第三章 第58話 油断すんなよ?

 アーチークレール・モレノアは、ひそんでいた。

 ピケから少し離れた、街道アウトピータわきのシルヴェスの中に。

 全ての準備フォルベルードを整えた上で。


 はとうに西の空に沈み、辺りはすっかり夜のとばりに覆われている。

 その日のサーヴからずっと待機していた彼はつまり、かれこれ十二時間以上こうして森の中でまとを待ち続けているのだった。


(やっぱりゲーゼだったか……さすがに疲れたな)


 ――アルモードレであるセラピアーラが、ザハドへ運ばれる。


 レアリウス所有の馬車カーロが使われることは明白だった。

 そして、動くのなら早朝サーヴフラールゲーゼになってから。

 下っとは言え、いや、下っ端だからこそ長いこと組織アントルガーナの一員として働いてきたアーチーは、それまでの経験でその辺りの段取りはよく心得ていた。


(だけど、もう少しだ。きっと馬車は通る)


 アーチーの知る限り、ピケにレアリウス関連の施設クリントス風見鶏亭プル・コキドヴェテロアしかない。

 以前は違ったのかも知れないが、十年前のあの事件でそれらしいところは軒並みつぶされているはずだった。

 だから、セラが馬車に乗るとすれば広場の発着場を使うしかないのだ。

 風見鶏亭は市場メルコスの中にあって、大きな馬車など入ってこられないのだから。


 アーチーが待っていたのは、一本の狼煙ミキーク(のろし)である。

 まとの馬車が広場を出発したところで、彼の仲間が上げる手筈てはずになっていた。

 しかし、夜になると煙は見えなくなってしまうので、通る馬車を目視で確認するしかなくなってしまったのだが……実際はそれほど問題でもない。

 夜になってからピケを出て街道アウトピータを走る馬車など、そうそうないからだ。


(それに俺は……何でか知らんが夜目よめく)


 自覚してこそいないが、アーチーの動体視力の良さや暗闇でも視界をある程度確保できる力は、彼の唯一の特技アルスプラット――短刀投げカスタポナードの修行に明け暮れていたことによる。

 動かぬゼドなど目をつぶっていても当てられるし、動物を始め、動き回るまとに命中させることこそが彼の仕事だった。

 当然その力は悪条件のもとでも、十全に行使されなければならない。

 ネールが降っていようが暗闇ドゥロスの中だろうが、だ。


 実のところ、その力は無意識のうちに魔素ギオを操り、対象ゼドを明確につかむ魔法ギームとして発現していたものだが、そのことにアーチーは気付いていない。


 だから、彼の立てた作戦エストラジスは単純そのもの。


 御者コチェロ護衛レスコールジェドスを塗った短刀ポナードを投げて仕留める、それだけだ。

 護衛は馬車の左右に二騎、後方に一騎のはず。

 街道の片側から投擲とうてきすれば、少なくとも御者と右側、そして後方の護衛の三人を始末することが出来る――その自信がアーチーにはあった。


 馬は出来れば殺したくない。

 無駄な殺生せっしょう忌避きひするという気持ちもあったが、逃走に使えると言う打算の方が大きい。

 可能なら、馬車まで鹵獲ろかく出来れば言うことはないだろう。


 馬車が途中で襲撃されたことが敵方てきかたに漏れるまで、数日の猶予ゆうよがあるはず。

 そのあいだに二人でどこかの町に逃げ込む――というのが、彼が立てた段取りの全て。


(――――ん?)


 遠くから、かすかな物音が響いてきた。

 ……馬蹄ばていと車輪が、石畳いしだたみ蹴立けたてる音。


 アーチーは木陰こかげに隠れながら、まだ姿を現さない音のぬしの方向をじっと見つめた。

 やがて小さな光の点がぼんやりと浮かび、音と共に徐々に大きくなっていく。


(多分あれだ……よし)


 アーチーはあらかじめ決めておいた、作戦に適した場所に移動する。

 ザハドとピケを結ぶ街道には、日本ほどではないが次の街灯ロミナカレカが遠くに視認できる程度の間隔かんかくで整備されていた。

 アーチーが陣取ったのは、ちょうど街灯と街灯の中間地点。

 最も暗くなる場所である。


 ガラガラガラガラ……。

 とうとうあと五十ゴウィディアメルス(メートル)ほどの距離になると、アーチーのマータは見慣れたレアリウスの馬車をしっかりと視認することが出来た。


 懐から、三本の短刀を取り出し、連投する準備を整える。


 ゴウ……タス……セス……ウス……イシレイガ


 最善の瞬間をはかって、アーチーは素早く短刀を投げた!


 狙うのは首元が一番効果的だが、革鎧ジャラドゥキュラーソで覆われているので太ももムロージュの外側、ペナの少し上の部分だ。

 パラーブルに塗った毒は、サシハシアリイヌリ・ウルトから抽出したもので、日本語で言えば「銃弾に撃たれた」ような激痛をもたらす効果がある。

 これまでの経験からも、騎手が落馬すること必至なのは間違いない。


 アーチーの狙い通り、小さな叫び声が三つ上がり、それまで規則正しかったひづめの音が激しく乱れた。

 馬車の向こう側を走っていた最後の護衛が異変を察知して、こちらに回り込んでくるのを確認したアーチーは、四本目の短刀を正面やや斜めから、馬の首越しに投げつけた。


 短刀はあやまたず、護衛の右目に吸い込まれるように突き立った。

 護衛はくぐもった悲鳴を漏らしながら落馬し、地面に叩きつけられると顔を掻きむしりながらもがき、転げまわっている。


(よし!)


 馬車と馬たちは、二十ウシディアメルス(メートル)ほど先で停止している。

 御者を失った馬車が横転せずに済んだことに、アーチーは安堵の息をいた。


(あとは……)


 すぐにでも馬車に駆け寄って、アーチーはセラの無事を確認したかった。

 だが――


(護衛が一緒に乗り込んでいてもおかしくない。油断すんなよ? 俺……)


 一歩一歩慎重に、アーチーは馬車に近付いていった。


 残り十五ゴウスメルス……

 十四タシスメルス……

 十三セシスメルス……

 ……ディアメルス。


 一度立ち止まり、アーチーは馬車を凝視した。

 窓の内側は布か何かで覆われていて、光の他には物音ひとつ漏れてこない。

 これは……と、彼は警戒度をさらに一段階上げた。


 ナルメルス……

 ビスメルス……

 エナメルス……

 ライメルス……

 ゴウメルス――――そこで、馬車のヴラットがカタリと小さな音を立てた。

 

 何が起きてもいいように、アーチーは短刀を構えながらじりじりと歩を進める。


 タスメルス。

 セスメルス――――扉が静かにひらき始めた。


 セラか? ……護衛か? ――アーチーは一層目を凝らして扉を見る。


 扉の端からほんのわずか、人影がはみ出た――本当にごく僅かの輪郭だが、アーチーが見誤うはずがなかった!


「セ――」


 影へ駆け寄ろうとした瞬間、アーチーは背中に、まるで熱湯をかけられたような熱さを感じた。


「!…………」


 アーチーは無言でその場に崩れ落ちた。

 倒れながらも背後をちらと見ると、見知らぬ足が目に入った。


「お、お兄ちゃんブラットリィ!」


 馬車から下りてきたセラピアーラが、倒れ伏すアーチーの元に駆け寄る。


「お兄ちゃん! お兄ちゃん! お兄ちゃんっ!」

「馬車から出るなと言っただろうが」


 アーチーの向こう側から、アロイジウスがベルツェル血振ちぶりながら冷たい声をセラにぶつけた。


「お兄ちゃん! お兄ちゃ――ひっ!」


 セラはアロイジウスに構わず膝をつくと、アーチーの背中にみ広がる血液を見て息を呑んだ。

 彼の背は、右肩から袈裟懸けさがけに切り裂かれていた。

 兄は倒れたまま、ぴくりとも動かない。


「お兄ちゃん! お兄ちゃん!」

「とっとと馬車に戻れ」


 外の異変をすぐに察知したアロイジウスは、御者コチェロが落ちたと知るとすぐに馬を止め、そのまま外に出て背後をうかがっていたのである。

 セラには馬車の中にとどまるよう言いつけたが、勝手に外に出る可能性も考えた上で、案の定ひらいた扉を利用してアーチーを背後から襲ったのだ。


「お兄ちゃ痛いっ!」


 倒れたアーチーに取りすがって泣くばかりのセラの髪をわしづかみにすると、アロイジウスは彼女を強引に立ち上がらせ、馬車の中に無理やり押し込んだ。


「ちっ……俺が御者をやる破目になっちまったじゃねえか……」


 馬車の扉がひらかないように外側からギルーザをかけると、アロイジウスは御者と護衛の様子を確認した。

 うずくまって激痛にうめく護衛の一人に何やら小声で指示すると、あとは振り向きもせず馬車に戻り、そのまま発車させていった。


 ――雨が降り始めた。


 アーチーの背中に広がる血の染みは、雨に濡れることで身体の外側にまでじわじわと広がっていく。

 夜闇と血だまりに沈む彼は、そのまま動かなかった――――。

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