんかな。可愛らしい名前……やっぱり静子さんはきっと奥さんね)


 そして最後――――――そこに書かれた文字を見て、真白は息を呑んだ。


 ――この封筒を見つけられたかたへ。


「これって……」


 文字通り解釈すればこの場合、それは自分あてと言うこと。

 私?

 読んでいいのだろうか?

 いや、ここまで来て読まずに戻すのはあり得ない。

 私が見つけたのだから。


 真白はそう考えると、ハサミを取り出して、糊付けされた封の上部を丁寧に切り取った。

 中には、一枚の便箋びんせんが入っている。

 すぐさま取り出そうとして、彼女はふと考えた。


(読んでいるところを、決して見られてはいけない)


 今のところ、朝霧彰吾が遺書を残していたことを真白は誰にも話していない。

 協力者であるはずの瓜生うりゅう蓮司れんじにさえも、だ。

 遺書ならば当然、届ける先は遺族であるので、他人が知る必要などない――そう考えていたゆえであるが、この四通目の手紙は全く別の意味を持つ。

 何が書かれているかは分からない。

 内容を誰かに伝えるかどうかの判断は、読んだあとにすべきで、それを確かめている様子を見られるわけにはいかない――そんな気がする。


 真白は自分の直感を信じた。

 彼女はさきの三通を元の角型封筒に丁寧にしまい込むと、鍵のかかる引き出しに入れて、ロックを掛けた。

 鍵と四通目の封筒をポケットに入れ、LEDランタンを手にして保健室を出た。


 向かう先は、自分の個人スペース。


    ◇


 そして黒瀬真白は、驚愕の事実を知るのだった。

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