第三章 第57話 広場三景

 ガラガラガラ……。


 もう大分だいぶ耳慣れた、馬車が石畳を行く音。

 俺こと八乙女やおとめ涼介りょうすけ久我くが瑠奈るな、そして俺たちの護衛を務めてくれているユーリコレット・マリナレスは、それを車内で聞いている。

 領主屋敷に一泊させてもらい、朝食をありがたくいただいたり、あれこれ準備したりしてから、俺たち三人は車上の人となったのだ。


 四者会談のあと、俺たちはここの領主であるリューグラムさんと打ち合わせをした。

 聖会イルヘレーラ巫女ヴィルグリィナと呼ばれる人に会いに行く算段をつけるためだ。


 リューグラムさんによれば、彼女はぜひ会っておくべき人物らしい。

 俺たちが知りたいことを恐らく一番知っている人物――というのが理由なんだけれど、どうしてその巫女みこさんが知っているのかってところは、リューグラムさん自身もよく分からないと言っていた。


 巫女さんが何を知っているのか。

 具体的には、えーと……三種の神器レジ・アウラとイルエス家についてってことだ。

 どちらも俺たちが元の世界に戻る方法に関係する事柄ことがらになる。


 本当は、俺たちはオーゼリアという大きな町にあるヴァルクス家に向かっていた。

 ザハドで俺たちを窮地きゅうちから救ってくれた、マルグレーテ・マリナレスさん――目の前に座っているコレットのお姉さん――の指示によるものだ。


 彼女は、ヴァルクス家で俺たちの知りたいことの端緒たんしょつかめと言った。

 それはつまり、ヴァルクス家が元の世界に戻る方法について、何らかの情報を持っているということ。

 ほかに何の伝手つてもない俺たちは、マルグレーテさんの言葉を頼りにオーゼリアに向かっていたわけなので、リューグラムさんから提案を受けた時には少し困ってしまった。

 リューグラムさんの口ぶり――「ヴァルクス家に向かう前にこちらでやり残したことを済ませた方がいい」――だと、聖会はピケ近辺にあるように思えたからだ。


 そんな迷っている俺の背中を押してくれたのは、例によって瑠奈だ。

 まあ彼女にお伺いを立てたからと言って、責任をおっかぶせようなんてつもりは毛頭もうとうない。

 子どもとは言っても、瑠奈は立派な旅の道連れ。

 彼女の意志を確認するのは、当然のことだよな?


 そのの打ち合わせによれば案の定、聖会イルヘレーラはザハドにあるということだ。

 あれだけ大急ぎで逃げ出してきたザハドに、また戻ることになるとはね……。

 そんなわけで、こうして馬車に揺られているというわけ。


 心配だったのが、聖会と何の面識もない俺たちがいきなり押しかけても大丈夫かということだったのだけど、リューグラムさんによれば、魔素ギオを使った遠距離通信の手段があるらしい。

 ただ、それを領主屋敷ゼーレ・ユーレジアと聖会でお互いに設置しましょうという話がなされたのはつい最近の話ということで、要するにまだ未開通なんだと。


 開通次第、先方には連絡するそうなので、念のためにリューグラムさんがしたためてくれた紹介状を手に、先んじて俺たちは移動を始めたというわけだ。


「あ」


 車窓からの景色をぼんやりと眺めていたコレットが、小さく声を上げた。


「どうした? コレット」

「あ、いや、えーとですね」


 と言って、彼女は外の一点を指さす。

 いつの間に、馬車は広場に差し掛かっていた。

 俺たちがピケに到着した時、馬車を降りたところだ。


八乙女様ノス・ヤオトメ、あの屋台マトラ見えます?」

「屋台?」


 彼女の指さす方に視線を向けると、確かにそこには屋台が出ていた。

 ……何となく見覚えがあるような?


「あの屋台のおじさんに、八乙女様たちの手がかりアラストアを教えてもらったんです」

「俺たちの、手がかり?」


 俺がいぶかに首をかしげると、コレットはバツが悪そうに舌をぺろりと出した。


「八乙女様達が最初にピケに到着した時、馬車を降りて誰もいなくて困ったりしませんでしたか?」

「ああ……」


 そう言えばそうだった……と言うか、そもそもピケについたら船に乗れとしか言われてなかったからな。


「あの時、ホントは私が迎えに行く予定だったんです。でも、ちょっとうとうとブランダランしちゃって……」

「え、そうだったの?」


 うとうとって……つまり、寝坊したってことなのか?

 思わずジト目になった俺を見て、コレットは慌てて両手をふるふると振った。


「いえ、ちゃんと迎えに行ったんですよ!?」

「え?」


「でも、前の晩からずっと立ってたから、さすがにちょっと疲れて眠くなっちゃったって言うか……うとうとって言っても、ほんのちょっとだけ! ほんのちょっとだけだったんです!」


 必死で弁解するコレットを見て、俺は何だか可笑おかしくなってしまった。

 元の世界と違って、こっちには時刻表なんてものはどうやらない。

 俺たちの到着こそ知らされていたものの、それがいつなのか正確なところは分からないはずなんだ。

 だから彼女は、きっと遅れてはならないと前夜ぜんやから待ってくれていたってことなんだろう。

 そもそも面識がないわけだから、数多く到着する旅客たちから探し出すことさえ、大変なのは想像にかたくない。


「分かったって。別に怒ってないさ。それに、そんなに前から待ってくれてたんだろう? ありがとうな、コレット」


「へ?」


「それにさ、今コレットに言われて思い出したんだけどあの日、俺たちもさっきの屋台で朝ごはんミルサーヴ、食べたんだよ。何だっけかな、あれは――」


「コトラス、では?」

「そうそう、それだ。美味うまかったな、あれ」

美味しいメーレですよね、私も大好きなんです」


 くぅ~……。


 可愛い音がした方を見ると、瑠奈がうつむいて顔を赤くしている。

 俺は彼女の頭をでながら言った。


「昼ごはんにはちょっと早いけど、確かに小腹がいたな。御者さんに言って、ちょっと止めてもらおう」

賛成ですアコドーラ!」


 こくこく、と瑠奈もうなずく。


 ピケに来た時は超特急だった。

 でも、今回のザハド行きは必ずしもそうじゃない。

 のんびり物見遊山ってわけにはいかなくても、ほんの少しの寄り道くらいする余裕はあるだろう。


 馬車が止まると、俺たち三人は扉を開けて駆け出していた。


    ◇◇◇


 八乙女やおとめ涼介りょうすけたちがザハドの聖会イルヘレーラに向けてピケを出発した翌日の昼頃、多くの馬車が到着し、また出発していく広場に、一台の焦げ茶色をした馬車が到着した。


 降りてきたのは三人の女性。

 そのうちの一人はまだ少女と言うべき、あどけなさの残る表情をしている。


「ここが……ピケ」


 そうつぶやくのは、三人の中でひときわ目立つ、黒髪くろかみをした女性。

 山吹やまぶき葉澄はずみだった。

 エレディールとは別の世界――テリウス――から転移してきた、日本人。

 きょろきょろと辺りを見回している。


うちの町ザハドより、ずいぶんにぎやかな感じ……」


 少女が言った。

 もちろん彼女の名は、サブリナ・サリエール。

 ザハドにある「山風亭プル・ファグナピュロス」という宿屋ファガード食堂ピルミルの一人娘。

 八乙女涼介と久我くが瑠奈るなを探すという葉澄に必死に懇願して、同道する許可をもぎ取った。


 ちなみに、彼女が生まれ故郷であるザハドを出たのは、これが初めてでる。


 好奇心旺盛ですぐにでも駆け出して行ってしまいそうなサブリナに、もう一人の女性が後ろから声を掛けた。


「リィナ、頼むから突然走り出したりしないでくれよ」

「分かってますって、エリィナさん!」


 にっこりと笑って返すサブリナ――リィナに、やれやれと肩をすくめるのは、アウレリィナ・アルヴェール・ヴァルクス。

 オーナベイト博爵はくしゃくが領都と定めているオーゼリアに本拠地を置く、ヴァルクス家の令嬢である。

 彼女の実父――ヴァルクス家の現当主は、エメルシル・セルナオーラ・ヴァルクスと言い、オーゼリアにいる他の貴族と同様、海上貿易で財を成している。


 とある出来事が原因で、アウレリィナはつかえているイルエス家から一旦離れ、辺境とも言えるザハドに来ていた。

 偶然か必然か、彼女は山吹葉澄と出会い、逗留とうりゅう先だった「山風さんぷう亭」の娘であるサブリナと出会ったのだ。


 まったく境遇の違う三人だが、三日ほどの馬車旅を通じて関係を深め、それなりに気安い間柄あいだがらとなっていた。


「エリィナさん」

「何だい?」

「ピケに着きましたけど、これからどうするんですか?」

「そうだな」


 葉澄の問いに、アウレリィナ――エリィナは腕を組む。

 涼介ほどではないが、葉澄も努力の末、日常会話程度なら何とか交わせる程度にはエレディール共通語が上達していた。

 それはひとえに、エリィナが日本語をペラペラに話せるおかげである。


「ここピケには、我が家の連絡所のような場所があるのだ」

「連絡所、ですか?」

「ああ」


 そう言って、エリィナは広場のある方向に視線を向けた。


「確か……『シュルーム』と言う名の酒場ベルタナだ」

「酒場」

「表向きは会員制シオスタ・ブローマの酒場なのだが、私――ヴァルクス家――の意を受けてあれこれ活動しているのだよ」

「何か秘密めいてますけど、どんな活動をしてるんですか?」

「まあそこは、いろいろと言っておこう」


 エリィナは微笑んで、葉澄の追及を軽くかわした。

 葉澄も特にそれ以上突っ込んで聞くことはしなかったが、代わりに別の質問をエリィナにぶつけた。


「そこに、八乙女さんたちが?」


「その可能性は高い、と言っていいだろう。これまで何度か話したように、グレーテ(マルグレーテ)には別件で動いてもらっている最中だから確かめるべくもなかったが、彼女が指示したのなら『シュルーム』にも連絡が行っているはずだ。次の定期船が到着するまで、二人をそこでかくまっているものと私は考えている」


 エリィナの返答に、葉澄は思わずほおゆるむのを感じた。


(やっと会える……八乙女さん)


「エリィナさーん! はずみー!」


 二人が声のする方を見遣みやると、ある屋台の前でリィナが手を振っていた。


「もうじきお昼ご飯ミラウリスだけど、ちょっとまもうよー! コトラス、めっちゃメタ美味しそうメーリーだよー!」


 エリィナと葉澄は、お互いに顔を見合わせて苦笑いをこぼした。

 葉澄としては、空きっ腹なんて置いておいて、とにもかくにも「シュルーム」とやらに向かいたい気持ちだった。

 それでも、無邪気なリィナの顔と、先ほどのエリィナの言葉による安心感で心に余裕が生まれていた。


「それじゃあ、ちょっとだけ腹ごしらえしましょうか」

「そうだな。隣りで果実水デュヌメーヴェも売っているようだし、ちょうどハスルが渇いたところだ」


(待っててくださいね。八乙女さん、瑠奈ちゃん)


 それでもはやる心をどうどうと抑えながら、葉澄はリィナが手招きする方向へを進めたのだった。


    ◇◇◇


 山吹やまぶき葉澄はずみたち一行いっこうがピケに到着したその日。

 既には暮れて夜闇よやみにとっぷりと包まれているが、馬車カーロの発着場となっている広場はたくさんの照明で照らされ、昼間以上に賑やかな様相を見せていた。


 とは言え、これから出発しようとする馬車は皆無だ。

 動いている馬車のほとんどは、ここへ到着するものだったし、そうでない馬車も徒歩では少し遠い宿屋へ向かうものばかりだった。


 そんな中、コトラスの屋台の親父はさっきまでひっきりなしに訪れるクリエを懸命にさばいていたが、時々ぽっかりと出来る空白のように暇になった時間を、いつものように行き交う人々や馬車を眺めて過ごしていた。


 ちなみに彼の屋台は、割と繁盛していると言っていい。

 午前中プリムスーラにはコトラスだけだが、昼から夜にかけては日本で言う蒸し餃子のような「チナタラ」や、スパイシーな肉団子である「ドルオージュ」なども提供している。


 隣りで果実水デュヌメーヴェを売っている屋台は、彼のアルモードレとそのフィリス――つまりはネヴィノ――が切り盛りしているのだ。


「今日も賑やかだねえ……」


 この広場でこうして屋台を出すようになってかなりつ彼は、いつの間にか着いてはっていく馬車カーロが、誰の持ち物で御者コチェロが誰かと言うことについて知悉ちしつするようになっていた。


「……ん?」


 そんな中、一台の馬車が彼の目にまった。

 闇夜ドゥロスゲーゼと同じくらいに真っ黒なブラウヴァーティ車体テロス

 装飾ポルテはごく単純アイニーで、紋章ファルマースは……ついていない。


 その馬車に、彼は見覚えが――――あった。

 滅多に現れることはない車体、そして彼をしてもいまだに持ち主が分からないということもあって、彼の記憶に残っていたのだ。


 馬車の周囲には、恐らく護衛レスコールと思われる騎馬マルカッシュが三体ほど待機している。


(ま、どっかのお偉いさんがお忍びで出掛けるってとこだろうな……)


 珍しいとは言え、要はただの馬車。

 それ以上は特に詮索する気もなく、何気なく視線を他に向けようとした時、その馬車に乗り込もうとする人影をとらえて、彼は少なからず驚いた。


(ありゃあ……「風見鶏亭プル・コキドヴェテロア」んとこのセラじゃねえか?)


 街の宿屋ファガードの人間全てを記憶しているなどと言うつもりはないが、近場の店で働いていれば、屋台とは多少なりとも関係を持つ者もそれなりに多い。

 客として、商売がたきとして、友人として、取引先として。


 セラの場合は、顔見知りと言ってもいい。

 彼女が幼いころから、兄のアーチークレールと一緒にコトラスを頬張る姿を見てきたし、彼の方が食事をしに風見鶏亭を訪れることも一度や二度ではなかった。


 そんな彼だから、多少遠目だったとしても見誤るはずもない。

 あれは確かに――セラピアーラ・モレノアだ。


(どういうこった? 一体)


 宿屋の娘と、あの不気味な馬車。

 二つを繋ぐ糸を、どれほど記憶を深く掘っていっても、彼は見つけることが出来なかった。

 どうにも気になって、隣りでそろそろ店じまいを始めている妹に声を掛けようとしたところ、


「よう親父、コトラスをくれ。五つゴウだ」

「あ……はいよ!」


 新たな客の到来で、彼は現実に引き戻された。

 見ると、注文をした男の後ろにも何人か並んでいる。


 気を取り直して、慣れた手つきで準備を始めた彼の脳裡からは、先ほどの引っ掛かりはいつしか消え去り、再び本来の業務に集中していくのだった。


    ◇


 その、当のセラピアーラは、動き始めた馬車の中でうつむいていた。


お兄ちゃんブラットリィ……結局来なかったな)


 約束した「三日後」。

 それももう、あと数時間クプラノメンで終わろうとしている。


 ――それでもセラは、兄のアーチーが現れなくてよかったと思っていた。


 彼が何を考えていたのかは分からない。

 しかし、護衛が周囲をがっちりと固めている上に、目の前に座る得体の知れない男が、恐らくはお目付け役として自分に張り付いているこの状況では、とてもじゃないが連れ出せるすきなどないように思える。


 セラは知る由もないが、その男とはオズワルコスの配下で、先日のコレットたちとの戦闘で背中に怪我を負ったアロイジウスであった。


 下手に姿を見せたりすれば、きっと……。

 セラはその先の想像を、目を固くつむって頭から追い出した。


 どうしてザハドに向かうのに、こんな時間が選ばれたのか。

 彼女には全く分からない。

 普通は明るいうちに旅立ち、夕暮れと共に到着した宿場町で宿を取り、を明かすものなのだ。

 実際、街道と関係施設はそのように作られている。


 その疑問の答えを求めて、先ほどセラは目の前の男に話しかけてみたのだが、一切の返答がなかった。

 あからさまに拒絶の意志をぶつけられて、セラはこれからの道行みちゆきで、きっと一言も言葉を交わすことはないんだろうと覚悟を決めた。


 窓の外と同じように、セラの心は闇に沈んでいた。

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